2019/11/12

庵 守山駅前


滋賀の守山駅前に「庵(いおり)」といううどん屋さんがあって、数か月に一回ぐらい行っていた。本当にたまにです。正直、老夫婦がやっておられる感じで、固定客となんせ駅前なんでなんでも食べれたらええわという客でそこそこ賑わっていたというのが僕の印象です。
数か月毎とはいえ、何年もいってますからなじみになって、特におばあちゃんの方とはいろいろ世間話をしてました。そんで今日久しぶりに行ってみたらなんと「閉店」の紙が・・・
そんでどうも円満閉店でないような雰囲気が・・・いわゆる「夜逃げ」っぽい残骸・・・仕事柄勘が働きます。これは普通の閉店ではない・・・とね。
結構気に入ってたんですが残念です。(息子が事業失敗したとかかな??)
うどん屋さんとしては経営的には食えてたと思う。
うどんって、地方によっていろいろあって、四国の讃岐ばかりが主流でなく、京都のうどんは柔らかいし、大阪はまた違うように思う。
ここのはほんまに普通のお味で特色がないのが逆に特色だったように思います。
なんか残念な終わり方やなあと思いつつ立ち去りました。
何があったんやろ???





2019/10/28

NEW MUSIC MAGAZINE

ニューミュージックマガジンの初期(1969年)のものが創刊50周年記念ということでそっくり再発されている。
買う人がどれくらいいるのか疑問ですが。(僕は買ってしまいましたが。)
今年の4月号にまず付録として1969年4月号が1冊ついていた。これだけかと思っていたら、5月号から8月号をボックスセットみたいな形で発売、ついで9月号から12月号までも出るみたい。ずっと出すつもり???
僕は当時偶然近所の本屋で見つけて7月号から買いだして、2015年くらいまで買い続けた。「ニューミュージックマガジン」から「ミュージックマガジン」に名前を変えてから正直面白くなくなって、段々積読だけになっていったので5年くらい前に購読を辞めました。
色々と考え方はあると思いますが、拡散気味の編集に興味がなくなったように思う。
当時(1969)の頃は収束気味の編集だった。世の中もそうだったように思う。
出たころ(1969年)のこの本は画期的で他にはなかった視点でロックが学問になるかなと思った人も多いし、ロックの音楽評論家になりたい人が出てきたのもこの本からだと思う(かくいう僕もその一人、なれなかったですが)。JAZZの評論家というのは既にいました。油井正一さんとか良い本を書かれてます。
それで、7月号から持っていて、4月号から6月号までを古本屋で何度も探したけれど、当時の発行部数は少ないと思うので見つけられなかった。4月号は昔20周年か30周年か忘れたけれど、丸々掲載された特別号があって内容は知っていたけれど5月号と6月号は幻でずっと欲しいなあと思っていたので夢がかなったことになる。でもこんな企画をするってことはニーズを感じていたんでしょうね。まだマニアが残っている?でも今の若い人が買って読むのだろうか?
この本の画期的な企画は出るレコードに100点満点の点数を付けたことと書いた人の名前が明記されたかなり詳しい解説(感想)を付けたことで、よくある誰が評価しているのかわからない星5つとか星4つでなく、84点とか83点とか採点する人が別々なので1点の差なんか意味がないのですが変に1点の差を考えてしまったり結構面白かった。当時毎月かなりのロックのレコードが発売されて(ダムに溜まっていた水が放流される感じ)、こちらは毎月1枚も買うことのできない貧乏学生(しかも浪人)だったから、聞くことはできなくてもこの本を読めばなんかその月のレコードを聴いた(読んだ?)気になって毎月この本が出るのを楽しみにしていた。
それといつだったかな?「聞くべきロックアルバム100枚」という特集の本を出して、まあそれを集めるためにアルバイトしましたわ。ただ正直、なんでこんなんが選ばれる??というのもかなりあって、評価した評論家との距離をそれぞれ感じるようになりました。こいつの90点はあてにならんとかね。
でもなんか将来に夢を感じさせてくれる時代でした。


