2013/09/28

Leon Russell

レオン・ラッセルという人は僕にとっては突然出てきた印象のあった人で、手繰れば実はいろんなところでそれまで聞いていた音のバックで活躍していた人だった。まあ裏方さんですね。それが突然表舞台に上がってきたカーニバルと同じ語源の「カーニー」というLPで名作マスカレードが入っていたかな?
まあ消える必要はないと思うけれど、ややこの手の音が苦手な僕は前回のジョーコッカーとともにあんまり聞かなかった。
ただ超名作が残っているので名前は永遠に残るでしょうね。(ソングフォーユーとマスカレード)
それと僕にはあのベンチャーズと仲が良かったのが意外だったというか、すごく器用で優秀なスタジオミュージシャンだったということかなと思っている。ベンチャーズの「十番街の殺人」は実によく聞いた。レオンラッセルをよく聞いていたということになるとは思いもつかなかった。だから結構古い人だったわけです。

2013/09/27

Joe Cocker

これも消えた。個人的にはこれは消えるかなと・・・。あんまり聞かなかった。バイトしたお金で買いに行った思い出がありますが。その時の記憶では投資に見合う感動は得られなかったような思い出があります。2枚組だったしね。

2013/09/26

ARGUS

これも消えた名盤に入ってまして、もう信じられない。僕はここに何回アップしているかわからない。名盤中の名盤。ツインリードギターならこれを超えるものはまだ出ていない。ジャケットも最高。

2013/09/25

フィルモアの奇蹟

これも消えた名盤で、僕の頭から全く消えていないのですが、そういう意味ではマスコミっていやですよね。頓珍漢でも既成事実になっていくから。
ポップスからロックになっていくときに即興演奏というジャンルを入れた革新的なレコードです。同じ曲を演奏する都度レコードができるというそれまで思いつかなかった世界でした。

2013/09/23

Jethro Tull Aqualung

このジェスロ・タルのアクアラングも消えた名盤に入っている。もうこうなると消えた名盤が本来の名盤だとおもう錯覚に陥る。今でもしょっちゅうかかります。大好きです。
歌詞がわからないのでなんとなく風刺めいた雰囲気ですが残念ながら真意はわかりません。この爺さんと海の中に潜るアクアラングとどんな関係があるのだろう。

2013/09/22

阪神タイガーズ

5差を3連勝で2差にできなかったら終わりと思っていたらあっという間に2位も危なくなった。
ずっと言ってますが、「勝とうという意気込み」の差だと思う。ほんとは経営者も変えるべきだと思ってますが、まず中村ジェネラルマネージャー(何のこと・どういう仕事をするの?)と和田監督は適任ではないと思ってます。この2人で勝てるとは思えない。
和田監督は嫌いではないのですが、やはり監督にはむいていないと思います。名コーチがピッタリだと思ってます。中村氏はもう1992年の屈辱がまだ残っているので顔を見るのもいやです。
今日はいつもと雰囲気が違ってます。あんまり阪神のことは書くつもりはないのですが、毎度またあきまへんなという気が蔓延で腹立ってます。
もうほんまに怒るでしかし。

The J.Geils Band

これも消えた名盤の1枚。ずっと聞いているから僕の周りでは消えていないのですけど。もうあんまり聞かれないバンドなんでしょうかね。ボーカルのピ-ター・ウルフのアジ演説みたいな入り方とかなかなか個性豊かで好きだったのですが。リードギターさんがリーダーのJ.ガイルスです。そうといってもあんまりギターが目立つバンドでもなくサウスのガラの悪いおっさんの場末の酒場のバンドみたいな感じでいい雰囲気なんですよ。

2013/09/20

SANTANA ABRAXAS

サンタナといえば「ブラック・マジック・ウーマン」で僕の好きなフリートウッド・マックの曲をうまくドラマチックにアレンジして大ヒットさせました。その「ブラック・マジック・ウーマン」の入っているこの「ABRAXAS」というレコード(CD)は名作なんですがなぜか消えた名盤になっている。僕の頭からは全く消えていないのですが。このジャケットもすごい。レコードだと30センチ四方なんで実に見応えがあるのですがCDではね。そういう意味ではレコードジャケット文化は残念ながら消えたと言わざるを得ない。
このジャケットの絵はもともとサンタナのために書かれたものではなく、すでにあった絵をサンタナが気に入ったらしいです。見開きの裏の方に作者(マティ・クラルワイン)の顔がちょこっと書き込まれてます。

2013/09/18

Peter Frampton

まあ髪の毛がなくなっても恰好いいですけど。愛用のレスポールがいいです。
ピ-ター・フランプトンってもともとルックスからアイドルっぽくデビューさせられたけどほんまは実力派でブルース&ロック路線を貫いたという立派なお方です。

