2014/05/31

Jack Sonni

昨日のギタリストは、JACK SONNI というお方で、ダイアーストレイツのメンバーだった。あの時期もう僕はレコードは買っていたけどメンバーの入れ替わりまでは把握していなかった。確かノップラーには兄弟がいたと思っていたけど、結構早い時期に出て行ってしまっている。メンバーの入れ替わりというか、本質的はマーク・ノップラーのバンドだから上手な脇役にどんどん替わって行ったような気もする。
もう一人のサックスのお方はCHRIS WHITE さんでした。
英語のマニアのお方が作られたようなディスコグラフィーとかを面倒でも読めばちゃんと書いてありました。

2014/05/30

DIRE STRAITS

マーク・ノップラー率いるダイアー・ストレイツのライブエイドに出た時の写真だと思われます。確かノップラー兄弟とあと2人の4人組だったと記憶してますが、この時は7人です。この時の「悲しきサルタン」の演奏は聞きものでして、後半のサックスとの掛け合いが実に素晴らしく(一番右の人ですねサックス奏者は)、また一番左のリズムギターも実によく動いて(ちょっと上手いのか下手なのかは分からないけど様になっている)、のりがいい。
両脇のお2人の素性を調べているのですがいまいちこのネット社会でも分からない状況が続いております。
どなたか教えてくださいませ。

2014/05/29

DS36BR

DIATONEのこれも持って帰ってもらうことにした。当時1本53000円当時の給料の手取り7万弱。僕にしたら家宝ともいえるものだったのですが、さすがにちょっと音が苦しくなってきました。正直なところこれを早々に卒業してJBLの予定でしたが、これがあんまりよかったのでずっとこれになってました。どうも湿気に弱かったように思います。
2つで50キロ超えます。このあたりも手放す要因です。もう担げない。買っとき、4階までエレベーターなしの社員寮を担いで上がりましたから。
お疲れ様でした。
ホンマにです。

2014/05/28

YAMAHA A2000

昔買ったアンプで、故障して直してもらって、また鳴らなくなってそのままの状態で、10年くらい前に新しいアンプを買ってしまった。捨てるに忍びずずっと置いたままになっているが、だんだんおり場所がなくなってきてついに捨てようかなと思い立つ。それでも廃棄物というのは可哀そうで、車もスクラップされてますやん・・・というのはわかるけど、これだけのものがスクラップはやはり可哀そうと思い、古いオーディオ引き取りますというネット広告にメールしてみたら、価格がつかなくても持って帰ってくれるという。部品どりで探しているお方もいるらしい。まあちょっとでも役に立てばと思いお願いすることに。実に重たいアンプで段々年を取るにつれこれを動かすのは無理かなと思ったのも手放す動機の一つだった、今度は軽い(少なくとも8キロ以下ぐらい)のにしようと思っている。
もうフルスケールでなくハイレゾの小さいものが年寄りには相応しいのかもしれない。
それとこのアンプにふさわしい部屋を確保できなかったのも残念な気持ちが残っている。親譲りの大きな土地でもない限り、リスニングルームを持つというのは夢の夢だったですね。
いい音だったですけどね。お世話になりました。

2014/05/27

1964.01

1964年の1月にビートルズはパリで公演をする。共演はシルヴィ・ヴァルタンとトリニ・ロペス。多分、当時一番人気があったのはトリニ・ロペスなんでしょうね。次がシルヴィ・ヴァルタンか?この公演が語り草になっているのは、この時にアメリカのキャピトルレコードから電報が来て「抱きしめたい」がアメリカで1位になったという知らせだった。ここから世界制覇の快進撃が始まる。
シルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」は既に出ていたはずで、この公演で歌っていたのだろうか?映画は1963年の作品だから出ているはず。当時のフランスのヒットチャートまではいくらネットでも分からないか?
でも今から考えたらずいぶんいい加減な組み合わせですなあ。トリニ・ロペスって「レモン・ツリー」でウィ・ウィってしゃっくりみたいな掛け声の歌を歌っていた人ですね。こういうコンサートに行ったらどういう感想を抱くのだろう。