2019/10/18

ラドクリフの記録が破られた

先日のシカゴマラソンで、女子の世界記録が出た。
コスゲイの2時間14分04秒・・・・すごい、東京オリンピックなら男子にも勝てる。(その時はアベベが12分で走りましたけど・・・優勝候補には違いない)  変な比較はさておき。
それまでの世界記録はイギリスのポーラ・ラドクリフの2時間15分25秒。
そのポーラ・ラドクリフのことは何回も書いていると思いますが、お父さんがリバプール出身でビートルズの前身だったクォリーメンが演奏している写真の中に写っているという「噂」があって、来ていたというのはポールも言っているから多分間違いない。
ただ、あの写真のどれだという書き込みがないのよね。

2019/10/16

BEATLES 50周年

 
要はビートルズの50周年のお祭りでいろいろと出てきて、結局買ってしまうという悪循環を断てず揃えてしまっている自分の意志の弱さを痛感している???のかな???

何をもって50周年というのかは、色々とありますが、まあ適当に、オリジナルが出てから50周年経ちました云々・・ということですわな。

正直、もうそれ程びっくりすようなものはない・・・50年も経っているんやで。

とは言えやっぱり買ってしまいます。
アビーロードが届きました。
ホワイトアルバム、サージャント・・・もそれなりに来てます。
まずは当面眺めて昔を思い出します。

アビーロードの時ね、僕は浪人してて、レコード禁欲生活でリアルタイムで買わなかったような記憶があります。
ビートルズを我慢したから志望校に受かりたい・・・そんな時代かな。
これだけ我慢できずに買ったような???
もう古の話です。

結局珠玉の名盤になります。このレコードはほんまに凄い。



2019/10/12

2時間を切る


マラソンを見るようになったのは、寺沢が世界記録を作ったという記事からだったと思う。2時間15分くらいの話。
多分(いい加減ですよ)ローマオリンピック(1960)のアベベの記録を抜いたということかなと思う。
それで、1964年の東京オリンピックでアベベが2時間12分台という世界最高記録をを出すまで,
4年で3分の鬩ぎあいがあったということになる。
その頃はイギリス勢が強く、ヒートリー、キルビー、ヒルという面子がよくマスコミに出ていたと思う。
あとは日本人で、重森?重松?とかいうランナーが世界記録をつくったという記憶がある。
多分日本人によるマラソンの世界記録はこれで最後だと思います。

で、今回の話
今の世界記録は2時間1分39秒でキプチョゲが持っております。

そのキプチョゲが参考記録ながら、1時間59分40秒で走ったというニュースが飛び込んできました。

多分、公式でもそのうちに2時間を切る記録が出ると思います。

昔々、水泳の1500メートルで17分の壁というのがあって、16分台に突入したのはアメリカのロイ・サーリでした。ただ壁はどんどん破られて、今や15分の壁もありません。

アップした写真は上が公認の世界記録を作った時のもので、下が今回の非公認ながら2時間を切った時のものです。






2019/10/11

太陽の下の18才


「真夏の出来事」を聞くためにこれを買った。
ただ3曲目になんと「太陽に下の18才」(ゴーカートツイスト)が入っている。驚きました。
さらに出来がいい。さっきからこればかり聞いている。
誰がこんな曲を推薦したのだろう。
カトリーヌ・スパークはやはりこの時が一番かな。
ただツイストを踊っているシーンにはこの曲はかかっていない。
でも、50年以上も経過すると、カトリーヌ・スパークがこの曲でツイストを踊っていたと錯覚してくる。
それに前にも書いたけれど、下のレコードジャケットの相方のおっちゃん(お兄さん?)のTシャツは映画では赤なんですよね。こんないい加減なことが許されていたのがあの時代??

