これがアサギマダラです。渡り鳥(蝶)として有名。こんなか弱いチョウチョが海を渡って来るというのが信じられない。ツバメが飛んで来るというのもホントかなあと小学生の時は思ったくらいだから。
2011/10/31
2011/10/30
ブータンシボリアゲハ
このようなアゲハ蝶が見つかった(新種ではなく絶滅したと思われていたのが生きていた)ということで実にうれしい記事が載っていた。僕の勝手な記憶というか思い出かもしれませんが、小学生のとき高学年になったら昆虫採集を夏休みの宿題でせねばならないというような時期があったと思っているんですが、なにせ小学4年の夏休みは男はみんな昆虫採集をやっていて朝から網をもって駆け巡っていた。周りで飛んでいるチョウチョはモンシロチョウ、モンキチョウ、シジミチョウ、アゲハチョウ、キアゲハ、アオスジアゲハ、クロアゲハ等々みんな同じものを採集していて目玉がなかった。それで生駒山に親父が連れて行ってくれた。ちょっとは変わったものも飛んでいるだろうという感じですね。でもなかなかそれまで採集しているものしかいなくって収穫ゼロで帰らざるを得ないかなというときに親父が「あれはなんやろ」と言いながら網をもって追いかけて捕まえた。ちょっとフワフワッてゆっくり変則ビートで飛んでいたチョウチョで実にきれいなチョウチョだった。帰って調べたら「アサギマダラ」といって、僕の夏休みの宿題の目玉標本になった。
今では信じられない時代ですが、それなりにいい時代だったと思う。
今では信じられない時代ですが、それなりにいい時代だったと思う。
2011/10/29
ルーチェ
2011/10/28
初代コスモ
2011/10/27
コスモ
2011/10/26
RX-7
2011/10/25
The Rollig Stones (3)
2011/10/24
The Rollig Stones (2)
「サティスファクション」のシングル盤のジャケットが1965年時点ではこれであったのか記憶にありません。このあとストーンズのイメージにあった名曲が多く出てくる。個人的には「一人ぼっちの世界」「19回目の神経衰弱」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」「黒く塗れ」「ホンキー・トンク・ウィメン」の5曲、「サティスファクション」を入れて6曲がストーンズのイメージに合う名曲だと思っている。あとは「悪魔を憐れむ歌」と「ストリート・ファイティング・マン」が双璧。ここまでがなんというかちょっとひねくれた悪がきのイメージに合っている。本当は初期の「テル・ミー」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「ハート・オブ・ストーン」のようなブルースをベースにしたものの方がストーンズらしいかなと思ったりすることが多々ある。
2011/10/23
2011/10/21
2011/10/19
george yanagi(3)
2011/10/18
george yanagi(2)
2011/10/17
george yanagi
2011/10/16
The Rollig Stones
ビートルズが大センセーションをまき散らしていた頃、追随するグループはほとんど東芝音楽工業勢で他のレコード会社にはまともな対抗馬がいなかった。このローリングストーンズはその東芝以外のレコード会社の対抗馬の筆頭であった。それで1964年の頃はやたらとビートルズと肩を並べるとか言って煽るけど、ヒット曲がイギリスではヒットしてもアメリカではいまいち(つまり全米NO.1がない)で、正直苦戦していた。「テル・ミー」と「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は地味で、「ラスト・タイム」は地味さは抜けたけれどまだインパクトが少なかった。ところが1965年の夏に後世に残るびっくりするようなメガヒットをかっ飛ばす。「サティスファクション」がそれである。いまもって最高のヒット曲だと思っている。 これはビートルズを超えている。あの出だし、ヒット曲は出だしで決まるというのは僕の持論(同じ意見は多い)でその見本みたいな曲である。このイントロだけで総立ちですもんね。
