2020/05/26

GALE GARNETT


昨日のブログでゲール・ガーネットをなんの変哲もない普通の女の子というような表現をしたので、ホンマかなと思い、今日になってちょっと調べてみた。
この人、歌手であり、女優であり、作家でもある才女で、サイケデリックのブームの時はサイケデリックサウンドのグループ(GALE GARNETT AND THE GENTLE REIGN)を作ってレコードを出している。時代と共に変身したわけ。パンクだと思っているブロンディなんかもそうですもんね(元はソフトサウンド)。
1曲でさっと消えていったお方ではなかったということ。一番下の映像なんてもうふわっとした少女のイメージからほど遠い。なかなかのお方だったということです。
IMDBで検索したらかなりの情報が載っております。

2020/05/25

1964.10.17-11.07 CASHBOX(1964年秋)

1964年というのは何べんも書いているとおり僕にとっては非常にというか、まあ他人さんにはどうでもいい話なんですが、僕にとっては色々とその後の人生というか感覚に影響を与えた年であったような気がしてます。
東京オリンピックが終わって、ビートルズ旋風もひと段落して、なんかね、当時まだ中2でしたけど、今年は終わったなという感じがしてました。次の目標(それまでどんな目標やったんや?)を考えないとと・・・、そう思いながら何にもせずにだらだらしてたんですけど・・・。
オリンピックが終わったころ、アメリカのキャッシュボックス誌のトップが「ドゥー・ワー・ディディ・ディディ」というこれもイギリス勢のマンフレッド・マンというグループでした。このグループのリーダーのマンフレッド・マンはその後も変幻自在の活躍で、このヒットは彼の才能のほんの一部の側面だったように思います。
そこまでは「やっぱりリバプールサウンドや」と思っていたのですが、10月31日付でゲール・ガーネットの歌う「太陽に歌って」というなんというかほんまに普通の歌?が1位になってしまう。えっ!こんな歌が1位と耳を疑う感じ、ロックでもR&Bでもモータウンでもフォークソングでもなくそれまでヒットしていなかったジャンルのようにその頃感じました。で、ジャケット見ても普通の女の子ですし、正直不思議な気がしてました。こんなのが1位かってね。
そして次の週に1位になったのがフランク・ウィルソンの「ラスト・キッス」という、これもジャケット見たら分かりますが普通のお兄さんで、もう当時のグループは長髪でないにしてもこんな感じではなかったように思ってます。もうちょっと自己主張してた(ように思う)。
ゲール・ガーネットにしてもフランク・ウィルソンにしても僕には時代が戻ってしまった気がしたように記憶している。どっと来てたイギリス勢の勢いがマンフレッド・マンで止まっちゃた気がしたのかな。
後になってみれば翌年はそれこそイギリス勢圧倒となるのですが、この時はなんかふとね、変なのばかりヒットするなあ・・と思ったものである。
ラスト・キスは今では大好きな曲ですが、当時はほとんど日本で売れず、このシングル盤もレコード屋で一瞬見ただけだったように思う。ラジオでもかからないし、手に入れたのはもう40年以上経ってからCDを買い求めた(ひょっとしたらアメリカの隠れたヒット曲とかのオムニバスのレコードを買ったかも知れない)。よく聞いたらしみじみいい曲です(作った人を見たらびっくりしますけどね。もっと後でグランジの雄「パールジャム」がカバーして再ヒットさせてます)。当時は聞きこめなかった。「9500万人のポピュラーリクエスト」にチャートインしなかったら多分かかるところはあんまりなかったかも。内容は悲しい歌です。
この後は当時のビートルズの宿敵シュープリームズの「ベイビー・ラブ」が台頭して当然ながら1位になり、前述のシャングリラズとゾンビーズとローン・グリーンという週替わりのトップに続きます。