2019/10/08

竹内まりや

竹内まりやのCDをかなり持っている。さりとて熱狂的なファンかと問われればそうでもない。
竹内まりやさんはオリジナル以外にカバーもんを出されていて、ホンマはカバーしたCDを出したいからオリジナルを出しているのではないかと思うことがある。
で、このCD3枚組ですわ。もう3枚目が本質。
要はビートルズを自分で唄いたかった・・・・。
いやCDに残したかった。
出来はすっごくいいですよ。

昔々、経営コンサルタントの仕事していた時。クライアントの社長の奥さんと話をしていたら、どういうわけか娘さんの結婚式の話になって、
「うちの娘の結婚式に勤めていた事務所の社長さんが来られたの・・・」
「はあーそうですか」
「その社長さんが男のくせにものすごい長髪で気持ち悪かったのよ・・・」
「どういうところに勤めておられたのですか?」
「なんか音楽関係の事務所だった・・。社長さんは非常に有名なお方みたいで確か・・山下??」
「エッ、ひょっとして、山下達郎というのではないですか?」
「そうそう その人よ・・」
「・・・・・・・・・」
長く生きておれば面白い話にぶつかる。



GINGER BAKER

あのクリームのジンジャー・ベイカーが亡くなった。
まあええ歳やさかい。仕方がないかなとおもいます。
正直、ドラムのことはよくわからんので、上手いのか下手なのかもわからんのです。
ただ、迫力があったので、すごいといつも思って聞いていた。
ユーチューブでアート・ブレイキーとのセッションが見れます。
あれを見ていると、かなり真剣な顔つきでアート・ブレイキーが叩いているから
ジンジャー・ベイカーも凄いのかなと思っている。
でもアート・ブレイキーも上手いのか僕にはわからない。

正直単純な僕にはベンチャーズのメル・テイラーが一番上手そうに思える。

このアップした写真の頃からお爺さんみたいですよね。

2019/10/06

金田正一 国鉄

どう考えても日本一(ひょっとしたら世界一)の大投手だと思える金田正一さんが亡くなった。
僕の親父が国鉄職員だったのでプロ野球を見に連れって行ってくれたのはほとんど国鉄戦だった。多分社内割引があったのだろうと思っている。
当時の国鉄(いまのヤクルト)はほんまにメッチャ弱く。見に行ってもほとんど勝たない。
ただ、金田が投げるときは別だった。なんせ三振ばかり。幼いながら、この投手、国鉄以外だったら400勝どころでないなと思っていた。
当時の国鉄の投手は、僕の衰えた記憶では、金田、村田、巽、森滝ぐらいかな。あと変則的な投げ方をするピッチャーがいたような・・・。思い出した北川。
でも巨人に移籍してからは好きになれなかった。やはりあの超弱小の球団にいてあの記録を作ったということにえらいと思っていたから。
でもすごい投手には違いない。
いつだったか、10年くらい前くらいかな、新神戸の駅で見たことがある。その時でも有名人で通る人が手を振る(僕も手を振ったんですけど・・・)からその都度会釈して新神戸に隣接するホテルに行かれました。