消えた名盤100

昔ミュージックマガジンの2008年3月号で「消えた名盤100」という特集をやっていまして、これがなかなか面白くってよく見る。個人的には消えた名盤の方が生き残った方より好きなものが多い。これはいったいどういうことかなとやや複雑な気持ちで見ていることが多い。はよ言うたら「感性が時代遅れになってきている」ということですか?ただ消えた名盤はいいものが多いので「負け犬の遠吠え」でもいいから、今後ぼちぼち紹介していこうと思う。
まずこの特集の表紙がピーターフランプトンで、もうここから消えたなあ・・・という感じ蔓延です。髪の毛もあります(今は全くない)。「カムス・アライブ」なんて何万枚(何百万枚)売れたかわからないくらいメガヒット、でもあの時もどうしてこれだけブレイクしたのかわからなかった。ただ僕らは日本で聞いていただけで、本人はアメリカ全土をくまなくライブ活動して認知されていったというような記事を読んだことがある。
ともかく今の僕は生き残った名盤100選よりこの消えた100選を見ることが多く、しかも楽しい。

渡月橋

嵐山の渡月橋は桜の頃もいいし、紅葉の頃もいいという実に観光地としては最高のロケーションにある。普通はアップしたようなゆっくりめの長閑な雰囲気です。それがこの間の台風で大変なことになった。よく考えたらこの渡月橋って頑丈ですね。JRの鉄橋の橋桁が流されているのに。こういう事例って実に不思議な気がする。

2013/09/17

台風18号

この3連休は台風で大変だった。特に嵐山の渡月橋がご覧のような状況で、知っているところが映るととたんにリアリティが増してきて食い入るようにテレビを見てしまった。勤めていた時に行った料理屋さんも何軒か知っているし、元に戻って営業再開をするについては食べ物屋さんは保険所の検査が必要なのかな??
こんなことが起きると裏に山が迫っているところとかどう考えても低地な場所とか川の付近とかは今流行の言葉でいえば「リスクが高い」わけで、だからといってすぐに引っ越すことなんかできないし、でも最近水害が増えているような気がする。集中的に雨が降ることが多くなってきているような気がしますが・・・。
JRはほぼ関西は全部停まってしまった。ただ明日(今日)は動くみたい。このあたりの対応力はさすがだと思うことが多い。

2013/09/16

新記録

バレンティンが王さんの持っていた新記録をあっさりと塗り替えて2本も打った。王さんの記録は古い。その後わが阪神のバースも54本まで行ったけれどまあある意味妨害(敬遠)にあって達成できず、その後のカブレラもローズも新記録達成を邪魔されたという言い方が正しいのだと思う。
ちょっとはその心理もわからなくはないが、イチローがアメリカで次々と記録を更新して現地の人から祝福されている姿を見ていると、どうもアメリカの方が心が広いように思える。
そういう意味では過去の過ち?を払しょくするような出来事でいいことだと思うが、しかしなぜ阪神戦でなのか。

2013/09/15

DOLBY

ドルビーさんが亡くなった。といっても知っている人は少ないと思う。昔オーディオ華やかりし頃ノイズリダクションシステムとやらで全世界のオーディオ器に採用された「仕掛け」?です。
理科系のオーディオに詳しいのに当時説明してもらったけれど僕の頭ではわかったようなわからないようなボーとした理解度でした。まあとにかくノイズが消えて音が良くなるということで・・・くらいの認識です。
世界中の電機メーカーが採用したから、当然世界中からロイヤリティが入ってきて儲けの計算の方が開発より忙しくなったというような噂も聞いたことがあります。
映画を見ていても最後のクレジットのそれこそ最後にこのマークが出てくることが多い。

2013/09/13

こまわりくん

こういう馬鹿なものを絶賛するとこちらの頭の方を疑われる恐れがありますが、それをものともせずお奨めしたい不朽の傑作です。
まあとことんすべての確立された価値を崩していきます。下品も下品、もう滅茶苦茶、なんせ変身したままストーリーが続くし、このアップした表紙のように人間と犬が同等に扱われている。最後は犬の栃の嵐は会社の社長になっている。
これが出た当時は結構面白い論評が出て楽しかった。前向きなものが多かったように思う。

2013/09/12

少年チャンピオン

あの頃(1975~1980)の少年チャンピオンは強力だった。当時すでにサラリーマンをしてたから、いい年して漫画を電車の中で読んでるはしりみたいなものであります。なんといってもこの「こまわりくん」が最高でまあいろんなギャグが出ました「死刑~」「んぺっと」「八丈島のきょん」「ゼットお~」「シロクマクロクマ」一瞬思い巡らしてもこれくらいすぐに出てくる。ジュンちゃん、モモちゃん、西城君、それに栃の嵐(犬です)、さらにこまわりのお父さんもややこしかった。
「つるいむらにつるがくる」というのもあった。
練馬変態クラブというのもいましたね。股間からマングースというのもあった。しかしあの時の「山上たつひこ」はいったい何を考えていたのだろう??