2020/05/24

HIT CHART

ヒットチャートマニアと呼ばれる集団がいる??(かどうかは分からないけれど)、どうも僕はそうだった(今はもうそんな時代でない)ように思う。
ここにアップしたのはビルボード誌の1962年の7月の「HOT 100」、要は当時流行っている曲のベスト100です。つまりオリコンはこの日本版。
これが毎週発売されて、1年に一回総集編の年間ベスト100とか出てくる。
当時、1964年あたりは当然田舎ではこの雑誌が手に入らない。厳密にいうと丸善とか洋書を扱っているところで航空便とかで頼むとお金はかかるが手に入る。船便だと遅いけど入手可能、でも船便でも高い(航空便だともっと)ということで貧乏学生には無理。当然ネットなんかない。
それで、日本の雑誌に(当時は大抵月刊誌)1か月分が掲載される(向こうと契約してね)。「ミュージックライフ」とか「ティーンビート」とか、これが欲しいから買っていたという側面もある。
もっと時が過ぎて、大阪(梅田)の阪神デパートにナショナルのショールームがあって、そこに行けば毎週、アップしたベスト100のコピーを「自由にお取りください」ということでくれた時代があった。僕は毎週取りに行っていたけど、就職して広島に行ったからこの収集はとん挫してしまった。
それからもっと後になると電波新聞というまともな業界紙に今度はLPレコードのベスト100が毎週掲載されだして、ピンクフロイドの「狂気」なんか1年間ずっとチャートインしているのを体験した。
蛇足ながらアップしたのは1962年7月7日付のチャートです。
1962年ですからそれ程詳しくないですけど、ビートルズが出現してからも活躍している人たちが結構いるので紹介しときます。見にくいようでしたら、このチャートを拡大して見てください。
3位はレイ・チャールスです。「愛さずにはいられない」というやつです。ブルース・ブラザーズにも出ていたし、伝記映画も作られているので有名。「ホワッド・アイ・セイ」は超スタンダードですね。
5位のジョニー・ティロットソンは1965年くらいの日本でのヒットのポエトリーで僕も知ってます。
9位のジョニー・ソマーズの「ジョニー・ゲット・アングリー」はなぜか聞いたことがある。多分和製ポップスで聞いている。12位は後のレターメンのヒット曲邦題は何やった??今回チャートインしているのは「ビキニスタイルのお嬢さん」のブライアン・ハイランドです。ビキニスタイルは1960年のはず。
20位はあのルイジアナ・ママのジーン・ピットニーの最大のヒット曲「リバティバランスを撃った男」、これは下がってきているチャートですね。
22位はパットーブーンの「スピーディ・ゴンザレス」、24位は「ジョニー・エンジェル」のシェリー・フェブレィ、26位は「恋の片道切符」のニール・セダカ、30位は「ザ・ツイスト」のチャビーチェッカー。
31位はジョンレノン熱唱の「ツイスト&シャウト」のオリジナル(元歌は別にあるみたいですがヒットさせたのはこれで、ジョンが歌うのもこのバージョン)、アイズレー・ブラザーズ、1962年の7月ですからすぐにコピーしているような気がする。
そして71位にはリトル・エバ(キャロル・キングのベビーシッターだった)の「ロコモーション」が2週目かな。この後1位になります。(もっと後にグランド・ファンクもやってます。こちらも大ヒット)。
小島正雄さん曰く「赤丸急上昇」というやつですね。(赤丸はキャッシュボックスだったかな)
1962年のチャートも結構楽しいですね。





2020/05/23

I FEEL FINEに至るまで

人間の記憶っていうのはどんどん衰えていって、あの時は〇〇??ということが多くなってきている。昔、ビートルズを聞きだしたころ、「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオの番組があって毎週楽しみに聞いていた。当時の順位を書いたノートが今でも残っている。
その番組で毎週アメリカのヒットチャートを紹介してくれていて確か1曲話題の曲をかけてくれたと思う(ちょっと自信がないですが)。それが楽しみだった。当時はレコードの発売が世界同時ということはなく、アメリカでヒットした曲は早くて1か月後くらいに日本で発売されるというのが通例だった。だから聞いたことのない曲を聞けた(多分航空便で輸入していたのかな)。
今はアメリカのヒットチャートといえばビルボードが有名で言い換えれば生き残った。当時の「9500万人のポピュラーリクエスト」ではCASHBOXという雑誌のチャートを紹介していた。今になって見比べたら微妙に1位になる曲が違っていて、僕の個人的な感覚ではCASHBOXの方が入れ替わりが多くって、したがって1位になった曲が多い。
僕の全米No.1ヒットというのは大抵キャッシュボックス誌からになってしまう(僕の記憶がそうだから)
で、僕の記憶の問題で、1964年の終わりにビートルズの「I FEEL FINE」という曲が1位になるのですが、それまでの1位の曲がなんか毎週入れ替わった思い出があって、今はネットですぐ分かる(本当に便利)ので調べてみた。ビートルズの「I FEEL FINE」は1964年の12月19日付で1位になっている。
その3週間前(11月28日付)がシャングリラスの「リーダー・オブ・ザ・パック」(一番上)、確か暴走族の歌?っぽかった。
このジャケットは3人組、4人組のLPレコードもあります。詳細はネットで調べたら詳しく書かれてあるので割愛。
12月5日付がゾンビーズの「シーズ・ノット・ゼア」、これはビルボードで1位になってません。この辺りが今の書き込みで混乱している。多分当時他にもベスト〇位の雑誌があったと思うのです。最近はヒットチャートといえばビルボードというディファクトになってしまったので無理もないですけど。
12月12日付が、なんとテレビドラマの西部劇「ボナンザ」のお父さん役のローン・グリーンの歌?いや語り・・である「リンゴ」、もうちゃんとしたシングル盤のジャケットが見つからない。買った人は少ないと思う。マッカーサーパークを思い出す。
蛇足ながら「I FEEL FINE」は翌週シュープリームズの「カム・シー・アバウト・ミー」に1位の座を明け渡したものの。翌年の1965年1月2日付から3週間1位の座を保持するという、ビートルズ旋風の翌年のオープニングでした。
でも、よく見たら、ビルボードだけの1位というのもあるみたいで、僕の先入観はゾンビーズの「シーズ・ノット・ゼア」のキャッシュボックス1位だけから起因している気もしてきた。


2020/05/22

DORIS DAY

 
 