2014/05/26

EAST WEST

昔はブルースというのは「〇〇のブルース」とかいう演歌だと思っていた。森進一とかの世界だと思っていた。リズム&ブルース(R&B)のブルースだけ項目があるというのはいつくらいから知りだしたのだろう。ムーディブルースというバンドがあったけれど全然ブルースではなかった。ローリングストーンズあたりからかもしれない。リトル・レッド・ルースターとかね。
ただはっきりブルースを意識して聞いたのはこのバタフィール・ドブルース・バンドだった。これは白人のブルースバンドだったけれど。雰囲気が良かった。ただし、イースト・ウエストという曲はブルースの範疇に入るものでなく新しい世界でした。凄いですよ。

2014/05/25

THE GIRL CAN'T HELP IT

こういう映画がある。「女はそれを我慢できない」・・「それ」って何?と昔から思っていた。
この映画は僕みたいなロックの歴史に非常(異常)に興味がある人間には実に興味深い映画ですが、映画として見たら評論家の点は辛い。またポスト・マリリン・モンローといわれたジェーン・マンスヒィールドを見たいという人には映画の筋なんかどうでもいいからこれもまた楽しい映画と言える。
この映画の主役の一人のエドモンド・オブライエンは僕は「史上最大の作戦」で知った俳優さんなのでこういう役柄を演じているとは初めて見たときは信じられなかった。

2014/05/22

JAFFY

 
昔々、ロッテからJAFFYという上記のようなお菓子が販売されていた。僕はこのオレンジの味が好きでよく買っていたけれど、どうも僕の好きなものは売れ行きがいまいちのものが多いようで、これも今は販売されていない。美味しかったんですけどね。30年くらい前の話です。

2014/05/21

THE KINKS

いわゆるキンキーサウンドというものがあって、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」「オール・オブ・ザ・ナイト」「ティル・ジ・エン・ドオブ・ザ・デイ」の3部作を指すと僕は思っている。まあ聞いてもらえれば一目瞭然?で出だしで決まるというもうこれしかないというギターサウンドであります。

2014/05/20

下町ロケット

こんな本を紹介されて読んだ。面白かった。どうしてこんな本を紹介されたかといえば、技術屋さんの社長さんと管理上がりの専務との確執に四苦八苦していたからである。
この「下町ロケット」では技術屋さんの社長さんの勝利ということになっているが、現実はそうでないことも多いよなあ・・・・と思いつつ読み終える。と同時に特許(知的財産)の重要性と戦略的に利用される恐れとか、大企業ににらまれたらなかなか大変だとか現代の中小企業の生きる課題というか大変さを教えていただいた。
こんな本を書く人はどんな人と思ってネットで見たら、半沢直樹の作者だった。テレビはほとんど見ないのでこの本を読み終えるまで原作者の名前も知らなかった。

2014/05/15

刑事

刑事と言えば僕にとってはこの映画を示しますが、もうネットではほかにも〇〇刑事というのがいっぱいあって、この映画のことが書かれてある記事を探すのに一苦労。ということで時代は進みつつあることを改めて認識した次第です。ごく通俗的な題名ですから、通俗的というより、実に「ふつう」の名前ですから、ある意味これでよく上映したなあという気がしないでもない。
このころのイタリア映画というのは、それほど詳しくはないのですが、なんというか影の部分が印象的でパア~っと明るくなれない部分を引きずっていて、妙にしんみりさせて、このピエトロ・ジェルミという俳優さんから出てくるものかもしれませんが、なんとなく見入ってしまいます。白黒映画(わざとではないと思いますが)であるのも魅力を増大させている。
最後のシーンは有名です。
当時は、MMといえばマリリン・モンロー、BBといえばブルジッド・バルドー、CCといえばこのクラウディア・カルディナーレでした。