2013/09/11

秋田書店

秋田書店の景品のうその発送の問題で元女性社員が訴えて裁判沙汰になっている。秋田書店と言えば「少年チャンピオン」ですね。一時は売上NO.1の時もあったと思う。毎週買ってましたから。1975年~80年くらいの話。面白い漫画が多かった。「ガキでか」もそうだった。
こういうことを言うと間違えられたら困るけれど。こういう訴訟は大体訴えられる方に非があることが多い。
子供に夢を売ってきたんだから間違いは潔く認めて再生を図るべきだと思いますよ。

東京オリンピック 1964-4

にわかに1964年の東京オリンピックの切手や映画のDVDやこのコインも人気だそうです。そういえば僕も持っていたはず。当時コインのケースが売っていてそれにいれて机の上に飾ってました。何年か経ったときに1000円のコインが1万円という話を聞いて、そしたらもう50年くらい経ったらなんぼになるんやろ??と夢見ました。今の価値はきれいなもので2000円くらいだそうです。僕の持っていたのはしばらくしたらなんというのか「さび」ですか(銀ってさびる?)ようわかりませんが黒っぽくなってきました。100硬貨なんて財布にじゃらじゃらするくらい持ってます(持ってたはず)にわかに家探しせんとあかんかなあと思ってますが、出てきても売りませんけどね。

2013/09/10

東京オリンピック 1964-3

哲人アベベの風貌を探したらありました。市川昆監督の「東京オリンピック」のメインの画像の一つに数えることができると思います。この雰囲気で黙々と走ります。
アベベについてはすでに何回か書いたのですが、東京オリンピックの最注目のアスリート(当時はこういう呼び方はしなかったですが)の1人です。前回(1960ローマ大会)では全くの無名でしかも裸足で走って優勝ということで当時小学生の4年であった僕が知っているということはかなり話題なったということだと思う。翌年日本に招かれて(すぐ呼ぶのは昔から日本のお家芸みたい)、大阪城から岸和田城の間を走った記憶があるけれどこの時は靴を履いていた。それで東京では裸足では走らないだろうと僕は思っていたけれどマスコミはひょっとしたらゲンを担いで裸足で走るのではと書き立てていた(エチオピア人がゲンを担ぐ??)。本番ではちゃんと靴をはいてました。

2013/09/09

東京オリンピック 1964-2

オリンピックの映画は1965年の春に初めて見た。当然のことながら東京オリンピックの映画である。3月に京都の京都会館に試写会に行った。4月にはおばあちゃんを連れて梅田のスカラ座に行った。もちろん監督は市川昆さんで・・・・まあ知ったかぶりで書いてますが、市川昆という人が大監督なんて当時(中学生)の時は全く知らないわけです。
正直NHKのオリンピック放送の時系列的なドキュメンタリーくらいに思っていたわけです。ところがそういうものでなく、正直なところ試写会の帰りには友達と「どう言っていいかわからんなあ」と言いながら帰ってきた。オリンピックの開発のためにビルを壊す鉄の塊が大きく映し出されるというような構図はもう映画の素人にはびっくりした世界で、正直めっちゃ名作やんと思い出すのはずっと後の話です。
僕はDVDで時々今でも見るのですが見る度に名作だと思ってしまいます。あのアベベの哲人のような風貌がスローモーションで大きく走って行くさまや、10000メートルでロン・クラークとガムディとミルズの最後の1周のスパートもテレビでの捉え方と違っていて実にドラマチックです。女子の800メートルのアン・パッカーがフィアンセのところまで走っていくところとか、筋書きがないのによく捉えていたなあと思ったり(聞くところによると毎日ものすごい量のフィルムを使ったらしいです)、後にも先にもオリンピックの映画はこれしか見たことがないので比較できませんがもう名作だと思ってます。あのリーフェンシュタールの美の祭典は何べんも借りかけてまだ見ていない。

