2021/08/27

初期の THE ROLLING STONES

 


ローリングストーンズの初期のレコードも本国のイギリスとアメリカではかなり違っている。日本での発売もオリジナルのままで出されていないから、当時のこの業界の「いい加減さ」?が露呈している。
会社が勝手に手を加える作業をして、オリジナルというか、作品としての価値を尊重しない??多分作った方も売れればいいから勝手にやってよという時代でしょうから、それほどこだわりがなかったのかも。
僕がストーンズを聞いたのは、記憶によれば1964年の10月頃で一番下の「テル・ミー」だった。かなりの人がこの曲でストーンズを知ったと書いていて、この曲が日本での1枚目だったのかなと思って調べたら、なんと4枚目だった。あのころ毎日レコード屋に寄っていたから知っているはずと思っていたけれど意外だった。東芝ばかりに目が行って、ロンドンレーベルなんて大したグループがいないと思って真面目に見ていなかったからでしょうね。
で、ストーンズの日本の1枚目は、ビートルズのレノン・マッカトニーの「彼氏になりたい」だった。イギリスでは「カム・オン」、アメリカでは「ノット・フェイド・アウエイ」で日本はビートルズの人気を利用したのかなと思う。
意外だったのは「テル・ミー」が日本で4枚目だったということで、発売の順番は
1.彼氏になりたい 1964.03
2.ノット・フェイド・アウエイ 1964.
3.イッツ・オール・オーバー・ナウ 1964.08
4.テル・ミー 1964.09
5.タイム・イズ・オン・マイ・サイド 1964.12
この後は、
ハート・オブ・ストーン、
ラスト・タイム、そして極めつけ不朽の名作である「サティスファクション」と続く、それ以降は怒涛の快進撃が続くことになる。
多分ですが、この後はイギリスもアメリカも日本も同じなんだろうと思う。
それで、一枚目のイギリス盤である。
何処にもローリングストーンズの名前がない。レコード会社の「DECCA」だけである。きわめて珍しい。当時の状況でよく出せたなと思う。マネージャーだったアンドリュー・ルーグ・オールダムの必死の働きかけで実現したらしい。今から思えば多分にビートルズのウィズ・ザ・ビートルズを意識している。結局このストーンズの1枚目はビートルズのウィズ・ザ・ビートルズを蹴落として首位の座を奪ってしまう。それから長期にわたり君臨して、1964年のアルバムチャートはビートルズとストーンズの時代になっていた。
この1枚目、アメリカ盤も日本盤もロゴ入り、価値が落ちる。ここはイギリス盤で持っておきたいところである。でも手に入らない。
話は脱線しますが日本のシングル盤の2枚目のノット・フェイド・アウエイ、これは多分ほとんど売れなかったと思うけれど、ヤフオクで3万円くらいの値がついた。普通は売らんけどね。
もうひとつ、1964年のイギリスのアルバムチャートの1位を調べてみた。
その頃のイギリスのレコードのLPレコードの市場なんて微々たるもので、今と全く状況が違う。
With The Beatles
The Rolling Stones
A Hard Day's Night
Beatles For Sale
以上の4枚で52週を分け合ったということ。要はビートルズ3枚とストーンズ1枚だけ。











2021/08/26

CHARLIE WATTS さん亡くなる


 

ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツさんが亡くなった。80歳。
メンバーの中で一番大人しそうで、服装がネクタイ・スーツ姿が多く、逆にすごく格好良く見えた。他が異端っぽかったからですけど。
ジャズが好きで本当はそっちの方に行きたかったのかなと思ってましたけど。
ビートルズから始まってずっとこのような音楽を聴いてきたけれど、今もってコンサートをやっていて、原形をとどめていたのはストーンズだけのように思える。中心人物がずっと居続けたから、リードギターとボーカルとドラム、途中参加のロン・ウッドはイギリスの音楽シーンではずっと知っているから助っ人という気がしないし、雰囲気もストーンズっぽいし。
一番下のライブのジャケットにもなったポスター、なぜかチャーリー・ワッツだけがモデルです。この意図は何だったのだろう?他が目立つから「お前が前に出ろ」ということだったのかなと勝手に思っている。
ということで今日はストーンズばかり聞いている。持っているCDも多いから大変。ビートルズの比でない。
ともかく、長い間楽しませていただきご苦労様でした。ご冥福をお祈りいたします。
合掌。