2019/09/30

鈴木雄介さん おめでとう

昨日は競歩の前に寝るつもりが、初めからこの鈴木選手がトップでスタートしたものだから、ついつい見てしまって生活のリズムが狂いぱなしで今もなんかおかしい。
50キロを「歩く」・・・走らない。4時間くらいかかる。
初めに鈴木選手スタートから首になんか巻いているから???なんやろ?って思いながら見始める。
で、見てるうちに2キロを25周ということで、毎回2キロごとに氷を帽子の中に入れ替えたり、このドーハに対する創意工夫が見られる。他の選手はという感じで見ていても、鈴木選手ほど用意周到な選手はいない感じで、これは事前の準備の勝利かなと思い出す。
めっちゃ順調な滑り出しで、初めの時にフランスのライバルが接近してきたけれど、突然トイレに入って出てこない。
トイレに行くということも競歩ならではという発想というか、マラソンでは思いつかない話です。
昔、フランク・ショーターが草むらで用を足したという話を思い出した。報道陣が追いかけて顰蹙をかっていた。
そんで、そのあとはぶっちぎりで、「楽勝」と思ってましたが、段々鈴木選手も疲れが(当たり前ですわ)出てペースダウン。
さらに鈴木選手も2回トイレに・・・「えっ、大丈夫やろか」と不安になる。
でもまた走り出す(いや歩きだす)。あくまでも歩き・・・。
もう大丈夫だと思っていたら、やはり世界は広い。どんどん追い上げてくる選手がいる。
凄いよね。人間の体力っていうのは。ちゃんと50キロを想定してペース配分をしてきている。
最後に帳尻を合わせてくる。
最後はもう「がんばれ、がんばれ」の声援で・・・何とか金メダルでした。
競歩をはじめから終わりまで見たのは初めてでしたが面白かった。
鈴木選手は、なんと20キロの世界記録保持者で、オリンピックはどっちで出るの??
2つとも出るのはどう考えてもあり得ないですわね。10000とマラソンに出るというレベルでない。
20と50なら70キロですもんね。
20キロは強敵が多い。
50キロは体力勝負・・・
しかし競歩のルールって誰が考え出したのだろう。
1964年の東京オリンピックの映画で競歩でゴールインしてテープを引きちぎるシーン??を思い出す。









2019/09/29

昔の思い出

手前に写っている低く見えるアパートがどうも取り壊されるらしい。奥の方は新しいマンション。
手前のアパートは大阪の茨木の春日町にある三和銀行(今はどこの銀行??)のアパートです。
多分1960年代の初めにできたと記憶している。もう人はほとんど住んでいなかった感じがする。
奥の方のマンションもその前は東レ(当時は東洋レーヨン)のアパートだった。
同じ頃この地域にはどんどん企業のアパートが建設され、僕の通っていた春日小学校にアパートが出来る都度転校生が入ってきた。他にも但馬銀行とかの社員寮が出来たり、もう花盛りだった。
その時に思ったのは、どうもあのあたり(三和銀行、東レ…)の子供は頭がよくお稽古事をやっているという印象がつよく残っている。特に女の子はピアノとかまれにバイオリンとか・バレエとか・・・
昔の茨木に昔から住んでいる子供の世界とはちょっと違うなという印象だった。
ただ、その後思ったのは頭は一緒、ただ生きるスタイルが洗練されていただけだとわかってくる。
所詮、あほはあほ。お利口はお利口さん
かくいう僕も小学校3年に転校してきたので地元の人間ではないけれど、一つの企業から集団で入っているということでもなかったので、なんか同じ会社に勤めている子息がドバっと入ってくるのは結構圧巻だった。中にはドイツにいましたとか・・・海外経験がある子供がいたり。ドイツ帰りの女の子はもうなんというか日本人と思えなかった。なんというか立ち振る舞いが日本人ではなかった。
僕にはめっちゃ格好良かったけど、同じ日本人でこんなに違う雰囲気が出るなんて驚きでした。
本人は苦労されたかも。倉田さんといったかな。可愛いかったです。しかも小学生のくせに毅然としておられました。
もともと農家ばっかりの地域だったので、段々打ち解けて入植者?たちと話をするようになると驚きの世界が聞けて楽しいというかもうみんなで劣等感を感じたり、それなりに刺激を感じた時代です。
なんというか勉強せんと出世できないサラリーマンの世界とそんなに勉強せんでも田んぼがあったら食える世界と、それぞれ形成される人生観、子育て感が違っていくなあと大人になってから思った。
それと、その後大学生になってからこの地域の郵便配達のバイトをしたことがある。その時思ったのは三和銀行も東レも「日経ビジネス」という雑誌を皆さん購読しているということでした。
自費なのか、会社の負担なのかはわからないけれど、なんか「日経ビジネス」という雑誌は三和銀行と東レの社員がよく読んでいるのだなと、その時の記憶です。
それが原因か知らんけど、今も自分で購読している。
ぼちぼち経済活動からお別れしたいなと思ってますが、なかなか難しいです。