2013/09/08

東京オリンピック1964

目下、東京で2回目のオリンピックが開催されるか実況を見ている。雰囲気だけ伝わってくる。まあ絶対に東京にという気もないけれど、開催されたらそれなりにいいかなという気持ちです。1964年の時ほど開催の意義があるとも思えないから。
ただ開催されたら、僕が1964年に受けた同じような感激が今の少年少女に伝わるかはわからないですね。もう海外の情報はリアルタイムで伝わってくるし、新聞や雑誌で噂されていた選手が実際にテレビの前に現れるというような感動は多分そういうものはないのだろうと思う。
あの時はとことんアメリカの強さというものを目の当たりにしてアメリカの国歌を覚えてしまったくらいだった。
そういう意味では50年経って開催されるオリンピックは(開催されるとしたら)どういう意味があるのかなと考えてしまう。1964年の時は新幹線が出来、名神高速が出来、何でもかんでもオリンピックに合わせて出来上がり、まあ戦後から近代国家への集大成みたいなものだったように思う。
当時10月10日にはオリンピックの記念切手が発売され、学校が始まる前に並んで買おうとした生徒が結構遅刻して問題なったことを思い出した。
あの日は本当に快晴で、土曜日だったからほとんどの国民は家でテレビの前だったと思う。
当然カラーテレビはないから白黒でアップした写真みたいなイメージで見ていた。確かザンビアというアフリカの国が誕生して、誕生してすぐ参加した(こういうことって可能だったのかな??)というような記憶がありますがこれももう昔々の記憶です。
でもですねすごく楽しかった思い出がある。
そういう意味では、今度もやってもいいのかな。

2013/09/07

1970年 6

レッド・ツエッペリンのこのレコードは1969年に発売されていたが、なにせ1969年は浪人中ということで自分なりに禁欲生活で頑張った。まあ欲しいレコードをなるべく合格してから聞こうと購入をずらしたわけですね。今となっては定かでないですが、ツエッペリンは我慢できずに2枚目は買って、大学に受かってからこの1枚目を買ったような気がしている。2枚目はもう史上最高の傑作と折り紙つきの名盤であるが、この1枚目もなかなか聞けば聞くほど味が出てきて1970年の5月はこればかり聞いていた気がする。万博に行って帰ってツエッペリンを聞くという実に摩訶不思議な生活をしていた(いつ大学に行っていたのだろう)。今でも1970年の5月といえばこのレコードばかり聞いていたことを思い出す。特に「ゴナ・リーブ・ユー」のイントロのギターねもう最高でした。
それにこのジャケットですね。もう何とも言えない。

2013/09/04

1970年 5

1970年の3月はこのよど号事件で幕を閉じた。ある意味学生運動が終焉を迎えようとしている頃だと思う。僕の受かった大学も前年の秋まで学生に封鎖されていて授業ができなかった。秋ごろに封鎖が解除されて前年に合格した学生は半年で1年分を学んで何とか2年になれて、我々も晴れて1年になれそうだった。
そんな感じで1970年になったらぼちぼち大半の大学も元通りの様相を呈してきた感じがする。3月にこの事件で締めくくられ、あさま山荘事件までもう過激派という言葉も忘れていく時期に来ていた。
今の大学生と当時の大学生を比べてることは不可能だけど、43年たって進化?退化?比べること自体が不可能?よくわかりませんわ。

2013/09/03

1970年 4

1970年の春には晴れて大学生になれて3月くらいからのことは記憶に残っているが1月2月のことは受験であんまり世間のことは覚えていない。ただ1月に関西の私立大学の願書を出しに行った帰りに吹田の駅前のパチンコ屋に入って運だめしに多分当時やから100円投入して占ってみた。結果は忘れてしまったけれど、その時パチンコ屋でこの森山加代子の「白い蝶のサンバ」が盛んにかかっていたことだけ覚えている。森山加代子と言えば1960年代の初期にアメリカのヒット曲さらにイタリアのヒット曲の日本語バージョンで一躍スターになった歌手で僕がビートルズを聞き出した1964年にはほぼ消えていた。個人的には初期の功績を大いに讃える主張を持っていて、この歌で復活する必要はなかったと思ってますが、本人にとっては復活の起死回生の曲になりました。
結局この歌による復活によって伝説にならなかった。結局通俗的な歌手に成り下がってしまった。
ぼくは伝説になる方を選択しますけどね。

2013/09/02

1970年 3

万博が始まった時と同じころに覚えているのは天六で起きたガス爆発事故である。4月の初めだった。この時も既に2組目の来客で一緒にテレビで事故のニュースを見て大阪に行くのは取りやめた。天六の地下鉄工事だったわけで結構今でも利用するけれどもうそんな事故があったことを知らない人も多い。

2013/09/01

1970年 2

1970年の春には大阪まで出かけることが増えた。学校が大阪だったのと万博のために来た親戚の客を案内して京都と大阪はどうしてもセットになっていたから。もともと映画は好きだったけど浪人中は我慢我慢の生活だったから、今から見るぞっと意気込んでいたら、大阪駅に隣接する映画館の看板が目に止まった「雨の訪問者」・・ほうなかなか面白そう・・フランス映画・・チャールズ・ブロンソン・・知らんなああ???、もう音楽もラジオでかかりだして、雨の訪問者とともに僕の映画三昧の生活が始まることになる。
ただあの映画今から考えてもストーリーがいまいちよくわからんですわ。雰囲気で一気に押し切る感じでしたね。まあたいていの観客は押し切られたということです。