とうとう、「ワンハリ」からテリー・メルチャーを通り越してお母さんのドリス・デイまで来てしまいました。
こんなことになるとは夢にも思いませんでした。
ちょっと前にもこの下の写真を載せておきましたがドリス・デイの最後のCDです。出来がよろしい。
もともと、「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒット‥といっても僕が生まれる前の話で1940年代のビッグバンド時代の専属ボーカリストの時の大ヒット曲なんでドリス・デイでビルボードの過去のデータを検索しても残念ながら出てこない。当時はレス・ブラウン楽団というところにいたようです。
多分、この頃(あの頃)のドリス・デイのイメージは上の写真でしょうか?髪型なんかが時代を物語っております。
ただ「センチメンタル・ジャーニー」は僕の親が聞いていたから知っているのですね。
で、次の「ケ・セラ・セラ」は多分小学生の頃なんで非常に覚えやすく、結構子供の中で流行っていたよう気がする。
「ケ・セラ・セラ なるようになる」・・・流行語だったかも。あのメアリー・ホプキンも歌ってましたね。
ヒッチコックの「知りすぎた男」(僕が見るのはテレビで放映された時が最初)、今ではイギリスのロックの殿堂になってますがロイヤル・アルバート・ホール(多分クラシック?オペラ?まあ当時は当然ながらロックはない)での殺人未遂事件のサスペンス映画の主題歌で、これが大ヒット。
そのドリス・デイの最後のレコードではなくCDがこれ、80歳代の歌声、昔と変わりませんよ。びっくりしました。選曲もいいですし、ここに例の息子テリー・メルチャーが関わってます。
さらにビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンの歌も歌われております。
それとジョン・レノンのハッピー・クリスマスの元歌(STEWBALL)??も入ってます。聞けば聞くほど似てるよね。もともとピーター・ポール&マリーで聞いたのかな。
個人的にはホリーズを思い出した。昔この歌歌ってた。今から考えたらホリーズってボブ・ディランを歌ったり、プリンスの歌を歌ったり、結構バラバラなんですよね。



2020/05/20

BABE RUTH


荒野の用心棒から突然ここに来ます。
当然といえば当然なのですけど、初め何にも知らないでこのレコードを買いました。
一番上のジャケット、ロジャー・ディーンの絵です。あの時期のロジャー・ディーンは当然プログレですよね。まあそう思って買ったわけです。当時はジャケ買い真っ盛りの時期。独身でお金あったから。
そんでもって帰って、「さてどんなサウンド?」てな感じで聞き始める。それ程インパクトがない曲が続く、何曲めか忘れましたけど突然「さすらいの口笛」のフレーズが聞こえてきて「ええっ!!!なんですか?」これってどういうバンド??とまあ驚きでした。正直これ1曲で愛聴盤の仲間入りに。
2枚目がヒプノシスのジャケット、もうプログレと騙されへんで・・・で聞きました。一発目から管楽器が入っている。びっくり。
というわけでなかなかとらえようのないサウンドで、僕はお気に入りなのかどうかは今もって分からず、ただリードギターのシャクロックさんやったかな?まあそのギタリストがエレキギターでフラメンコギターみたいな音を出す感じで、何とも言えない独自路線でした。さらにボーカルの女性がなかなかのお方で、意外とコアなファンがいたように記憶してます。僕は基本「さすらいの口笛」ばかりでしたが。
確か4枚目あたりからはリードギターが変わって、ホワイトスネイクみたいになっていきました。(当然なんですよね)


2020/05/19

Once Upon A Time In Hollywood 4

ここまで来たらOnce Upon A Time In Hollywoodの続編でもないですけどね。
荒野の用心棒については今までも何回か書いているから。
一番初めのロードショーの時のパンフレットを持ってます。しかもこの時、ビートルズのヘルプと映画のはしごをした記憶がある。いつの話?多分1965年の12月のはず。
初めのイントロの曲がよかって、作曲家がエンニオ・モリコーネというのは後で知ることに。まさか「太陽の下の18才」の「ゴーカートツイスト」を作った人と同じとは思えない曲調で驚いた。今から考えたら、この人映画に合わせて色んな曲を作っている。モリコーネのCDを通しで聞いたらなんか感覚がおかしくなる。もうポップからクラシックみたいのまでバラバラ(悪く言えば支離滅裂)に入ってますから。
で、なんというのかな、初めのオープニング、映画の題名から主役の俳優さんの名前が出てくるところ、あそこの馬の影絵でいいんですよ(背景が赤で馬が黒やったかな)。「さすらいの口笛」の曲にのって馬がすすんでいく、騎乗したカウボーイが銃を発射する。
そのあとアップしたシーンになるはず。(もう忘れてますけど)
なんにも知識なしに見に行ったもので、主役のカウボーイ?がまさか「ローハイド」のロディだとはすぐに気が付かなかった。
さらにイタリアの映画とも思っていないから、ハリウッドの西部劇でもメキシコ国境の話はあるからそんな感じだと思って見ていた。
でもちょっと違うわけ、なんか雰囲気が暗いし、じめっとしてるし、それまで見ていた西部劇、中学の頃ですから映画館で西部劇を見たことはあんまりなかったと思う。見てたのはそれこそ「ローハイド」「ララミー牧場」「ライフルマン」「アニーよ銃をとれ」とかのテレビ番組だった。でもこれらの風景と雰囲気も違っていて、その違いはずっとマカロニウエスタンのベースにあるもののような気がする。
でも、クリント・イーストウッドはこのあと(3作に出たかな?)ハリウッドに戻ってもダーティハリーシリーズはこのキャラクターだと僕は思うのですが。そういういみでイタリアにいって今の地位を築く礎になったと思う。
それと「荒野の口笛」ですが、イギリスのベーブルースというバンドがエレキギターで演奏しておりましてそれが恰好よろしい。意外といけます。





