2021/03/31

井上あさひ アナウンサー


 

歳と共に眼球の焦点距離が合わなくなって(要は老眼)、机に座ってPCの画面を見ているのが一番目が疲れない。リビングに行ってテレビを見ようと思ったら別の眼鏡が必要になってきた。それで面倒やし、わざわざ見るほどのテレビ番組もないから、PCでテレビを見れたら楽だなと思い出したのが、ちょうどコロナ騒ぎが始まる昨年の4月くらい。
別にテレビがなくても全く困らないけどニュースだけは見たいなと思っていたら、NHKは見れそうだということが分かった。ちゃんと毎月払っていることが条件ですけどね。
ちゃんと払っているからOK。
それで、NHKのニュースばかり見てたら、当たり前ですけどほとんど重複して放送されて、新しいものが追加されて、ニュースバリューが落ちたものが削除されていく。
19時に見て、21時に見て・・・段々面倒になって、最終的には23時15分からスタートしていた「ニュースきょう一日」というのは欠かさず見てしまうようになった。これならざっと見れるから。それから詳しく見たければ、21時とか19時のを再度プレイバックできるので便利な世の中になった。
「ニュースきょう一日」は「井上あさひ」さんという賢そうなアナウンサーが毎日勤められて、こう毎日顔を見ていたら放っておいても親近感がわいてくる。
楽しみに見ていたら、先週で終わりということ。ガーン!!、なんでや毎日みてるんやで。
まあ仕方おまへん。
話は変わるけど、NHKに反対の政党があったり、放送料金不払いを主張している人がいたり、まあ主義主張は自由ですけど、NHKを税金で賄わず国民から徴収することの意義には僕は賛成で、それほど悪い制度でもないと思って見てました。
「国営放送」なんてものよりずっとまし。
21時のニュースでも有馬さんが菅さんを怒らせていたし、NHKは忖度してない感じでしたけど。
井上あさひさんが番組の最後に毎日「貴方の明日がよい一日でありますように」というのが「売り」で、この言葉を聞くと次の日が訪れるという感じでした。たまに言わない時があるとなんか意味があるんかなと勘繰ったりして・・。
まあとにかくご苦労さんでした。今度は日曜討論会を担当されるらしいけど、あれはなんか茶番劇みたいで多分見ないと思う。








2021/03/28

A LONG VACATION


 大滝詠一の「ロング・バケイション」が発売されて40年ということで、上記のような特集が出ている。正直、またですか?という感じでペラペラとめくって、また適当に暇つぶしに全部読んでしまうのだろうと思っている。レコードはもちろん出た時に買ったけど、CDもなんか気が付いたら数枚ある。なんか20周年記念盤とか30周年記念盤とか出るから買ってしまう。でも聞くのはいつ入れたのか分からないPCに入っているものばかり・・・。
今回も40周年BOXセット、もう多分50周年もでるからそれまで待つかな??(生きてる?)。とはいえ貴重な音源があるみたいで結局購入することに。
僕の好みは、結局、「恋するカレン」「FUN×4」「さらばシベリア鉄道」の3曲に尽きて、「恋するカレン」は大滝詠一が何を思ってこれを作ったのかはさておき、僕にはデビー・ワトソンしか思いつかない。「カレン」という青春ドラマで主題歌をビーチボーイズが歌っていたけれど、レコードは何故か出なかった。それでどういう訳かサファリーズが歌う「カレン」が主題歌のような顔をして発売されてそこそこヒットして、それで日本にやってきた。このグループ、アメリカでは「ワイプアウト」という大ヒット曲を持っているのですが、その「ワイプアウト」は日本ではベンチャーズの十八番で、オリジナルが正当に評価されないという当時の事情が面白いです。日本で演奏したら「ベンチャーズの真似してる」となるわけです。蛇足ながらビーチボーイズのカレンの入っているCDは高いです。オムニバスしかないかも。もう一つ蛇足、ベンチャーズはカバーもんがオリジナルより上手かったです。
次の「FUN×4」はビーチボーイズの「ファン・ファン・ファン」(これはFUN×3になるわけ)のオマージュ作品というか最後にそのまんま歌ってますから。僕も大好きな作品。ビートルズがアメリカのチャートに入り始めたころ(1964年2月)のライバル。親父の車を無断で借りて町をぶっ飛ばそうぜという歌だったような。当時のビーチボーイズの歌はほとんどこういう歌です。それでブライアンは悩みだす。こんな歌ばかり作っていていいのかビートルズはもっと先に行っているのに・・・とかね。
「さらばシベリア鉄道」はスウェーデンのスプートニクスのイメージ全体のパクり?
スプートニクスのドラマーがジミー・ニコルで、昔リンゴスターが確か扁桃腺炎でドラムをたたけなかったときに代打でビートルズの一員でツアーに出たことがある。ジミー・ニコルはそればかり聞かれて辟易してたけど。(ジョンにいじめられたと冗談で云っている??)
スプートニクスと思って聞いていると、頭の中にジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」も出てくる。プロデューサーがジョー・ミークなんで大滝さん好み。ジョン・レイトンは映画「大脱走」にも出ている。チャールズ・ブロンソン、デビッド・マッカラム、この2人より大物がいっぱい出てる映画これも1963年。ジョー・ミークは他に全米No.1の「テルスター」のトーネドーズと意外なリバプールサウンドのハニーカムズ(これってどこがジョー・ミークっぽいのかな?)、ただここにえっと思うフレーズがあってここまで聞きこんでたの!!!という隠し味も。




