2023/12/29

THE BLACKLIST が終わった。

 


10年間続いた「ブラックリスト」が終わりました。
結局、リズの親は誰だったのか僕には分からなかった(と思う?)
詳しいことは他にいっぱい書き込みがあるからそれを読んでいただくとして、ずっと見ていて一番思ったのは、この俳優さん凄いと思ったのが一番です。あれだけ台詞を覚えることが出来る?結構難しいことをスラスラと述べる。しかも、幅広いジャンルに渡っている。
それと、最後に彼の世界中に張り巡らせた金のなる木の仕掛けが垣間見えるのですが、これは意外と本当にあり得るかもと思ったり。
何気なく見だしたけれど、意外と面白かった。
風呂敷を広げ過ぎて上手くたためなかったようにも思うけれど。
最後は、ストーリー上の理由というより、他の要因から店じまいしたように思える。
最後のシーンに(多分)スペイン語の「マイウエイ」が流れる。これってちょっと短絡的かなと思った。「これがワシの人生や」というような単純なものでなかったはず。
10年間の闇の世界で生き延びてきた人生を見てきた僕には「マイウエイ」では表現できるようなものではないはずと思えた。
それと最後にレスラーがレディントンの遺体に落ちていた帽子をかぶせてやるのが最後のシーンとしては良かったと思う。







2023/12/13

混沌としすぎて世の中が不可解


 
ウクライナが大変だと思っていたら、今度はイスラエルとパレスチナが大変なことに。
ウクライナではロシアが国連の拒否権を行使して、パレスチナではアメリカが拒否権を行使して、何にもまとまらない。
国連って意味がある??と思ってしまう。ないと困るけど。
拒否権の仕組みってどういう考え方から来ているのだろうか?
決められないことばかりだと思うけれど、国連が出来た時はもうちょっと「和やか」な時代だったのかな。
ウクライナの時はロシアが完全な悪者だったのが、今度はアメリカが悪者に。
こういう姿見ていたら、「何が正しいのか」分からなくなりますね。
ウクライナも、最近は西側の支援疲れだけでなく、どうもロシアはウクライナを超えて、次の国に、例えばポーランドとかに押し入ってくる力はなさそうだという判断から、「もうウクライナに頑張ってもらっておけばいいのでは」という雰囲気が出てきてる気がする。
アメリカがユダヤ人に支配されているというのは前から言われてきたけれど、こんな事態になってもイスラエルを支持するというのはなかなかのものだと思う。
「人道的な停戦」を支持しないのですから。
これだけ子供を殺害して、生きていても障害を持つ子供にして、恨みを買わないはずはない。
ナチスの「ホロコースト」の惨状からユダヤ人の方に「国を作らせよう」という機運が高まってイスラエルが出来たと思ってますけど、今のガザ地区の惨状を見ていたら、丁度逆のように思ってしまう。
人間っていったいどういう動物なんだろう??

2023/12/04

1974年3月~4月



来月になると2024年になる。50年前が1974年である。
僕は1974年の4月1日からサラリーマンになった。
3月まで大阪にいて、4月から広島に移った。1974年の3月はアップした小野田さんがフィリピンで発見されたことで、ほとんどこの話題だったように思う。
大学のアホ仲間で最後の旅行に行こうということで、近場だったけど淡路島に行った。友達の親の伝手で日本生命の保養地に行った。もう時期的に誰もいない時期で独占状態だった。行ったら即麻雀大会で、別に淡路島に行く必要はないのですが。どこかに行って麻雀をすることをほぼ3年くらいはやっていたわけで、実にいい加減な集まりだった。
当時は、誰でも大企業に入れる時代で、集まった仲間は全員、今でいう大企業に就職は決まっていたけれど、なんというか、来月からこんな生活は出来ないのだ(当たり前)という一抹の不安を感じながらの「ラストツアー」だった。
帰りに、フェリーから西明石に上陸してどういう訳かみんなでうどん屋に寄ってうどんを食べた。広島に行くのだから「広島うどん」というのがあったのでそれにした。来たら牡蠣が入っていた。牡蠣は広島の名産ということなんか知らなかった。
3月は忙しかった。就職するならメーカー志望だったので当時の日本経済の状況から判断して?「電気か車」関係と思っていたけれど、結局「車」になって、正直、それほど車に興味があったわけでもないので「免許」も持っていなかった。それで年が明けてからだったかな、にわかに自動車学校に通い出した、3月になった時点で、ギリギリの感じで、後半追い込まないと3月中に免許が取れない事態になりそうだった。
淡路島から帰ったら、弟が「キャロル」というバンドのレコードを買って来ていた。永ちゃんのキャロルである。この時期のデビューだったわけね。
もう1つ、ギリギリに「QUEEN」の1枚目を買った。
もう音楽ともおさらば?とまでは思っていなかったけれど今ほど根を詰めて聞けないのだろうと思うと寂しかった。でもこのQUEENのレコードは良く、当時はややブリティッシュ・ロックに陰りが見えていた時期だったので元気になった思い出がある。
そうそう、ライブにも行けないかもと思って、「スレイド」のコンサートにも行った。別にファンでもなかったけれど、3月に行けそうなロックバンドはこいつらしかなかった。
結構楽しかった。リードボーカル(誰だったかな?もう名前がすぐに出て来ない)が強烈な声量?、声がでかく遠くまで通るので圧倒的だった。ヒット曲もあったし。それなりに楽しんだ。当時は写真もOKだったので写真も残っているけど価値はないか??
いよいよ3月31日(確か日曜日だった)に大阪から広島まで行った。当時は新幹線は岡山までで、岡山で乗り換えて在来線の特急に、満員で岡山から広島まで立っていたのを覚えている。
「チッキ」って知っている人がどれだけいるだろう。荷物を一緒に運んでくれるサービス。
親父が茨木駅で「チッキ」の手続をしてくれて、大事な小物とラジカセを抱いて広島へ。
今思えば「チッキ」って新幹線???思い違いかな。
当時流行っていた曲って変に今でも覚えている。天地真理の「恋人たちの港」とテリー・ジャックスの「シーズンズ・イン・ザ・サン」の2曲。
夕方に寮に着くと、寮の寮長さんから、寮生活のプレゼンの案内があって、新しい生活が始まった。
結局、広島の車会社には3年間しかいなかった。