2020/05/18

Once Upon A Time In Hollywood 3

タランティーノの映画のおかげでどんどん当時の思い出がよみがえって来て、まあコロナでそんなに忙しくないからごそごそとネットでで調べ物。
僕の当時の記憶では、ビーチボーイズ一番のプレイボーイでいい加減だと思われていたデニスがチャールズ・マンソンと仲がよかって、彼の歌をパクったから仕返しされそうだったとか、いろいろと噂話が日本の雑誌にも書かれていったいどれがホンマか分からなかった。(ビーチボーイズの面々がひょっとしたら俺らが犠牲になってたかもと言ったとか言わないとか・・・?)
今になってみれば結構他のミュージシャンもマンソンの歌を取り上げているんです。ひょっとしたら才能があったのかしらん。you tubeでマンソンの肉声の歌を聞ける・・音源は?レコード出す予定だった云々の記事も読んだことがあるから。
シャロン・テートの事件って、テリー・メルチャーが引っ越してしまっているのに間違って犯行に及んだということになってます。テリー・メルチャーとビーチボーズも同業でサーフィン&ホットロッド系サウンドのコンポーザーであり演奏家でありつながりは当然あったわけ。
一番上にアップしたのは、ビーチボーイズのメンバー(この時にメンバーだったかどうかは知らない)になるブルース・ジョンストンとテリー・メルチャーが「ブルース&テリー」というデュエットチームを結成していた時のレコード。
真ん中は、意外と僕は好きなんですが、ビーチボーイズにしたら極めて珍しい暗い色のジャケットの「サーフズアップ」。出たころはスマイルの切り売りみたいで嫌だったんですけどずっと聞いていればなかなかいいです。このレコードの中にブルース・ジョンストンの作品が入っていて、それが「DISNEY GIRLS(1957)」といいます。この1957の意味も不明。
この曲色んな人にカバーされてます(アート・ガーファンケルとか)。佳曲。今の世界戦略をガンガン進めているディズニーカンパニーとはイメージが全く違います。
まだまだ当時はアメリカの少年少女だけの夢の世界であったのかな。詳しい感じのお方の邦訳を見てもなかなか難しいです。ディズニー自体が子供の時代のあこがれっぽい表現かなと思われます。
そんで一番下のレコード(このころになるとCD)がなんと御大ドリス・デイ(息子のテリー・メルチャーの方が先に亡くなってます)の一番最後の録音のCDでありまして、ご本人が「DISNEY GIRLS」を歌っております。いくつの時の録音??(80を越えてる)
というわけで、いろんな人々が絡み合ってあの時代が形成されていたことがよくわかります。
ビーチボーイズはビートルズと違ってレコード(CD)の枚数が多く、関係している人物(ハル・ブレインとかの一流のセッションマンも多い)がかなりいて、タランティーノの世界とは別の意味で極めるのは大変そうです。




2020/05/17

Once Upon A Time In Hollywood 2

まだ書き足りないから第2弾へ
得意の音楽ばかりでいきます。
もう結構書き込みがあるので、全部の曲名はわかるとして、僕が全曲を分かったかといえばソウル系はあんまり聞いていなかったので知らないのもあったように思う。僕の好みの基本はビートルズからのイギリス系ですから。
ロイ・ヘッド、サイモン&ガーファンケル、ディープ・パープル、ポール・リビア&レイダーズ、バフィ・セント・メリー、ホセ・フェリシアーノ、ローリング・ストーンズ、ママズ&パパズ、ロイヤル・ガーズメン、ヴァニラ・ファッジ。
ディープ・パープルは「ハッシュ」が流れて、69年だったかなと思っていたら、一瞬別の曲が流れて「えっ今のは??」、思い出すのに暫くかかった。ニール・ダイヤモンドの作品の「ケンタッキー・ウーマン」です。いやいや歌っているのはディープ・パープルです。あの頃のディープ・パープルはドノバンのラレーニアとか意外と渋い曲をカバーをしてたのを思い出した。初期のレコードですから(当然です69年だから)。
それで意外とポール・リビア&レイダーズの曲が多いのです。なんでやろと思いました。
シャロン・テートが家の部屋でレコードをかけるシーンがあって、彼らのレコードジャケットが映る。芸の細かいことです。ここまで凝るかと思って、考えを巡らせると、ポール・リビア&レイダーズのプロデュサーはテリー・メルチャーなんですよ。そんでかと合点したわけです。しかしここまで凝るか?という呆れた気持ちも少し湧きます。
テリー・メルチャーに関しては、映画の中でもチャールズ・マンソンらしき人物がシャロン・テートの家に訪ねてきて「テリー・メルチャーはいるか?」と尋ねるシーンがあったように思うけれど。
テリー・メルチャーはポランスキーが借りた家の前の住人です。しかも音楽界の大物(だったはず)。あのドリス・デイの息子、1965年No.1ヒットのミスター・タンブリンマンのバーズのプロデュサー、ビーチボーズとも仲が良かった・・・まあそういう因縁をうまく取り入れてます。
ブラピに襲い掛かる時にかかるのがヴァニラ・ファッジの「you keep me hanging on」(もとはシュープリームズ)。あのサウンドはドキドキします。
最後に、デカプリオがプールの中で「10/20/30/40/50・・・」と歌っているシーンがありますが、あれはドイツのレッドバロンという撃墜王の歌で、10機、20機・・・と敵機を撃墜していく歌です。多分やられるのは連合軍(アメリカ?)、それに対抗するのがなんと「SNOOPY」という歌。日本題は「暁の空中戦」で原題は「SNOOPY VS RED BARON」、アップした下の写真が当時のアメリカでのシングル盤なんだろう。というのは日本ではほんまにしょぼい写真でしたから敢えて載せません。スヌーピーに関してはこの歌を歌っているロイヤル・ガーズメンがスヌーピーの原作者に許可を得ないで発売して、さらに運が悪い(いい)ことに大ヒットしてしまったのですが、その話はまた別の機会に。