キース・リチャーズは今まで何回このイントロを弾いたのだろうか。
キース・リチャーズは今まで何回このイントロを弾いたのだろうか。
2011/10/15
gerry marsden
マージー河のフェリーボートでのジェリー・マーズデン。Gerry & The Pacemakersはビートルズの弟分(というか友達ですね)としてブライアンエプスタインのマネージメントの第2号として売り出された。ビートルズにデビューソングとして用意されたミッチマレーの「How Do You Do It」をビートルズが蹴って、それをデビュー作として彼らが歌って見事1位を獲得、勢いに乗って3作目まで連続1位を獲得して、どちらかといえばビートルズより華々しいデビューをした。この記録はあのフランキーゴーズトゥハリウッドまで破られなかった記録であります。このジェリー・マースデンは時代がロックの時代に変わるときにあっさりとその路線から身を引いて、イギリスのお茶の間のタレントと懐メロ路線で身を立てるようにしたみたいである。リバープールでは今なおスターみたいで、特にサッカーファンの「ユルネバ」ソングはこの人の定番になってるし、故郷を出て行ったビートルズより故郷で活躍するジェリーマスデンの方が親しみをもたれているかもしれません。それに愛着のある顔してます。
2011/10/14
pop gear
ビートルズのレコードが出た頃、画像はなかなか見れなかった。ビートルズは映画で見ることが出来たが、他のイギリス勢のバンドはなかなか見ることが出来なかった。多分イギリスのテレビ番組を買い付けてくるような国際社会ではまだなかったのだろう。だからこの「ポップギア」というようなクチパクコンテストのような映画も非常に貴重な映像だった。
この映画にはかなりマイナー(日本においてという意味です)な歌手も出ていて、スーザン・モーンとかビリー・デイビスというソロの歌手(他にはマット・モンローもいた)も出ていて、グループを紹介しようという意図ではなかったようである。
この映像はユー・チューブでかなりきれいな画像で見ることが出来るからぜひ見てください。見ものはスペンサー・デイビス・グループのスティーブィ・ウィンウッドでしょう。クチパクを超えてます。
この映画にはかなりマイナー(日本においてという意味です)な歌手も出ていて、スーザン・モーンとかビリー・デイビスというソロの歌手(他にはマット・モンローもいた)も出ていて、グループを紹介しようという意図ではなかったようである。
この映像はユー・チューブでかなりきれいな画像で見ることが出来るからぜひ見てください。見ものはスペンサー・デイビス・グループのスティーブィ・ウィンウッドでしょう。クチパクを超えてます。
2011/10/13
リバプールの若者たち(3)
2011/10/12
リバプールの若者たち(2)
2011/10/11
リバプールの若者たち
これは1964年の秋に東芝から発売されていた「リバプールの若者たち」というレコードのジャケット。真ん中がビートルズ、その周りにジェリーとペースメーカーズ、ピータ^&ゴードン、マンフレッドマン、スィンギング・ブルージーンズ、デイブ・クラーク・ファイブたちが並んでいる。この年はほとんどが東芝音楽工業のヒットでその中核がイギリスのリバプールサウンドであった。
話は変わるが、最近はリバプールサウンドとは言わない。ブリティッシュ・インベイジョンといわれる。こういうことって今までにも数多くあることなのかもしれない。歴史で習う事柄の呼び名は当時は全く違う呼び方であったかもしれないな・・・なんてことを思ってしまう。僕は当時の名前を大事にすべき派です。
話は変わるが、最近はリバプールサウンドとは言わない。ブリティッシュ・インベイジョンといわれる。こういうことって今までにも数多くあることなのかもしれない。歴史で習う事柄の呼び名は当時は全く違う呼び方であったかもしれないな・・・なんてことを思ってしまう。僕は当時の名前を大事にすべき派です。
2011/10/09
スカイマーク
