2015/02/28

CLOSE TO THE EDGE

YESの究極の名盤。邦題を「危機」という。
デビュー当初はそれほど目立たなかったけれど、「こわれもの」というやや実験的なレコードを出して、ロジャー・ディーンのジャケットも話題になった後の1枚でした。
本当かウソか知らないけれど、パンクロックに時代になったころ、ロック痛の友達が、このイエスの「危機」が引き金となってパンクの時代になったんだとのたまってました。
なんで??
こんな演奏されたらだれも無理だと思うでしょ!!
そしたら演奏力はさておき気合で勝負するしか出来ないでしょ!!

CDを聞く都度「さもありなん」と思うことが多い。
元は全3曲で、3曲ともいい出来です。
この後に出た「イエスソングス」もいいです。僕は大阪の厚生年金会館で見た。
ジョン・アンダーソンが「さくらさくら」を歌ったのには驚いた。

2015/02/25

CRIMSON & CLOVER

こういう曲もあって、これも大ヒット。
いまから考えたら摩訶不思議なバンドだった。
なんというか50年近く経ったいまでもこの歌のフレーズが何の気なしに出てくる。「オーバー&オーバー・・・・」ってね。この不思議さですよね。ヒットしたのは。
まあ今では、ランナウエイズよいうよりジョーン・ジェットの歌としてのほうが有名かもしれない。
でもこれは男が歌う歌だったように思うけれど。

2015/02/24

CRYSTAL BLUE PERSUASION

1968から69年という時期はポップス界にとって大きな変動の時期で、それまでのアーティストというよりまあヒットに恵まれたバンドのなかで、まあ演奏がうまいとか作曲能力があるとか、いわゆる才能がある人材が生き残るという「ROCK」の時代になっていく。
この「ハンキーパンキー」とか「モニーモニー」とかという実に単純なヒット曲でというかそういう曲しかもっていなかったこのトミー・ジェイムズ&ションデルズは当然淘汰される側だと僕は信じて疑わなかった。それにもかかわらず、実力派とまではいかないけどしぶとくヒットを出す。さすがに連呼路線ではなくなってましたが。

2015/02/23

MONY MONY

こういうのもある。もともとトミー・ジェイムス&ションデルズのはずなんですが、なぜか日本はシャンデルズと書かれていた。ほんまかどうかわかりまへんがションデルズではいくらなんでもまずいだろうというレコード会社の判断だったという記事を雑誌で読んだことがある。(なんで??)
この曲も軽快で大ヒットした。実に単純なノーテンキ路線。こういうのって好きでしたね。
「モニーモニー」って叫んでるだけ・・・です。

2015/02/21

ハンキーパンキー

最近は「ハンキーパンキー」で検索したら女性の下着が出てくる。こういうのは困る。ただもう知らない人が圧倒的に多いヒット曲ですからね。仕方ないです。アメリカNO.1のヒット曲なんですが。1966年ですから大方50年前。
このグループ意外と長続きした方で一発屋ではない。全米トップ10以内のヒット曲もかなり持っている。ただ昔ベスト盤のCDをアメリカから超廉価版を買ったら、さすがに飽きた。

2015/02/19

THE BOX TOPS

「あのこのレター」(だったかな)それとも「あの娘のレター」(これであのこのレターと読む?)だったかな。まあボックストップスというグループがぶっかました大ヒットです。
一発屋でもないけれど(他にもちょっとヒット曲がある)、まあ一発屋さんですね。
今ではジョー・コッカーの歌のほうが有名かも。

2015/02/17

悪魔とモリー

ミッチ・ライダーとデトロイト・ホィールズというバンドが歌って大ヒットした。
ニューロックの時代まで生き残ったかどうかは忘れてしまったけれど、この曲はいつ聞いてもいいです。特にグッド・ゴリー・ミス・モリーに変調する瞬間がたまらない。
これって二つの曲が合成されているんですね。グッド・ゴリー・ミス・モリーはもちろんリトル・リチャードの歌ですし、では片方は??これはオリジナルだったのか?
確か「青いドレスを着た悪魔とグッド・ゴリー・ミス・モリー」という原題だったはずで、どういう意味なんだろう。流行っていた当時は歌詞の内容なんてどうでもよかったけれど、この年になって気になってきた。実に遅い反応である。
でもよく考えたら、彼らの初めのヒット曲も「CCライダー」と「ジェニジェニ」を合わせた曲だったし、もともとこういう構成が得意だったのかも。
コアなファンはいるの思うけど少数なのと、レコード会社が弱小だったのか、こういうバンドは忘れられていきますね。
あとトミー・ジェイムズとションデルズとかサム・ザ・シャムとファラオズとかね。ああ懐かしい。

2015/02/16

この子は誰だ?

