昨日、アメリカのヒットチャートのナンバーワンのことに触れて、「ボラーレ」と「スキヤキ」と「ドミニク」の3曲のことを書いたら、偶然というか、もう失礼ながら忘れかけていた35年前の飛行機事故のことをニュースで思い出した。
下にアップしたのはダニー飯田とパラダイスキングのレコードジャケットで真ん中で正面を向いているのが坂本九さんです。正式のメンバーだったのか、このグループ、リードボーカルを臨時?正式にメンバーにしていたのか分からないけど、坂本九、九重佑三子、富松千代志?とか時代と共に適当に替わっていった記憶がある。
坂本九はデビューして意外と早く「悲しき60才」がヒットして、すぐ「上を向いて歩こう」が大ヒットして、どういう訳かあちら(イギリスやったかな)のバンドがインストで吹き込んでスマッシュヒットして、どういうルートでアメリカでかかりだしだしたのか忘れたけど(詳しいことはいっぱい当時書かれている。どれがホンマかわからないけど)、そのまま日本語のレコードが売れて全米1位になる。当時はリトル・ペギー・マーチ、ポールとポーラ、ビーチ・ボーイズがひしめき合っていた時代。1963年6月の大ヒット、年間でもベスト10に入っている。(今でもすごいことです)
パラキンの作品を聞いていると、坂本九と九重佑三子が抜群に上手い。あと「お化けのQ太郎」の石川進(この人もボーカル担当だったみたい。写真では左から2人目、まだ格好つけてる時代)の「ビキニスタイルのお嬢さん」も楽しい。石川進はこの曲とお化けのQ太郎で芸能界を生き延びた?
「上を向いて歩こう」は出た時にレコード屋で買った。多分300円しなかった。
NHKの「夢で逢いましょう」という土曜日の夜の番組の今月の歌みたいな感じだったような記憶が残っている。ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」も同様の曲だったような。
昔、仕事で日航機事故でお父さんを亡くされた方と仕事を一緒にしたことがある。周りの人からの情報で、ご本人は一言もそのことに言及されることもなかったのでこちらも確認せず。尋ねて「そうです」と言われてもどう返すのか??単なるミーハー以外何物でもないですから。
さらに、僕の出た高校の先輩が経営している高槻の看護学校に、あの事故で助かった女の子が大きくなってその学校に在学しているという噂もたったことがある。
亡くなった方々はもちろん残念ですが、残された方々もちょっと(大分?)普通とは違う人生を歩まれていそうでなかなか生きることは複雑怪奇なところがあります。
幸いにして生き残った方々や日航の関係者のその後のゴシップを聞くと日本人の民度はそれほど高くないかなと思ってしまいます。コロナでは民度は高い方だったのですけど。
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