それと、今書いていて思ったのですが、音楽でこれだけ凝っているのですから、多分、他の分野、特にタランティーノ本職の映画の分野ではすごく知る人ぞ知るの世界であろうと思ってます。僕がわかるだけでも過去の大物俳優さんが知らんふりして出てますよね。その辺も詳しい人にはたまらない世界です。
多分、映画館の看板とかも凝ってそうです、さらに車もなかなか奥が深そうです。とことん追求した解説本が出てきそう。

イタリアの西部劇に出たのはクリント・イーストウッドだけでなく(僕の記憶ではクリント・イーストウッドはイタリアに行った時、アメリカで落ち目でなかったと思うのです)、バート・レイノルズも行ってました。他にもイタリアで活躍した俳優さんはいたので、誰か1人だけがモデルということでもなさそう。それにマカロニウエスタンってイタリア人、アメリカ人だけでなくドイツ人からフランス人、果ては日本人も出てました。そう考えたらある意味あの時代に活躍したすべての人、いや当時の一般大衆も入れてのオマージュだろうと思ってきた。
結局はおじさん向けの映画ですなあ。蘊蓄を傾けるのには最高の映画です。






2020/05/16

Once Upon A Time In Hollywood

題名の映画を見た。もう最近は自分で映画館に行ってみることはほとんどなくなってしまって、話題作を後日レンタルか今はオンデマンドで見るようなってしまっている。
それで、ちょっと前子供が「シャロン・テート事件って知っている?」と唐突にしかもなんでそんな話を知っているの?というような問いかけをしてきた。聞けば、ブラピの映画を見に行った云々・・・訳が分からんかった・・・。
それだけの情報ならブラピが主演でチャールズ・マンソンの映画でも作ったのかなと思っていた。そんでこのコロナ禍(「ころなか」と読むらしい)で時間があるから見ることに。
面白かったけれど、若い人には見ても半分も分からんというか「何の映画?」と思ったことだと思う。
なんの映画なんだろう?
実にタランティーノらしい。虚々実々、ほんまもんが出てくるといっても本人は亡くなっているから、さらにややこしいのは昔の映画をそのまま使う?さらに当時のヒット曲満載で、一瞬しか出てこないのもある。ディープパープルの「ケンタッキー・ウーマン」なんかわかった人が何人いるのだろう?ストーリーも「あいつのことだな」と思わせるけどそこは仮名で、謎ときみたいな面白さがある一方で、この映画ではシャロン・テートは殺されない。
まずママズパパズのキャス(太ったお姉ちゃん)を見て(もちろん本人ではない)、あっママキャスだと思った人はまあ少ないでしょう。スティーブ・マックィーンは知っていても隣にいたコニー・スティーブンスなんか知っている??(ハワイアンアイ・・)もう今となってはレアもんですよ。
マカロニ・ウェスタンの監督・・セルジオ・レオーネをタランティーノは尊敬していたはず。伏線は十分、それに映画の題名も「Once Upon A Time In America」からきているのは一目瞭然。
デカプリオはクリント・イーストウッドがモデルなのは明白、事実はイタリアから嫁さん連れて帰ってきたのかどうかは本当かどうかは分からない。
ロマン・ポランスキーの映画をタランティーノが好きだったのかどうかは分からない。私生活ハチャめちゃでしたが作品は面白くていいものが多かった。「チャイナタウン」なんか好きですね。
一言で言えば、69年ごろの映画産業にかかわった人たちへのオマージュなんかな?
だからアップしたポスターは的を射ている。
そうそうダコタ・ファニングがすぐ分からなかった。子供の顔ばかり探す癖がついてしまっている。もうこんな役が出来る年齢になってしまっていた。
シャロン・テートのサイレンサー部隊を見よう(なぜかDVDがある)とてもスパイ映画とはおもえませんが。
じつにタランティーノらしい映画だった。
「大脱走」のシーンなんか、ああいうのって許可がおりるんですね。
この映画、意外とバックの許認可のスタッフが大変だったと思う。ようアメリカで作れたと思う。
肖像権とかうるさいはず。



