2019/09/30

鈴木雄介さん おめでとう

昨日は競歩の前に寝るつもりが、初めからこの鈴木選手がトップでスタートしたものだから、ついつい見てしまって生活のリズムが狂いぱなしで今もなんかおかしい。
50キロを「歩く」・・・走らない。4時間くらいかかる。
初めに鈴木選手スタートから首になんか巻いているから???なんやろ?って思いながら見始める。
で、見てるうちに2キロを25周ということで、毎回2キロごとに氷を帽子の中に入れ替えたり、このドーハに対する創意工夫が見られる。他の選手はという感じで見ていても、鈴木選手ほど用意周到な選手はいない感じで、これは事前の準備の勝利かなと思い出す。
めっちゃ順調な滑り出しで、初めの時にフランスのライバルが接近してきたけれど、突然トイレに入って出てこない。
トイレに行くということも競歩ならではという発想というか、マラソンでは思いつかない話です。
昔、フランク・ショーターが草むらで用を足したという話を思い出した。報道陣が追いかけて顰蹙をかっていた。
そんで、そのあとはぶっちぎりで、「楽勝」と思ってましたが、段々鈴木選手も疲れが(当たり前ですわ)出てペースダウン。
さらに鈴木選手も2回トイレに・・・「えっ、大丈夫やろか」と不安になる。
でもまた走り出す(いや歩きだす)。あくまでも歩き・・・。
もう大丈夫だと思っていたら、やはり世界は広い。どんどん追い上げてくる選手がいる。
凄いよね。人間の体力っていうのは。ちゃんと50キロを想定してペース配分をしてきている。
最後に帳尻を合わせてくる。
最後はもう「がんばれ、がんばれ」の声援で・・・何とか金メダルでした。
競歩をはじめから終わりまで見たのは初めてでしたが面白かった。
鈴木選手は、なんと20キロの世界記録保持者で、オリンピックはどっちで出るの??
2つとも出るのはどう考えてもあり得ないですわね。10000とマラソンに出るというレベルでない。
20と50なら70キロですもんね。
20キロは強敵が多い。
50キロは体力勝負・・・
しかし競歩のルールって誰が考え出したのだろう。
1964年の東京オリンピックの映画で競歩でゴールインしてテープを引きちぎるシーン??を思い出す。









2019/09/29

昔の思い出

手前に写っている低く見えるアパートがどうも取り壊されるらしい。奥の方は新しいマンション。
手前のアパートは大阪の茨木の春日町にある三和銀行(今はどこの銀行??)のアパートです。
多分1960年代の初めにできたと記憶している。もう人はほとんど住んでいなかった感じがする。
奥の方のマンションもその前は東レ(当時は東洋レーヨン)のアパートだった。
同じ頃この地域にはどんどん企業のアパートが建設され、僕の通っていた春日小学校にアパートが出来る都度転校生が入ってきた。他にも但馬銀行とかの社員寮が出来たり、もう花盛りだった。
その時に思ったのは、どうもあのあたり(三和銀行、東レ…)の子供は頭がよくお稽古事をやっているという印象がつよく残っている。特に女の子はピアノとかまれにバイオリンとか・バレエとか・・・
昔の茨木に昔から住んでいる子供の世界とはちょっと違うなという印象だった。
ただ、その後思ったのは頭は一緒、ただ生きるスタイルが洗練されていただけだとわかってくる。
所詮、あほはあほ。お利口はお利口さん
かくいう僕も小学校3年に転校してきたので地元の人間ではないけれど、一つの企業から集団で入っているということでもなかったので、なんか同じ会社に勤めている子息がドバっと入ってくるのは結構圧巻だった。中にはドイツにいましたとか・・・海外経験がある子供がいたり。ドイツ帰りの女の子はもうなんというか日本人と思えなかった。なんというか立ち振る舞いが日本人ではなかった。
僕にはめっちゃ格好良かったけど、同じ日本人でこんなに違う雰囲気が出るなんて驚きでした。
本人は苦労されたかも。倉田さんといったかな。可愛いかったです。しかも小学生のくせに毅然としておられました。
もともと農家ばっかりの地域だったので、段々打ち解けて入植者?たちと話をするようになると驚きの世界が聞けて楽しいというかもうみんなで劣等感を感じたり、それなりに刺激を感じた時代です。
なんというか勉強せんと出世できないサラリーマンの世界とそんなに勉強せんでも田んぼがあったら食える世界と、それぞれ形成される人生観、子育て感が違っていくなあと大人になってから思った。
それと、その後大学生になってからこの地域の郵便配達のバイトをしたことがある。その時思ったのは三和銀行も東レも「日経ビジネス」という雑誌を皆さん購読しているということでした。
自費なのか、会社の負担なのかはわからないけれど、なんか「日経ビジネス」という雑誌は三和銀行と東レの社員がよく読んでいるのだなと、その時の記憶です。
それが原因か知らんけど、今も自分で購読している。
ぼちぼち経済活動からお別れしたいなと思ってますが、なかなか難しいです。

多分立派なマンションが出来るのだろう。



2019/09/25

「メタリカ」バージョンの「王様」

ユーチューブで王様の演奏はかなり見ることができる。特に奈良で行う「寺ロック」のライブは楽しい。奈良といっても「鹿」のいる奈良公園ではありません。かなり僻地に近い。榛原あたりですよね。一回行ってみたいけど車で行かないと不便やしなあ・・・と思っている。
で、色々と見ていたらメタリカバージョンの「湖上の煙」があった。
メタリカ風になっている。僕はギターのことは分からないので、そんな簡単にメタリカ風になるの??と思って見てました。ほんまに面白いですよ。この人ほんまに不思議なお方ですわ。

2019/09/24

JAMES TAYLOR

ディープ・パープルとジェイムズ・テイラーを交互に聞くなんて今からかんがえたらあり得ない組み合わせのような気がするけど、当時は聞いていました。
ジェイムズ・テイラーって一番初めアップルからデビューして親近感があったからかもしれない。
このアルバムからシングルになった「ファイアー&レイン」が大ヒットするんですが、個人的にはあるバムの名前にもなっている「スィート・ベイビー・ジェイムズ」がお気に入りです。
今は全く髪の毛がなくなってます。誰も歳には勝てない。かくいう僕もおんなじ。

2019/09/23

高速道路の星

ディープパープルっていうバンドはこのレコードで日の目を見るまでは、まあマニアは知っているけど、今後どうなるか分からない感じのバンドだった。(全部持ってますが・・)
方向性が決まらないというか。
「イン・ロック」で結構いい感じのレコードになっていたけれど。正直、今回はこの路線ですか??という疑問が付いて回っていて、まだ怪しさが残ってました。クラシック系の要素が強く(ジョン・ロード)フラフラしている感じが否めなかった。
で、この「マシン・ヘッド」、今になれば「ハイウエイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という「王様」の必殺レパートリーになる曲が入ってます。
これが当たったわけですね。
でも今から思えば、歌詞なんか気にせず聞いてましたけど、王様の直訳CDを聞けば「大したことは歌ってない」ということがよくわかります。でもあの頃、歌詞なんかどうでもよかった時代でした。

いつも思い出しますが、当時、このレコードとジェームズ・テイラーの「スィート・ベイビー・ジェイムズ」を交互に聞いていた。不思議な時代だった。