どういう人生がいいのかよくわかりませんが、「〇〇っていうかわいい子がいたよなあ・・・」って年寄りのオジサン連中によって毎回噂されるっていうのも実に幸せではないかと勝手に思ってます。
まあ同年代が集まって昔話になると、今も活躍している女優さんとか、誰々の奥さんになったとかというまあ存在がわかっている方々はさておいて、いつも出てくるのがこの女の子「恵ともこ」さん。
あっという間にいなくなった気がする。
「ピンクの口紅」っていうシングル盤がありました。
いまは何処へ???

2015/02/15

日経

日経をインターネットで見れるサービスに入っているがIEで見れないことが多く、実に不愉快なことが多い。詳しく調べれば、オプションのSSLを外せとか指示してくるが、それをすれば銀行のオンラインバンキングができなくなったり、正直、日経はIEで見ないようになった。
クロームなら楽々見れているが、主流はIEなので見る機会が減っている。毎月デジタル視聴料を4000円くらい払っているが、元は取れていない感じがしている。
日経さんが何とかしてくれないと、銀行のセッテイングを触るのは怖くってできない。優先順位は日経が下なので、このままでは日経の4000円を断ることになる。

こういうジャケット

こういうレコードのジャケットが流行ったというかうけた時代があった。1960年代後期?ジャズまで(特に日本のジャズまで)は手が出せなくて(お金がない)集めだしたのはずいぶん経ってから(時はすでにCDの時代)でした。
当時は正直うまいのか下手なのかもわからず、周りに対する格好よさだけで聞いていましたかね???
今もってやっぱりわからないというのが正直なところ・・・ですがJAZZがわかるってどういう概念??なのでしょうか?
でも時々懐かしくって聞いています。それでいいのかなと思ってますが。

GODGILLA 2014

映画館で観そびれたので早速借りてきた。
正直ムートーとの因縁はよくわからない。けんか相手???
最後は人類の味方みたいな感じで終わる。
僕はこの前のアメリカ版のゴジラも好きだったのですが・・・。
こっちのほうが日本的(人間的)かなと思えました。
嫌いではないですが、相手(ムートー)の方にもうちょっと怪獣的配慮というかなんかCG丸出しの怪獣で面白くなかった。

SHEENA & THE ROKKETS

シーナ&ロケッツのシーナさんが亡くなったみたい。僕はそれほどのファンでなかったけれど、初期の3枚くらいは持っている。日本のロックが僕をワクワクさせてくれた時期の一つのバンド。結構長い間活動しているなとはいつも思ってました。お疲れ様でした。合掌。

COSMOS MOMOE

何回かこのレコードはいいよって書いたことがあるけれど、最近またよく聞いている。結構練られた作品で僕は邦楽のほうはあんまり詳しくないので、多分実力派が集められたのだと思う。
この中に「宇宙旅行のパンフレット」という作品があって、まあ宇宙旅行の案内が歌われているのだけど、「月賦でもいいですよ」という内容の歌詞がある。宇宙旅行の代金を月賦で払うということです。百恵ちゃんが「月賦」という言葉を口にするというのも面白いけれど。
このレコードの発売は1978年でこの時期はまだ「月賦」という言葉が若い人の中でも理解されると思われていたことになる。今なら「ローンを組む」という表現でしょうか?
「月賦」というマジックで物が特に耐久消費財が売れ始めたのは多分テレビからだと思う。
僕の親がテレビを買ったのが昭和33年で、その時の価格が5万円程度で親の給料が5万なかったというように記憶している(子供ながらに心配で聞いた)。「月賦やから大丈夫」だと父親は言った。子供ながらに「月賦というのはなんかしらんがええもんや」と思ったのを覚えている。
借金はあかんけど月賦はええ・・という変なか家訓がある家もあるくらい月賦は普及した。
経済が大衆の中でも実体を離れて膨張しだすきっかけのように感じている。

2015/02/14

ホテルメイツ

 
久しぶりに品川に泊まったので昔勤めていた会社の東京営業所の跡地(マンションになってました)あたりをぶらついてきた。昔出張で行っていたころは、営業所の近くに「ホテルメイツ」という実に
安いビジネスホテルがあっていつも満席で出張が決まったらすぐに予約しないと他の高いところに泊まらないといけなかった。実費を会社から支給されるというシステムでなく、東京はいくらというルールだったので支給される金額より安いところに泊まれば泊まるほどお小遣いに余裕が出るということで、メイツにはお世話になった。今回調べたら、老朽化で、まず貸しスペース屋さんになって、ついに廃業されたようです。
当時は本当かどうか知らないけれど、この建物は当時の女優の和泉雅子(知っている人いるかな?)の持ち物で最上階に住んでいるという噂だった。
そういえば、北極に行った時の写真が貼ってあったのを思い出した。しかしなぜ和泉雅子は北極に行ったのだろう???そんなことは覚えていない(当然)。