2020/05/14

1963年の全米No.1ヒット


1963年のアメリカのビルボードのNo.1ヒットの中の僕の記憶にあるシングル盤です。
この年、僕は中学1年でぼちぼち大人の世界に‥という時期。まだ一生懸命ヒットチャートを追いかけるという時期ではないのですが、多分オリジナルより、先日から書いている日本人歌手の輸入バージョンで聞き始めたのだと思う。
それとなんといっても、坂本九というほんまもんの日本人がアメリカでトップになったという事実これが実に衝撃だった。当時は、NHKの土曜日の「夢で逢いましょう」という番組でアメリカの機関から(多分RIAA)坂本九にゴールドディスクを渡しに来たのを覚えている。この事件はすごくアメリカのヒットチャートを身近なものにした。あれから57年経ちますが、他に1位になった日本人はおりません。
1番上のポールとポーラは日本にも来たので記憶に残っている。でもこのような売り出し方をしたら後が大変だったでしょうね。
次のペギー・マーチも、日本によくきて日本語の歌を沢山吹き込んでいる。日本語が上手で「霧の中の少女」なんて絶品です。この曲、実はポール・モーリアの作品でヨーロッパではあのペトゥラ・クラークで大ヒット、そのあとでアメリカにおいてペギー・マーチで大ヒット。このようにこの時期、まだまだグローバルでなかった。ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカの時代。よく考えたら当時はプレスリーの歌を自国で唄う〇〇のプレスリーと称する歌手が各国にいた。だから他の国でヒットした曲をパクる??のが上手いやり方だったとも言えます。
レスリー・ゴーワは当時まだ〇〇才・・・といってもペギー・マーチも若い。この後もヒットを出しますが、僕の印象では短期だったかな。
一番下はジャンとディーンの多分彼らの唯一のNo.1ヒットだと思います。ビーチ・ボーイズのお友達???。個人的にはビーチボーイズファミリーみたいな感じがしてました。「パサディナのおばあちゃん」とか「デッドマンズカーブ」とかヒット曲は多いです。もう忘れましたがどっちかが事故で音楽活動を出来なくなってしまったような記憶があります。この2人の映画があって結構面白かったです。正直、ジャンとディーンとビーチボーイズが一緒に歌ったらもうどちがどっちか分からんです。








2020/05/13

DOMINIQUE

多分1963年の12月に「ドミニク」という歌が流行った(ビルボード4週間NO.1の大ヒット)。僕は中学1年でこのころあたりから所謂洋楽(古い表現です)に興味を持ち始めたように思う。当時は「シンギング・ナン」といって要は「歌う尼さん」という意味です。そのまんま。
なんかようわからんですが、別名もあって「スール・スーリール」とも言った。意味は「微笑むシスター」という意味らしい。この歌がなんと全米NO.1に輝き一躍スターになる。ウィキペディアによればあのエド・サリバンショーにも出たらしい。
単純に考えたら、スター街道まっしぐら…のはずですが、まあ尼さんが本職のはず・・・それ以降は続くヒットもなく、僕の関心から離れていった。日本ではザ・ピーナッツ、弘田みえこ、伊東ゆかり等々競って歌われたものです。本命はペギー葉山だったですがおばさんだったのであんまり興味が湧かなかった。
たまたま昨日の九重佑三子の唄が「スール・スーリール」の唄だったことから「懐かしい」と思ってちょっと調べてみた。
もうすっかり忘れた存在になってましたが、自伝的な映画が作られていて、スターになった後のなかなかなんとも言えない人生が描かれております・・・。
僕は見ていないのですが、ネット上の書き込みを見る限り、批判とか同情とかそう簡単に割り切れる人生でもなかったようで、粛々と尼さん人生を生きようとされたお方でもなかったみたい。見る人によっては好き放題の人生に見えるみたい。もちろんそうでない人もいらっしゃる。
結論としては、懇意にしていた女性と自殺してしまったということです。新聞の写真とお墓の写真をアップしました。
「ドミニク」は今聞いても爽やか!!!という歌声ですが、人生は難しい。
映画見てみるかな。デンマークのお方みたいですが、なにかにつけ伝説なんだろうと思う。デンマーク人の全米No.1ヒットって他にあるのだろうか?
どうしてもチャートの話にいってしまう。











2020/05/12

THE SWINGING BLUE JEANS

昨日はリトル・リチャード追悼の話で、このTHE SWINGING BLUE JEANSが出てきましたが、僕は1964年に「HIPPY HIPPY SHAKE」というシングル盤を買っている。実に単純なノリのいい曲で、結局このノリを求められて(または追求しすぎて)自滅したのかな‥と勝手に思っている。「GOOD GOLLY MISS MOLLY」も同様のノリの曲で、こういうノリの曲は実にうまかったように思う。
特に「GOOD GOLLY MISS MOLLY」は当時のイギリスのビートグループがやっているので聞き比べることが出来て、そんな中でもピカ一だと思っている。他にはアメリカのCCRもねちっこく歌ってます。
ヒット曲は3曲だったかな?他のシングル盤も買ったような、当時は小遣いもないのに贔屓にしておりました。
で、一番下のパラキンと九重佑三子の「道はとこしえに」というシングル盤のB面がなんと「ヒピ・ヒピ・シェイク」、これってカタカナでもちょっとおかしいですよね。確か1965年の春に聞いた記憶があります。
ドミニクで有名なシンギング・ナン(=スール・スーリールだったかな?)の唄です。
この時はコメットさんでブレイクするとは夢にも思っておりませんでした。
パラキンことパラダイスキングというバンドは元々ハワイアンバンドだったと記憶してますが、もう無分別にあちら(アメリカだけでないです)のヒット曲を上手く半分くらい日本語を混ぜて結構荒稼ぎしたような???ブライアン・ハイランドの「ビキニスタイルのお嬢さん」とか、ジョニー・シンバルの「ミシターベースマン」とか、フォーシーズンズのシェリーとか。僕は個人的に「時差を利用した時間差攻撃」と称しておりました。今は無理です。みんな同時ですから。