この間北海道に行ったとき帰りは神戸空港に帰ってきた。場所的に伊丹でも関空でも神戸でも自宅に帰る時間はあんまり変わらないので空いているので帰ってくる。神戸空港は夜帰ってくると夜景がきれいなので好きである。さて神戸空港は開設した時は見物客が大勢押しかけてモノレールがいっぱいやったけど1年もしないうちに閑散として、気がつけばJALも撤退して、ANAとSKYだけになっている。その内訳は圧倒的にスカイマークが多い。神戸はスカイマークに助けられた感がある。さてこのスカイマークエアラインであるがHISの澤田社長が創設した会社であるがいろいろと苦難の道を歩いてきているが一人の個人で航空会社を作れるものだと感心している。
2011/10/08
田島直人(2)
2011/10/07
Jesse Owens(2)
2011/10/06
Jesse Owens
ベルリン・オリンピックといえばヒトラーとオーエンスになる。ヒトラーはアーリア人の優秀さを顕示したかったが、黒人のオーエンスが4つも金メダルを取ってしまい目算が狂ってしまった。そのあたりの表情が「美の祭典」でも垣間見えることが出来る。オーエンスは英雄になったが今のような時代でないのでその後の人生を黒人として人種差別で苦労したようである。ヒトラー、レニー・リーフェンシュタール、ジェシー・オーエンス3人とも数奇な人生を送ったような気がする。
オーエンスは走り幅跳びで金を取っているが前述の田島直人は3段跳びの金だけでなく、走り幅跳びで銅メダルを獲得している。オーエンスと一緒に表彰台にあがったわけである。
オーエンスは走り幅跳びで金を取っているが前述の田島直人は3段跳びの金だけでなく、走り幅跳びで銅メダルを獲得している。オーエンスと一緒に表彰台にあがったわけである。
2011/10/05
オリンピア
2011/10/04
レニ ・リーフェンシュタール(2)
2011/10/03
レニ ・リーフェンシュタール
昨日のベルリンオリンピックで「民族の祭典」という映画を思い出した。この映画を撮ったのがレニ・リーフェンシュタールという女性で100歳を超えて長生きしてこのあいだ亡くなった。この人はヨーロッパやアメリカでは最後までナチスに加担したという汚名?をぬぐうことができずある意味不遇のままなくなったことになるのかな?そのあたりはよくわからない。このヒトラーとかナチスに関しては残されたヨーロッパ人やアメリカ人には日本人ではまったくわからない理論構造がありそうです。日本にいると彼女のアフリカのヌバ族の写真集など元気で活躍してますねえ、若いときは大変でしたねえ・・・的な感覚で暗い過去も過ぎ去って行きそうですが。
沢木耕太郎のベルリンオリンピックを取り扱った本を昔読んだ記憶があるがそのときインタビューしていたような記憶が残っている。
沢木耕太郎のベルリンオリンピックを取り扱った本を昔読んだ記憶があるがそのときインタビューしていたような記憶が残っている。
2011/10/02
田島直人
2011/10/01
兵どもの夢のあと
夢ではなかったけれど、過去の栄華をしのばせる駅の跡。正確には駅をまたいでいる袴橋。随分昔行った時にはこの袴橋まだ残っていたけれど、今は残念ながらない。残しておいても危険でしょうけど解体するのも費用がかかったのだろうと思う。こう思うと何事にも最後の処分までのコストを見ておかねばならないということですね。
話題が逸れてしまいましたが、この風景を見たときはじ~んときた記憶がよみがえってきた。産業革命って蒸気機関からでその蒸気は石炭でまかなっていた。スタートは石炭だった。そういう意味においては人が群がって去っていきの繰り返しである。東京もこんな感じになるときが来るのかもしれない。
話が前後しましたが北海道の砂川という駅の話です。
話題が逸れてしまいましたが、この風景を見たときはじ~んときた記憶がよみがえってきた。産業革命って蒸気機関からでその蒸気は石炭でまかなっていた。スタートは石炭だった。そういう意味においては人が群がって去っていきの繰り返しである。東京もこんな感じになるときが来るのかもしれない。
話が前後しましたが北海道の砂川という駅の話です。
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