2014/05/10

ブーベの恋人

クラウディア・カルデナーレの「ブーベの恋人」という映画が1964年の秋に封切られて大ヒットした。映画もヒットしたけれど、主題歌(歌はない)も超大ヒットして「9500万人のポピュラーリクエスト」でも長い間1位を独占した。
前回の「アイドルを探せ」とこの「ブーベの恋人」で1964年の秋から年末までのヒットチャートの1位はほぼ決まりでビートルズもなかなか苦戦だった。この時期はビートルズのイギリス時代のヒット曲の蓄えも底をつき、年末の「アイ・フィール・ファイン」までヨーロッパ勢の後塵を拝する時期が続いたように思う。
この「ブーベの恋人」という映画はなかなか面白く、まだ第二次世界大戦の後遺症というようなものを引きずっていた時期の映画です。まだそういう背景の映画が作られていた時代でした。
曲の方はアモーレ・アモーレ・アモーレ・アモレミーヨー(死ぬほど愛して)のカルロ・ルスティケッリ(覚えにくい)の作品でヒットは当然だった。
当時の日本はフレンチ・ポップスからイタリアのカンツォーネから映画音楽まで吸収力旺盛な国民だったように思える。今もそうなのかな?

アイドルを探せ

1964年の秋に「アイドルを探せ」というフランスの映画がやってきた。この映画の中でほんの数分間だけ出てきて歌ったシルヴィ・ヴァルタンという女の子の同名の主題歌が爆発的大ヒットして、ビートルズは日本のヒットチャートでも苦戦することになる。このシルヴィ・ヴァルタンという歌手は後日分かってくることになるが、1964年の1月にパリでビートルズと一緒に公演をしていてその時の写真が有名になる。さらにこの時にアメリカで「抱きしめたい」が1位になり、そのあと2月にアメリカに行ってエド・サリバンショウに出て視聴率72%というとんでもない記録を作ることになる。
シルヴィ・ヴァルタンは今でも活躍中です。
この映画の中のシルヴィ・ヴァルタンは実に可愛かった。

2014/05/05

パームスプリングスの週末 2

上がポスターで、下は左から、トロイ・ドナヒュー、ステファニー・パワーズ、タイ・ハーディン、コニー・スティーブンス、ロバート・コンラッドだと思う。ワーナーブラザーズの若手なんでしょうね。ステファニー・パワーズは後の「アンクルの女」、タイ・ハーディンは名前は忘れたけれどテレビの西部劇の主役だった、コニー・スティーブンスとロバート・コンラッドは「ハワイアン・アイ」のコンビでこの映画のあと結構有名になる。左のこの時のメインの主役のトロイ・ドナヒューは北欧系の端正な顔立ちスタイルでスザンヌ・プレシェット(ヒッチコックの「鳥」)と結婚するけどすぐ離婚だった。
もう大スターになると思っていたけれど、なかなかそうは問屋がおろさず挫折の連続で、その後薬やアルコールで結構大変な人生を送って、晩年は見事に立ち直っていたというような記事を亡くなった時に新聞で読んだのを思い出した。
この映画の監督はプレスリーの映画を沢山撮っていた人で、1963年ですからまだプレスリー映画の乗りと同じ感じです。古き良きアメリカの若者たちという雰囲気満載です。



2014/05/04

恋のパームスプリングス

これもビートルズが日本でデビューした当時日本のヒットパレードで大ヒットしていた曲です。「サーフサイド6」のトロイ・ドナヒューが主演していた同名の映画の主題歌。日本ではバカ売れ。
あの頃人気がありました。

2014/05/03

恋はスバヤク

1964年になってにわかにビートルズに巻き込まれた。どう表現していいのか分からないけど、初めて聞いたときに惹きこまれた。なんというか運命の出会いみたいなもんである。理由なんか分からない。でもいろいろファンの思い出を読んでいたら同じような思い出をいう人が多い。「ど~ンと来た」とね。面白い特徴はそれまでポピュラー音楽を聞いていない人を一瞬のうちに巻き込んでいる。ここがすごい。
で、アルマ・コーガンではないけれどトランジスタラジオでヒット・パレードを聞くようになった。「今週の1位は・・・・」というやつです。ベスト10にビートルズは2~4曲くらい入る勢いが当時にはあったけれど、当然他のヒット曲もランクインします。当時このガス・バッカス(ガス爆発と聞こえたものです)の「恋はスバヤク」という曲がずっと1位だったような記憶が残ってます。「ショート・オン・ラブ」という曲ですね。1964年の春です。ビートルズには日本のヒットパレードにはイギリスやアメリカにはいなかったライバルが結構いました。
このガス・バッカスという人、確か黒人のコーラスグループにいた白人で(ややこしい)、その後ドイツで活躍したはずで・・・もうちょっと調べましょう・・。