2020/05/11

LITTLE RICHARD

あのリトル・リチャードが亡くなった。僕にとっては「のっぽのサリー」「ルシール」「ジェニ・ジェニ」「グッド・ゴリー・ミス・モリー」が鮮明に記憶に残っている。
「のっぽのサリー」はポール・マッカトニーの熱唱
「ジェニ・ジェニ」は日本の鈴木やすしの持ち歌
「グッド・ゴリー・ミス・モリー」はリバプールサウンズの面々はほとんど持ち歌にしていたと思うけれど、スィンギング・ブルー・ジーンズのものがお気に入りで彼らの唄は本当に乗りがよかった。
「ルシール」は誰が歌っていた???記憶ではリトル・リチャード本人が歌っていた記憶が一番残っております。
なんかほとんど同じような節回しですが、これがいいんですよね。
ロックンロールはプレスリーからと一応そういわれてますが、個人的にはこのリトル・リチャードとチャック・ベリーがサウンド面での核になっている気がしてます。よく考えたらプレスリーは作曲はしてませんもんね。
結構長生きしたんですね。お疲れ様でした(当時では最先端?の黒人のゲイであるということを公表してましたから色々大変だったと思います)。
合掌。

2020/05/10

マスクが買えた

本日、ようやくアイリスさんのマスクが買えました。苦節〇〇日、達成感十分。
以前にも書きましたが、結構巷に出回るようになってきてますが、正直なところ日本製というか、責任をもって販売しているところのものが欲しい。中国製がダメとも思わないけれど、なんかあった時に応対してくれる顔が見えるところから購入したいというのが本音。
こんな状況下になると、別の意味で日本国内の諸事情だけでなく、国際的な機構(WHOとか)や各国のお国柄がうかがえて、楽しいというのは語弊がありますが、勉強になります。一つの物事に対する反応というか。
マスクが買えただけで喜ぶというのもえらいことになったもんです。

2020/05/09

プロジェクト 写楽

今日はコロナのニュースを時々見ながらこの本を読んだ。写楽の本は昔のはそこそこ揃っているのですが、新しいのは最近ご無沙汰でしたので、久しぶりにこれを購入。
読みやすく、そして面白かったですね。
マーケティング、プロデュース、プロダクト・・・いわゆるアニメのプロダクション的な発想でとらえてみれば、結構謎が解けてくる。
写楽は誰か?? 昔はこの話題に色んな人が喧喧諤々でしたが、今では「斎藤十郎兵衛」で決まり。最近では異論を唱える人はいないみたい。
ただ、この本は「ゴルゴ13」を「さいとうたかお」さんが一人で書いていると思う人が皆無であるように、写楽は「写楽プロダクション」だという発想。
プロデューサー、マーケティング担当、制作担当等々・・・・それぞれ担当がいて機能している。
例の絵も分担が決められた合作、まずのスタートの絵が斎藤十郎兵衛さんなんだろうという構図。
さらにスタッフには当時の一流の切れ者を揃えていた。
その他、江戸時代のその時のお上と庶民の楽しみの歌舞伎とのせめぎあい(贅沢と倹約の戦い)とか、ちゃんと時代考証もされてます。

それと一番大事なのは、「同じ役者の場合はコピーをする」という原則・・・何のことかわかります?
これには驚きました。なんか正しそうな気がするんですよ。大勢の人が自分の得意分野から写楽を分析したらびっくりするようなことが発見されるという絶好のサンプルです。
江戸時代の文献のスペシャリストから始まり、過去帳の発見に引き継がれ・・・まだまだ「写楽の謎」は楽しめそうです。
興味のある人は買って読んでくだされ。面白いですよ。



2020/05/08

岡本行夫さん

あの外交評論家の岡本行夫さんが亡くなった。しかもコロナで。驚きというか、惜しいというか。
改めてコロナって恐ろしいと思う。
これくらいの人物であれば、しっかりと(僕なんかと違って)健康管理をされているように思う。人間ドックとかかかりつけのドクターとか。そういうなんというか上質の健康管理をしていてもコロナにはかなわない…ということになる。
この岡本さんという方はテレビだけでしか知らない(当然)けど、紳士でかつ頭がよくしかも経験豊富で人脈もあり・・・、こういうお方こそずっと外務省にいていただかないとあかんと思ってましたが・・・ご本人曰く「管理職が嫌いで現場が好き」だったみたいで、早々とお辞めになってしまわれました。
個人的には残念です。
言われることが合理的で納得感がありました。
ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。

コロナが大変ですが、民間企業やベンチャーから様々な対策案が出てきてなかなか頑張っているなあと思いつつ、日本の政府ってこういう事態になればすごく遅れているのをいつも痛感する。
ずっと言われている官庁の縦割り組織が今回のPCR検査の遅れの原因とも言われだした。
しかし、お役人というのはなかなか非(状況把握、リスク対策が疎かだった)を認めませんね。
認めたらあかんようになってるような気がしますなあ。
責任をとる部署をわざと作らない感じがしている。ボヤーっと責任が時間と共に薄まっていく仕掛けが官庁にあるように思える。人のうわさも・・・日というやつね。知らんふり逃げ込み作戦。
政治家をもっと若くしないといけないなと極論を唱えれば60歳定年でもいいのではないかと思う。
大阪府と北海道の知事さんを見ていたら実に頼もしい。動きが速いし、逃げ隠れせずに堂々としている。
年寄りはあきませんわ(僕もそうやけど)。ITスキルが全くダメやし、世界の動きに鈍感やし・・・
ただ、だからといって野党がいいとも全く思えず(今の野党はほんまにひどい)、野党に託すくらいなら与党か??なんというか選択肢がないのですね。最悪のパターン。あるいみ中国と同じか?
実に政治家が貧困な日本国家であります。
人生幸朗のぼやき漫才みたいになってきた。



