オリジナルも大ヒット、翻訳ポップスも大ヒットっていうパターンがあるのかどうか?
当時は小さすぎてわからないけれど、この「悲しき街角」はデル・シャノンのオリジナルも、飯田久彦のものも結構聞いたような記憶がある。
デル・シャノンのシングル盤はかなりの回数でプレスされていてその都度ジャケットが変わっていてかなりの種類がある。残念ながら初版のシングルの記憶がないのですが、これかな??でも値段が350円って見えるのですが??当時は330円の次は370円だったような・・・古い話でもう記憶があやふやです。
オリジナルは1961年の春の全米No.1ヒットで、なぜか邦題が「悲しき街角」でこの後デル・シャノンのものはたいてい街角がつけられるようになった(かなりいい加減)。
1965年にはイギリス勢に交じって「太陽をさがせ」という曲がかなりヒットして、この辺までは健在ぶりをみせてましたがそのあとは低迷・・、僕はそのあと1990年の自殺の記事までほとんど忘れていた。朝日新聞には訃報の記事が出たのを覚えている。
ビートルズの「フロム・ミー・トウ・ユー」を歌ったり、ビートルズの弟分だったピーター&ゴードンが歌ってヒットした「アイ・ゴー・トゥ・ピーセス」はデルシャノンの作品で、その頃は結構話題に上っていて頑張っていた記憶がありましたが・・・。
飯田久彦のほうは、ピンク・レディで名前が復活して、レコード会社の社長さんにまで上り詰めてこっちはハッピーという感じですね。こうやって眺めたら悲喜交々の人生です。
Wikiで調べたら、1985年に日本にやってきてオールディーズを歌う番組に出ていたけれど、日本航空の事故で放映が中断されてそのまま終わってしまったということが書かれてある。その飛行機に乗っていたのが坂本九さんで何とも変な因縁(全米No.1ヒット)を感じてしまった。
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