2021/08/20

仁鶴さん亡くなる。


 
笑福亭仁鶴さんが亡くなった。
もう最近は落語も聞かないし、お笑い関係のテレビも見なくなったから、最近どうされているのかも知らなかった。
僕らの中学・高校の頃の深夜放送の「夜明けまでごっしょに」(明け方までやっていて最後まで聞いて、仮眠して学校に行く)のパーソナリティで気持ち的には永遠の友達みたいなもの。
断片的な思い出になりますが
「郵便馬車の馭者だった??(ちょっと違うかな?)」というロシアの歌を時々披露してました。歌は上手いというよりも味がありました。僕はその仁鶴さんの歌う歌が好きでした。
リクエストが貯まると時々歌ってくれたように思います。
「寝屋川に帰ってねやがわ」放送の終わる時にこれで締めくくる。
洋楽に疎いから、クロード・チアリさんがクロード・チャーリさんになる。
「どんなんかなあ」というレコードも出していた。
ボンカレーの宣伝で大ヒット「バテとるなあ・・」の流行語も。
「3分間待つのだぞ」も仁鶴さん??
それと「結構毛だらけ、猫灰だらけ、あーたの周りは・・・・」というのも仁鶴さんから聞いたような記憶が、特に「あなたが」のところが「あーたが」になる。何とも言えない太い声で「あーた」と言うのが印象的でしたね。

有名になってもタレント活動より落語家としての道(本業)を選ばれたようで当時の他の落語家(落語家というよりお笑い芸人さん)よりマスコミへの露出度は低かったように思います。

当時、毎日放送に「ヤングタウン」というラジオ番組があって、毎日夕方に千里丘のスタジオに学生達を入れて公開で収録して、その日の夜中に放送されていた。
よくあほ連中連れだってスタジオに行きました。そういえばその頃山本リンダにも会ったことがあるわ。
その時に仁鶴さんにもらったサインが残ってます。大学ノートの裏表紙にサインと「ベンベンコーナー」って書いてもらった。
「ヒョウのようでヒョウでないベンベン、
ライオンのようでライオンでないベンベン、
それは何かと尋ねたら・・・・・レオポン、レオポン・・・」
「虎のようで虎でないベンベン、
ライオンのようでライオンでないベンベン、
それは何かと尋ねたら・・・・・ライガー、ライガー・・・」

懐かしい思い出です。
ちょっと難しい病気だったのですね。

舞台の端から走って出てきて「笑福亭ニカクンスキーです」と名乗る。・・とかね。実に楽しかった。

ご苦労様でした。合掌。


2021/08/16

アフガニスタンが大変

 

アフガニスタンが大変なことになってきた。昔のベトナムを思い出した。
あの時もアメリカが大慌てで脱出した。あの時はホー・チー・ミン率いる共産主義が勝ったということになるのかな。ただホー・チー・ミンという人物はさすがにと思える要素がいっぱいあってアメリカというかそれまでのヨーロッパの列強(要は植民地を食い物してきた連中)の敗北で、なんというか長く続いた強国が弱い国を支配するという構図は終焉を迎えたと思った。
それで今回のアフガニスタンですけど。単純な構図は消えていてものすごく複雑。
資本主義VS共産主義という構図は消えて、自由主義国家群・独裁大国(ロシアと中国)・独裁中規模国家(軍隊が統治しているミャンマーとか)・イスラム教国家群(この中には独裁者もいる)くらいに分類できるのだろうか??北朝鮮は論外。
タリバンが強くなれば、反アメリカということでロシアと中国が喜ぶということでもなさそう。タリバンの信ずるイスラム教はウイグル地区に影響を及ぼすかもしれないし、周囲の○○スタン諸国にもどのような影響を与えるか分からない(これはロシアにとって脅威)。正直、宗教が政治を決めているという文化が理解できないので見当もつかない。
アメリカについて考えれば、共和党の一部の人が唱える、昔のモンロー主義(他国のもめごとには介入しない)に戻る路線の主張が甦るかもしれない。
そうなれば日本なんか大変、アメリカさんに守ってもらう生活を76年もやってきてるのに。
それとベトナム戦争の時のホー・チー・ミンに匹敵するタリバンの指導者の顔が分からない。この人たちもテロ支持者?なのかな。
ただ、ほとんど宗教が生活に影響を及ぼさない僕ら日本人にとってイスラム教というのは分かりにくい。
アップしたのは既に崩されたバーミヤン遺跡。日本ではこの遺跡を破壊したことだけでも憤慨していたのですけど。破壊の理由が偶像崇拝を禁止するとか。
日本で言えば法隆寺を爆破するようなものか。明治の時の神仏分離令の時にでも日本人はそういうことはしなかったはず。
僕らのような小市民にとって「押しつけVS自由」の構図になるのかな。
昔、アメリカで「ダーウィンの進化論支持者」と「アダムとイブを信ずる一部のキリスト教信者」との裁判のテレビを見た記憶があるけれど、この裁判は進化論が負けた!!!驚いた。
裁判の中身はものすごく面白いです。劇みたい。立派な紳士が真面目に論争している。
例えば、アダムとイブに禁断の実(リンゴ)を食べるようにそそのかしたヘビは罰として神さんから這って進むようにされた云々、ではその前のヘビはどのようにして前に進んでいたのか???という議論が真面目に展開される。
そんな議論の結果、その時は信じられないことに進化論は負ける。
後に進化論は認められるのですが、人間って不思議な生き物だと思う。
今のコロナの主張を見ていても、立派な博士号を持っている先生方の意見が真っ向から分かれますから根本は同じか。
ある意味、戦後の76年間はものすごくいい時代だったのかも知れないなと思い始めている。
ふと今にして思うけど、宗教が入り混じって統制できない国家には共産主義って使いやすいツールだったことが分かってきた。ソ連時代には宗教紛争って思いもしなかった。
いろいろ勉強になります。