2021/03/22

最近の uni-ball


 

大学を出た時、車か電気の会社に行こうと思っていた。
金融系は多分嫌気がさすだろうし向いていないと思っていた。製造業なら当時(1970年代前半)では車産業はまだ伸びる、電気(家電)もまだまだと、何にも知らない頭でそう考えた。
じゃあ、車が好きだったのかと問われれば、入社間近に免許を取ったくらいで、それほど車が好きだったわけでない。勤める以上、当時は多分定年までいるだろうと思っていたから(時代がそうだった)、辞めるまではつぶれないだろうと思ったまで。
それで、若い時に好きな会社に行ったらよかったと思うときが時々あって、好きなという定義にもよるけれど、好きなものを作っている会社と言われたら、文房具会社に行ってみたかったなあと思うことがよくあった。パイロット万年筆とかペンテルとかね。関西には「コクヨ」という有名企業もあった。
ただ、当時、就職が好き放題(完全な売り手市場)できたので、文房具会社は全体的には小さな会社に属して、車会社との比較(売上とか利益・・)すれば候補にあがらなかった。

最近の文房具の話
もう発展しないと思っているボールペンですが、三菱から色んなものを出てくる。
ジェットストリームで決まりと思っていたら、どんどん新作が出る。
値段も手ごろなんでつい買ってしまう。必ず3色(黒、青、赤)セットで。
上からuni-ball AIR、真ん中がuni-ball signo 0,38、それで今話題のuni-ball signo 307。
使い切らんのですけど。真ん中の0.38のは、ライムグリーンとオレンジのも好きで使っているし。
まあ楽しいです。





2021/03/14

SANTANA 1~3


 



数多くのサンタナの作品からベストと言えるものを選ぶのは50年以上の経歴の中で時として変幻自在で広範囲のジャンルの音を提供してくれているから非常に難しいですが、やはりロックとして考えたらデビューからの3枚に尽きると思う。
それと当時のレコードのジャケットが秀逸、2枚目と3枚目は見開き。1枚目も隠し絵で初登板とは思えない。
この3枚は、もうラテンロックそのもので、6人編成で打楽器3人、ギター、ベース、キーボード各1人という、当時としたら異例(今もですけど)、ギターはサンタナだけです。
一般的なリードギターとリズムギターのパートを一人でこなす。
そのかわり、打楽器3人のパワーは凄い。ドラムのマイク・シュリーブはウッドストックでおなじみですけど、残りの2人も凄い。
マイク・カラベロとホセ”チェピート”アリアス、特にホセ”チェピート”アリアスは風貌がもう何とも言えない雰囲気で、この人の演奏風景は絵になります。