2015/02/11

昔のレコード屋さん

もうレコード屋を知る人も少なくなってきた。
学生のころは結構本気でレコード屋をやりたいと思っていた。好きなレコードを置いて、それが売れて生活ができるというのは実にすばらしいことだと思っていた。本当の社会というか経済活動はそれほど甘くはないことを当時は全く知らなかった。
好きなことをして生活ができる・・・という夢を誰もが持っているけれどなかなか実現は難しい。
アップしたのは昔行ったことのあるサンフランシスコのレコード屋さんで見てるだけでも楽しそうなのが並んでいる。

2015/02/10

雪がちらつく

今日も雪がちらついていた。大阪市内でちらつくのは珍しい。
アップしたのはお正月の僕が住んでいる某田舎町の光景。
だれが作ったのだろう。

2015/02/09

日曜はダメよ

子供のころ「日曜はダメよ」という曲が流行った。映画もヒットしたみたい。みたいというのは見に行ったわけでないから。大人になってDVDで見た。こんな映画ようヒットしたなというか「いい映画」なんですが、こんな映画の主題歌をよう子供が口ずさんだものだと無邪気さにあきれたというか不思議な気がした。ギリシアの海の男相手の娼婦さんのお話です。娼婦がプライドを持った立派?なビジネスの時代です。

2015/02/06

TOPKAPI

トプカピという映画は僕にとってはかなりのランクに値する作品ですが、一般的にはそれほど評価が高いというわけでもない。面白いですけどね。特にポアロ探偵で有名なピーター・ユスチノフの演技はなかなかのもので、彼はこの役で2回めのアカデミー助演男優賞をもらっている。
でも今から考えたら、一羽の鳥でこの犯罪は水泡と消えるわけですが、ちょっと釈然としないなあといつも思っている。

2015/02/05

トルコ

トルコっていえばこのトプカピ宮殿しか知らないのですが(他に知っているとすれば007のロシアより愛をこめてのみ)、この映画は面白かった。
確か1964年の暮れに見に行った。以前にも書いたけれど、たまたま某都市銀行の支店長の息子と同級生だったもので、なんというか親の名刺を見せたら入れてくれるという実に古き良き悪しき慣習が残っていた時代で彼のおかげで随分とただでいい映画を見ることができた。
このトプカピという映画は、あとでギリシアの大臣にもなるメリナ・メルクーリが主演の女泥棒の話で要はトプカピ宮殿の中の宝物をいただこうというお話。アップしたのは当時のパンフレットの表紙で上から宙吊りのシーンが載ってますが、上から宙吊りで降りてきます。なんかこういうのって後のミッションインポッシブルにもあったなあと思うのですが、パロディなのかな。
メリナ・メルクーリが主演なのですが、助演のちょっと間抜けな仲間(仲間に入れられてしまった)のピーター・ユスチノフが実にいい感じの演技である意味彼が主役ともいえる。彼はこの作品でアカデミー賞の助演男優賞をもらっている。
偶然かも知れないけれど、1964年に007の「ロシアより愛をこめて」とこの「トプカピ」という映画がトルコのイスタンブールをロケ地にして撮られたのは不思議な因縁を感じてしまう。

2015/02/04

巻き寿司

なんかいつの頃か分からんけれど2月3日に巻き寿司を食べるようになった。好きだから別に困らないけれど、誰が仕掛けた??という疑問には結構明確な答えがあってほぼ一致している。まあコンビニ屋さんが仕掛けたということらしい。
先日そんな話になって、大阪の住吉あたりで幼少時代を過ごした方は、子供のころからずっと「恵方巻き」は食べてるということで、どうも大阪あたりの慣習みたい。
僕は京都生まれですが節分は豆まきとイワシだったから。イワシより巻きずしの方が僕はいいけれど。
ただバレンタインもチョコレート屋が仕掛けて、巻きずしはコンビニ屋が仕掛けて、どうも仕掛けられやすい国民であります。ハロウィーン、イースター、さらにはリオのカーニバルみたいなサンバの大会までやってますもんね。

2015/02/01

ROCK?

今日は珍しくFMラジオを聞きながら車を運転した。そしたら驚いたことにピンクフロイドと四人囃子と頭脳警察を続けてかけますという。こいつ何者やねん?と思ったけれど、まだこういう曲をかける番組があるのだという驚きが一番だった。特に頭脳警察ってまず放送媒体にはのらないと思っていたのでびっくりした。それにかかった曲が「銃をとれ」ですよ。大丈夫なんかなと思った。
もうそんなにかりかりして聞く人もいなくなっているのかもしれない。
昔、同志社大学の講堂で見たときは衝撃だったですが。

AHDN

AHDNという略号でビートルズの1作目の映画ということになるらしい。知らんかった。
まあ「A HARD DAY'S NIGHT」の頭文字ですからそのままですが、こういうものまで略号はいらんのではと思いますが。4人とポールのおじいさん役だった俳優さんとの撮影の合間のスナップというところでしょうか。時は1964年の春ということです。この頃の写真はいつ見ても楽しくなる。人生で一番わくわくしていた頃だった??