2021/08/14

ジェリー藤尾さん


 
ジェリー藤尾さんが亡くなった。前回「夢であいましょう」のことを書いたのに実に不思議なことだ。
上が大ヒット曲の「遠くへ行きたい」でこの一曲だけで食えたのではないかと思うくらいの大ヒット。
下は、こんなのがあったと今驚いている「悲しき60歳」。パラキン(当時は坂本九が属していた)の歌だと思っていたから。
懐かしい面々がジャケットになってます。1960年代初頭の頃ですね。この頃から海外の曲が気になりだしたと思う。
翻訳もんの歌では当時は森山加代子がダントツで、「メロンの気持ち」「悲しきインディアン」「月影のキューバ」等々。戦後15年くらい経過して世の中が新しい時代に変わりつつあった頃かな。
ともあれ、ジェリー藤尾さん、お疲れ様でした。合掌。

2021/08/13

中嶋弘子さん


 
中嶋弘子さんが亡くなったそうである。95歳。
もうすっかり忘れてました。
NHKの土曜日の「夢であいましょう」の司会者??カバーガール?お辞儀が印象深い。
ようわかりませんが、記憶に残ってます。職業がデザイナーさんだったということで本業はそちらだったわけですね。この番組を降りられて以降お目にかかってませんから。ほぼ60年近く忘れていたことになります。なにせこちらは中学生ですから上品な雰囲気で不思議な印象を持っていた思い出が残っております。
この番組、今月の歌とかいうコーナーがあって、そこから大ヒットがいっぱい生まれてます。そのレコード(ソノシート?懐かしい)がアップした上の方です。
「遠くへ行きたい」「こんにちわ赤ちゃん」そして「上を向いて歩こう」・・・他にもあります。
それと覚えているのは、1964年の東京オリンピックの時に棒高跳びが延々と続いて、この番組の時間(多分10時頃)まで食い込んで、番組の途中に飛ぶところを映したかな??もう記憶があいまいですが、この番組と棒高跳びが混ざってます。
確かアメリカのハンセンとドイツのラインハルトだったかな(これも老いぼれた記憶なんで定かでない。アメリカはぺネルではなかった)。
でも95歳は凄い。合掌。

2021/08/10

戦後76年(2)

オリンピックが終わったら、戦後76年のニュースが多くなった。
昨日は長崎に原爆が落とされて76年の式典があった。
被爆体験を話されたのが91歳の岡信子さんでしっかりされていて驚いた。
多分、僕は生きていてもこんなにしっかりはしていないだろうと思う。
アメリカは当時2種類の原爆を作っていて、広島がウラニウム、長崎がプルトニウムの爆弾で、人体実験したようなもの。戦争にルールなんてないと言えばそれまでですが、ドイツのホロコースト毒ガスと原爆はいかがなものか?と思うのは僕だけかな。じゃあ真珠湾攻撃はどうなの?と問われれば分からなくなりますが。
でも荒っぽく言えば「勝てば官軍」は世界共通ですね。
黒い雨裁判、菅さん広島で人気取り作戦に出たから、長崎でもと思っていたら肩透かしだった。被爆者の線引きって出来るのかなと以前から思っている。戦争を起こした国家の責任で面倒をみるのが筋だと思うのですけど。不思議なロジックを厚労省は展開する。菅総理が厚労省に遠慮しているもんね。信じられない。


 

2021/08/09

戦後76年



                          