2021/03/13

イギリスについて考えてみた-奴隷貿易の話まで

たまたまキャメルの後期の名作の「HARBOUR OF TEARS」を聞いて、時間があるからこの作品を思いついた背景を調べてみた。アイルランドからアメリカへの移民。それもどうも前向きの移民でなくアイルランドにいられない云々という悲話。
それで、イギリスの歴史を読んでいくと、当初、アメリカにはイギリスからピューリタンとかがまず入植して、インディアンとも交流があって感謝祭が生まれという美談が残ってますが、実はそう綺麗ごとでは済んでいないのがこの世の中で、調べていくちに、アフリカから黒人を奴隷として連れてきてしこたま儲けたのはイギリスであったらしい。そこまではこの年になるまで知らなかったです。「三国間貿易」というらしい。アフリカ・アメリカ・ヨーロッパという3つの国。
下の本を読んで、ざっと思ったことは、イギリスの話から外れるけれど、ヨーロッパの列強による覇権争いで後半イギリスが勢いづく・・という話はさておき、奴隷貿易はもうヨーロッパ中の国が率先してやっていて暴利を貪っていたわけです。
それが奴隷廃止運動で終わってしまう。ちょっと不思議なんですね。今の二酸化炭素撲滅運動を思ってしまう。俺とこはまだ断固として奴隷貿易を続けるぞと言い切るところはないわけ。もうちょっと調べてみようと思います。

 


2021/03/09

MUSIC MAGAZINE 2011.09号

僕は1969年の7月号から「NEW MUSIC MAGAZINE」(のちにMUSIC MAGAZINE)をずっと購読してきて、多分2015年で購読をやめたのだと思う。
正直、書かれてあるアーティストのCDを買うことも全くなくなったし、読もうと思う記事もほとんどなくなったから。その頃は、MUSIC MAGAZINEとRECORD COLLECTOR'S MAGAZINEの両方買っていた。それで後者の「レコードコレクターズ」のみに。もう新しい音からおさらばしたわけ。気分的にすっきりと寂しさが。でもどう考えても60過ぎて新しいのは無理、興味が湧かなかった。

その後、親の実家を処分した時に、もう倉庫代わりの物置が亡くなるので、かなりのレコードと本を持って帰ってくるから、こちらの本を処分する時に、悩んだけれど、「NEW MUSIC MAGAZINE」の名前のものだけ残してあとは処分(初めは古本屋に売ったけど、あまりにも値段が安いので気分を害して、もう途中から付き合って気持ちの良かった古本屋さんに寄付)した。その方が気持ちがスッキリした。

それで、今になって(70になったから)、コロナ禍とぼちぼち徐々に仕事を減らして置いてある昔の雑誌を読み返して何か書こうと思っていたから、ちょうどいいタイミングだと思って、「NEW MUSIC MAGAZINE」の創刊号からじっくりと読み直して、その頃の事件とかもネットで調べて、僕の19歳以降の時代の頭の中を再構築している。

ロックの理論づけを考えると、どうしても創業者「中村とうよう」さんが出てくる。亡くなった時の遺書?が2011年のMUSIC MAGAZINE9月号に載っているということを今頃知る。僕は上記のロジックからすれば持っているはずですが、なんせ大量の本を処分するのに頭がいっぱいだったから手放しているわけ。
そんで、あほみたいに自ら手放した本を古本屋から購入する羽目に、定価700円でこの時期のものは普通は300円くらいなのが、この9月号だけ2000円以下では買えない。ここが古本屋さんの真骨頂なんでしょうね。
仕方がないから購入。まっさらの本を手放して古本をプレミアつけて買い戻す??あほか。
10月号は手元に置いてあった。表紙に「追悼 中村とうよう」って書いてあったから。
何故か12月号も置いてある?「パフューム」特集だったから?我ながらズッコケました。


