2019/03/20

内田裕也

内田裕也さんが亡くなった。
実に摩訶不思議な人でこの人のおかげで「ロックンロール」が曲解されている気がする。
この人の「ロケンロール」って何だったんだろう。
歌手としてよりプロデューサーというかイベント興行主というか縁の下の力持ちっぽい印象が僕には強い。年末のコンサートにも何回か行ったことがあるし持続させたのは本当に偉いと思っている。
フラワー・トラベリン・バンドのメイクアップという2枚組のレコードに1曲だけ「ブルー・スェード・シューズ」を本人が歌っている。結構気に入っている。バックが凄い面子なんで。裕也さんのボーカルに惚れたわけでないです。
それとアップした「ロックンロール放送局」、田中角栄のダミ声で始まるこのレコードも当時よく聞いた。それとオノ・ヨーコとの人脈も不思議です。
この人、大阪の三国ケ丘高校卒なんですよね。やっぱり異才なのかな???
ともかくお疲れさまでした。合掌。

2019/03/10

ザ・デストロイヤー

ザ・デストロイヤーが亡くなったという訃報が飛び込んできた。
まだ生きていたの!!という気もしましたが、長生きできたのね。あんな過酷な職業だったのに。
昔々、力道山がプロレスの代名詞だったころ、世界チャンピオン(いっぱい団体があったなんて知らない時代)のフレッド・ブラッシーというのがいて、その人の必殺技が「噛みつき」???・・もう流血の大変なおっさんで(意外と本人は日本のファンでした)・・・日本ではテレビ見て心臓発作で死んだ人もいたくらいだった。
そのフレッド・ブラッシーが敗れたというニュースが舞い込んできて、相手はザ・デストロイヤーという覆面レスラーで、次のチャンピオンらしい云々。
そのザ・デストロイヤーを早速日本に招聘して力道山とタイトルマッチ、もう盛り上がりましたな。その時の必殺技が「4の字固め」(フゥギアー・フォー・レッグロック)(数字の4に見えるから4の字固めであって、漢字の四では意味がない)(今から考えたらそのまんま・・)初めて見たときはびっくりでした。あの力道山が苦しんでいる。

その後、日本のテレビの番組にも出て、なんというかタレントになっちゃいました。
「うわさのチャンネル」だったかな、マギー・ミネンコとかいう変なタレントもいたような。

そんなことはどうでもよく、「4の字固め」は凄かった。もともとバディ・ロジャースの決め技だったのですが、本人は一度も来日することはなく幻の必殺技といわれてました。

ご冥福を祈ります。合掌。必殺技と呼べる技でした。

2019/03/06

森山加代子

森山加代子さんが亡くなった。大抵の報道は「白い蝶のサンバ」で有名だと書かれてますが、本質はそこになく1960年代初頭のニール・セダカ、コニー・フランシス、ソフィア・ローレン、アルマ・コーガン等々の新しい流れを日本語で紹介した功績が光ります。「悲しきインディアン」「メロンの気持ち」「月影のナポリ」「ポケット・トランジスタ」・・・アメリカ、イギリスからイタリア、キューバまで・・。
さらに既に過去に書きましたが「ジンジロゲ」「ズビズビズー」「パイのパイのパイ」と究極的摩訶不思議な世界まで。
ただもともと「メロンの気持ち」「月影のナポリ」でチンチンチンとかデメロンデメロンとか意味不明の繰り返しが多かったのです。もう兆しはあったわけ・・というかスタッフに仕掛け人がいたのでしょうね。
僕はここ(1960)くらいからあちらの音楽にはまりだす。
ある意味、この人は当時の他の歌手と日本のポップス史上一線を画してます。
お疲れさまでした。合掌。

2019/03/01

友部正人

僕がこの人を聞いていたと言ったら誰も信じないと思うけれど、一時期よく聞いていた時期がある。特にこのレコードはなかなかの出来で、特に「密猟の夜」という曲が好きで、今聞いても不思議な気になる名作です。
大学を出て3年間ほど広島にいた。広島というところは都会と思われるけど、当時の広島は文化的には僻地で、ロックなんかまったくなかった。
それで、来る外タレだけでなく、あんまり聞かないフォークシンガーもよく聞きに行った。
友部正人もどういうわけか広島に来るというので聞きに行ったことがある。
申し訳ないと思うほど「人が集まらず」、これはご本人に申し訳ないと思うほどだった。
本人も、途中でほとんど観客がいなことに気が付き「今日は本当にひどいな・・・」というような発言をしたように思う。でも一生懸命歌ったところがえらい。
「オホーツクが今にもあふれそうだと・・・」という歌詞が「密猟の夜」の中にある。このフレーズが好きですね。