東京オリンピックが無事?に終わった。
結構テレビを見た。多分主催者はちゃんとやると思っていたので想定内の終わり方だったと思う。思った以上に参加者の感染者が少なかった。
別の意味ではこんな状況でよくやったと言えるのだろう。
ただ、開催したことの是非は別問題。アクセルとブレーキを一緒には無理な話だったと思う。国内の感染者の実数は今から判明してくる。我慢を強いているのにお祭りをしてはいけない。かなり人が出ていたと思うから不安がいっぱい。
気がつけば広島と長崎の記念日になっていた。
歴史上、原爆が2発使われて、すべて日本という不幸な結果に。
オッペンハイマーがえらいものを作り出してしまったと後悔した話は有名ですが、戦後76年経過して、実際に原爆が使われていないのは、広島・長崎の悲惨さを世界が認識しているからかもしれない。20~30万人の都市なら一瞬に消えてしまう。
その後、原爆の何倍もの威力を持つ水爆も作られたけれど使われていない。
水爆ならもう小さな国が消えてしまう。
そんなことを考えていたら、僕の住んでいた大阪の郊外にも昭和30年初期には防空壕の跡がいっぱいあったことを思い出した。あの頃は子供でもみんなが「防空壕」を知っていた。
汽車に乗って外を見ていても山間にぽつぽつと穴が見えて、あああそこにも防空壕があると思ったものである。
昨日は鈴木貫太郎と昭和天皇の「聖断」を久しぶりに読んだ(後半だけ)。よくあそこ(8月9日)で昭和天皇が降伏しようと言われたものだと思った。おかげで3つ目の原爆は落ちなかった(既に用意されつつあったらしい)し、北海道も半分ソ連に割譲されずにすんだ。不幸中の幸いである。
しかし、どうしてここまで泥沼にまい進してしまったのか。
ドイツは第一次世界大戦の負債で苦しみそれを帳消しにという目論見は理解できる。ただしヒトラーのユダヤ人殲滅願望は理解できないけれど。
日本はなんか訳の分からんままにというか世界を知らずに偶然の戦勝が重なって有頂天になって気がつけば、周りに敵を作ってしまっていた。しかも勝てそうもないところばかり。
今から批判するのは容易いですが、思うのは科学的視野が欠乏しているのは確かですね。
いまのコロナでもそう思う。ワクチンに対する日本人の国民性??科学的でない。確率を考えないところ。
真ん中の写真はノモンハンに放置されている戦車(日本製?ソ連製?)
下は広島の1946年の写真、悲惨。
いずれにしても戦争で死ぬよりコロナで死ぬ方がまし???難しい問いかけですね。


2021/08/01

日本の水泳陣 惨敗

コロナにもかかわらず、オリンピックが始まったら結構テレビにかじりついている。家の中で見ているから大丈夫。
新しい種目が増えていて楽しい。スケートボード・・解説が楽しかったですね。自転車(アクロバットみたいなやつ)等々
水泳は元々好きなのでずっと見ているけれど、初めは大橋さんが金メダルでスタートダッシュOKという感じでしたが、終わってみたら惨敗。
惨敗の気持ちって、1964年の東京オリンピックの水泳を思い出した。確か最終日の男子800mのリレーで銅メダルをようやく取れただけだった。それまでは結構メダルを取っていたはず。メルボルン、ローマでも山中毅さん達がいたから。
それはともかく、そのあと強化がすすんで、思い出した確かロート製薬の社長だった山田さんがスイミングスクールを個人で私財を投じて開設して全国から人材を集めた。そこからちょっとずつメダルが取れるようになった。青木まゆみが代表格。そのスクールは今のイトマンに引き継がれているはず。
イトマンってあのイトマン事件のイトマンですよね。僕が大学生の頃はそこそこの商社だった。伊藤萬商事だったはず。この商社の子会社にスイミングスクールがあって、それがイトマンスイミングスクール。その名前が今も残ってオリンピックでも名前が出てくるのは意外なそして不思議な気がしていつも見てます。怪しいドロドロした闇のお金と爽やかな青い水泳・・対照的な組み合わせ・・・。名前を替えようとしないのが不思議だったですが、いまや市民権を獲得しているようにも思えますね。
しかしながら今回、またしても惨敗。テレビを見ていたら、かっての水泳王国と言われたアメリカ、オーストラリアは健在、さらにカナダ、フランス、イタリア、イギリス・・・強豪が増えてきている。新聞とか読んでいたら外国の方が改革の成果があがっているような記載がある。まあこの繰り返しですね。負けて対策、改善、成果があがる、外国がまたそれ以上の改革・・・。
柔道は前回から大幅な改善がなされたようで、データ重視主義・・科学的になってきた。
どうも日本の体育会系はデータ重視より温情重視みたいな気がしてならない。
アップしたのは1964オリンピックの水泳の英雄、ドン・ショランダーその後彼以上金メダルを取った人は出てくるけれど、僕には強烈な印象(当時の日本人には同様の印象だろうと思う)を与えつけた怪童(18歳くらいだったはず)。