 

2021/03/04

中村とうようさんの「フォークからロックへ」


 
ニューミュージックマガジンを読みだした翌年(1970)になんとか大学に受かり、一応無難な経済系の学部に入ったものの、その頃は「音楽評論家」(みたいなもの)になりたいと思っていた(だいそれた考えです)。
それで当時の目標は「中村とうよう」さんで、恰好よかった。学歴は京大で、一流銀行をドロップアウト、信念ありそう、時流に乗っている、ボブディランをはじめ先見の目がある、企業(出版社)を起こしている・・・等々。
具体的なあこがれではないけれど、僕自身が歌えない(音痴)、楽器弾けない(音痴・鈍感)、ただ文才はあるかもしれない(作文コンクールには何回か入賞していた、但し小学校の頃)ので書けるかもしれない。こんな思いからまずこの周辺の本を読もうと思って集めだした。
それで、まずアップした「フォークからロックへ」という小冊子を読み始めた。出版元が「主婦と生活社」というロックとどういう関係があるのかようわからん会社から出ていて大丈夫かなと思いつつ、ちょっと違和感を感じながら読み始めました。
僕はビートルズから1967-69年の「ロック時代」に導かれてきたわけですけど。とうようさんはボブディランに導かれてきたように思えます。(その導線も多いように思います。忌野さんとか、岡林さんとかハッピーエンドとかも僕にはそう思える)
先日、どっかのブログで萩原健太さんが「ロック」という現象は1967-69年の3年間だけの一瞬の現象のように思う云々の記事を読みましたが、「なるほど」その通りかもしれないと今頃(何年経ってるんや!)実感として感じた次第。その3年間の「幻想」が今も残っている。
この1967-69年の3年間という時期に「生活様式」「思想とも呼べないちょっとした考え方」等々、百花繚乱入り乱れて「ロックの時代」を形成してきたわけです。
音楽的にはロックンロール、フォーク、ブルース、クラシック・・要は何でもありだったように思う。
とうようさんは、当時はことのほか「ブルース」に愛着があったらしく、「ニューロック」「アートロック」で僕たち引き寄せて、ブルースに開眼させようと思っていたみたい。僕は正直、ブルースにそれ程入れ込むことがなくって、ツエッペリン程度にちょこっとブルースっぽいのが好きで、もろ「ブルースです」というのは苦手だった。ロバート・ジョンソンも聞いたし、なんとかキング(何人かいらっしゃった)、マジック・サムとかも聞きましたが、変な言い方ですが、本物より白人の偽物の方が心地よかった。だから本物と言われるブルースのレコードはあんまり持っていない。
脱線しますが、ウォルター・ヒル監督の「クロスロード」という映画で「ロバート・ジョンソン」が録音に来るシーンなんかはドキドキして見てましたけど。あのシーンはいいですね。この時のスティーブ・ヴァイは若い。
今から考えたら、この1967-69年の3年間だけの一瞬の現象がずっと後に人生に影響してくる。どういうことかと考えてみると、人間は言葉には表せられないそれ以上の「何か」があると信じてしまった。どうもこれがいけない。これがすんなりと生きれなかった要因ではないかと、「ニューミュージックマガジン」の影響は多分にありそう。

2023.02.18追記 当時のとうようさんの考えの真髄
・・・・では、人間の頭の中を変えるとはどういうことか。私有財産制度に基礎をおくあらゆる既成道徳観、価値観を捨て、まったく新しいモラルを作り出すことだ。そのためには、他人の物を盗むとか、暴力をふるうとか、貞操を重んずべしというようなあらゆる道徳律から、美しい音楽がよい音楽だといった価値判断の基準まで全部ひっくり返し、人間の情念のパターンを一新せねばならぬ。
そういう、人間の根底から変えるような方向に沿った音楽は、ロックしかない。お説教めいたフォーク・ソング、プロテスト・ソングではダメなのだ。・・・・僕は実感としてそう思わざるを得なかった。・・・・・
「フォークからロックへ」(主婦と生活社)164ページ。