2020/05/07

違和感??って何

西村経済再生相が大阪の吉村知事の言動に対して「違和感」を感じるという報道がなされている。
僕の気持としては吉村知事の言動がスッキリ腑に落ちて、西村大臣(なのかな)の言動に強い違和感を感じている。
以前からこの人本当に大丈夫なのかな???かなり不安を感じている。賢いんでしょうけど。
国は言い出すだけ?
国は言い出しといて、後始末は知事に任す??これはやっぱりおかしいのでは。
クローズするルールを示せないのであれば、国が指示するまで黙っとれと言うのが筋ではないかと思ってます。
国は発生する時にペアで「どういうときまで我慢してくれと方向性を示すべきだ」と思う。そうでないと知事も困るし、国民は疲弊してもたない。
今回の騒動をよく見てたら、国は全く責任をとろうとしていないように思えて仕方がない。
記者会見では「国民の皆様・・・」といって持ち上げてますがなんかなあしっくりこないですね。
東京都にも都が自粛を独自に要請しようとしたら、お国は「待った」をかけてましたよね。ちゃんと連係プレーできてるのかなと思います。地方自治なんて絵空事なんかな?多分そうかも。
基本的に日本ってあんまりお金を持っていないのかな??(持ってない感じがする)外国に比べて額が少額ですもんね。ほんまに経済大国???
1人ごとに10万円くれてもあんまり効果があるとも思えない。東京の飲食店の家賃の額って知っているのでしょうか?
でもこういう状況になったら、国家の民主主義の懐の深さの差を感じますね。
民主主義って戦争に負けて連合軍にあてがわれてから100年ちょっとですからね。自分たちで血を流して獲得したものでもないし、まだまだアマチュアの域かな。? 
ドイツの女性の首相(メルケルさん)いざとなったら格好よろしい。毅然とした主張にさすがだと思うことが多い。信念を感じる。
コロナ騒動はまだまだ続きそう。
マスクはちらほら巷でも買えるようになってきた。もう少ししたら在庫で余りだすのかもしれない。
日本製が手に入りだしたから。

2020/05/05

写楽 閉じた国の幻

 
コロナのおかげで時間が出来てしまった(連休と重なっていてももう何曜日かなんの祝日かも分からない。今日が憲法記念日?いや子供の日??)ので、長い間積んである本を片っ端から読んでいる。
一応、「ビートルズ」、「ビーチボーイズ」、「ケネディ」、「新選組」、「村上春樹」それに「写楽」という名前がついている本であれば、チェックして良さそうなら買っている。最近は便乗型の本も多いから気を付けております。特に昨今の村上春樹の便乗本は目に余る。ほとんど駄作。
で、このミステリーの巨匠である島田荘司さんの「写楽 閉じた国の幻」という本、10年間積んだままでした。今回一気に読む。
島田荘司さんのミステリーは有名すぎて(今更読んでもなあと思うことが多く)結局今まで1冊も読んでいない。こんな人が写楽について書くのだろうか??あとがきを読めば長い間温めていた題材らしい。
正直な感想ですが、どこまでが本当でどこからがフィクション??まあそんなことはどうでもいいです。結論は面白かったし、なんかなんとも言えない感動がありました。こういうアプローチね。理にかなっている感じがする。

理にかなう??

一般的に、僕らのような俗人が考えている写楽に関しての疑問は多分次のようなことだと思う。

1 写楽はいったい誰か? 誰かのペンネームか??
2 なぜ すぐに消えてしまったのか?
3 写楽の作品は4期まで分類されるが、すべて同一人物が描いたのか?
4 第1期の大首絵のアイデアは誰のものか?

1の写楽とは誰か?という質問にはほぼ回答が出ていて、正直あんまりミステリアスでなくなった。
ちょっと残念な気がしている。もう完璧みたいだから決まりですよね。
2~4の回答には蔦屋重三郎が絡んでくるのだろうと個人的には思っている。
1の人物に4の「1期の大首絵」の大胆な構図が浮かんでいたのか疑問な気がしていて、意外と島田荘司さんの小説の方が「そうかも」と思ってしまう。日本人の発想を超えていると思うのも当然のような構図です。

写楽の浮世絵は出た時は売れなかったらしいです。これはさすがの蔦重の眼力も外れたということでしょうか。
調べてたら、すごく売れたと書かれいる本もあって、個人的には売れたと思っております。売れてないと何種類もの同じ絵があるはずがない。売れたから増刷(追加で摺るからちょっとずつ違うはず。完全に同じものは摺れないと思うから)している。

僕の小さいころ(昭和30年前後)、毎年発売される記念切手シリーズに趣味週間記念切手というのがあって(今もあるみたい)、歌麿や写楽の切手がありました(有名な「月に雁」「見返り美人」もこのシリーズ)。当時は浮世絵画家ばかりだったような記憶がありますがなんせ小学生の頃の記憶です。
この時は小さいながら圧倒的に写楽の切手に存在感を感じて、もうこれはめっちゃ有名な画家なんだと思っておりました。
写楽は海老蔵だったですね。