2021/03/02

NEW MUSIC MAGAZINE 1969 5-8




 1969年の4月号から発行されたこの本は今も続いていて、考えたら奇跡に近いと思っている。どう考えても10年もつかなと思っていた。
2019年に50周年を迎えるのを記念して、創刊号を2019年4月号の付録に着けて、1969年の5から8月号と9から12月号の4冊ずつをひとまとめにして販売した。面白いことを考えたものだ。買う人間がいたのだろうか?
僕は、当時7月号から買いだして、ずっと古本屋に行けば探していたけれど結局見つからなかったので、5月号と6月号がある上記の別冊を買い求めた。
先日から、コロナで時間もあるので4月号から読みだして。さすがに52年も経てば当時分からんかったことも(当時は難しかった)ある程度というか、今読めば意外と幼稚な文章が多い。
その中で1969年9月号に「矢部波人」という人物の「アメリカ文化革命におけるロック」という記事があって、どうも他の評論家さんたちと異質な文章(レベルがけた外れに数段高い)でこんな文章書く人ならさぞ有名な評論家になっておられるだろうと思ってネット検索したら。驚きました。
「青木昌彦」!!!さんのペンネーム?
ちょっと待ってよ。あの経済学者の!!!しかも超高名な!!!
学生の頃(60年安保)学生運動で逮捕されて、その後マルクスでなく近代経済学路線へ、しかも研究成果バッチシ、一時はノーベル賞有力候補とも言われていた。
こういう人だからヒッピーの時代のサンフランシスコ文化にも興味があったわけですね。
でも、経済学者さんとして活動(研究)されていたはずで、マイク・ブルームフィールドのお父さんが市長だったとかそういう類の情報も仕入れているのがなんとも恐れ入ります。
他にも、単なる興味以上の情熱を当時の若者の状況について持っておられたのを感じるのです。ひょっとしたらこういう社会改革もあるのかなと密かな思いをお持ちではなかったかと勝手に思っております。そうでないとたまたまあの時期にサンフランシスコにいただけでなんぼ賢くてもあそこまで書けないでしょう。
あと、植草甚一さんの文章も味があって、あの時期には分からなかったことが50年経って新鮮に読めております。





NEW MUSIC MAGAZINE 1969年4月号(創刊号)


 

ロックに市民権をという目的があったのかどうか知らないけれど、僕にとってはバイブルみたいな雑誌が1969年の3月に発行された。
当時、僕は「浪人」を余儀なくされていて、実際に買ったのは7月号からだった。何気なく近所の本屋で見つけた。「けったいな本やな」と手に取ったら、新しく出るレコードを百点満点で評価していて斬新なアイデアだった。さらに当時、ものすごい量のニュー・ロックと呼ばれていたレコードが発売されて、情報に飢えていたからニーズにピッタシの企画だった。
買うお金もなく、しかも受験生ということでこの本を読んで「どんな音やろ?」と想像の世界に浸っていた。
それで、この創刊号の表紙のミュージシャンはいったい誰だ??
顔は7人写ってます。4人組と3人組?それとも7人組?
この時代のミュージシャンは絶対に知っているという自負があるのに分かりません。
それで出版社にメールしてみたら、丁寧な返事をいただきましたが、もう当時のことを知っている人がいなくって、今のところ分からないということです。
中村とうようさんは亡くなってしまったし、あとは小倉エージさん?
コロナの関係でリモートワークらしく、落ち着いたら調べてみたい旨の返事をいただきました。
どなたかご存知でしたら教えてください。思いつくままに調べましたがヒットせず。
ヴァン・モリソンのゼム?
ニューヨーク・ロックンロール・アンサンブル?
でも女の子が写ってます。当時、ジャニスとグレイス・スリック以外で??コールド・ブラッド?、イッツ・ア・ビューティフル・デイ?
1968年には活躍しているはず。