多分立派なマンションが出来るのだろう。



2019/09/25

「メタリカ」バージョンの「王様」

ユーチューブで王様の演奏はかなり見ることができる。特に奈良で行う「寺ロック」のライブは楽しい。奈良といっても「鹿」のいる奈良公園ではありません。かなり僻地に近い。榛原あたりですよね。一回行ってみたいけど車で行かないと不便やしなあ・・・と思っている。
で、色々と見ていたらメタリカバージョンの「湖上の煙」があった。
メタリカ風になっている。僕はギターのことは分からないので、そんな簡単にメタリカ風になるの??と思って見てました。ほんまに面白いですよ。この人ほんまに不思議なお方ですわ。

2019/09/24

JAMES TAYLOR

ディープ・パープルとジェイムズ・テイラーを交互に聞くなんて今からかんがえたらあり得ない組み合わせのような気がするけど、当時は聞いていました。
ジェイムズ・テイラーって一番初めアップルからデビューして親近感があったからかもしれない。
このアルバムからシングルになった「ファイアー&レイン」が大ヒットするんですが、個人的にはあるバムの名前にもなっている「スィート・ベイビー・ジェイムズ」がお気に入りです。
今は全く髪の毛がなくなってます。誰も歳には勝てない。かくいう僕もおんなじ。

2019/09/23

高速道路の星

ディープパープルっていうバンドはこのレコードで日の目を見るまでは、まあマニアは知っているけど、今後どうなるか分からない感じのバンドだった。(全部持ってますが・・)
方向性が決まらないというか。
「イン・ロック」で結構いい感じのレコードになっていたけれど。正直、今回はこの路線ですか??という疑問が付いて回っていて、まだ怪しさが残ってました。クラシック系の要素が強く(ジョン・ロード)フラフラしている感じが否めなかった。
で、この「マシン・ヘッド」、今になれば「ハイウエイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という「王様」の必殺レパートリーになる曲が入ってます。
これが当たったわけですね。
でも今から思えば、歌詞なんか気にせず聞いてましたけど、王様の直訳CDを聞けば「大したことは歌ってない」ということがよくわかります。でもあの頃、歌詞なんかどうでもよかった時代でした。

いつも思い出しますが、当時、このレコードとジェームズ・テイラーの「スィート・ベイビー・ジェイムズ」を交互に聞いていた。不思議な時代だった。






2019/08/29

懐かしのF1

F1を楽しみに深夜に見ていた時期がある。
結局アイルトン・セナが事故死してから段々見なくなったような。
セナがトップに立ってからより、ネルソン・ピケやナイジェル・マンセルがトップにいて、それに肉薄する時代のセナが楽しかったかも。
それとホンダの世界一になる夢がかなう時期でもあったし、株も買ったなあ、年末にポスターが送られてきた。

2019/08/12

さよならボーク

久しぶりの書き込みです。
高校野球が開催されている。マニアではないが見てしまう。
記憶に残っているのは西条高校という四国の学校が優勝した時から記憶に残っている。
作新学院の史上初めての春夏連続優勝も覚えている。
でも時々思い出すのは、松坂で沸き立っていた時の宇部商業の藤田君というピッチャー、実に小柄でほんまに野球やってんの?という体つきのピッチャーさんでした。
延長戦でもう球数200球を超えていた。
そんで、満塁のシーンで突然ボークの審判で三塁のランナーがホームインで試合終了。
素人には何がボークか皆目わからなかった。
ボークで、もう一つ覚えているのは三池工業と報徳学園の谷村投手の涙のボーク。
もう記憶のメモリーの容量が足らなくなって最近のは無理ですが尾崎の浪商と法政二高の試合もよく覚えている。三沢と松山商業・・・丁度50年前です。
高校野球はやっぱりプロとは違う魅力があります。

2019/06/30

JEFF BECK

 
ヤードバーズというグループは今から考えたら、残党?がそのあと生き残ったというか、メジャーになって不思議な運命を担ったバンドだと思う。
本来ならキース・レルフのボーカルを中心としたバンドだったはずが、ギタリストがエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジともう大物ばかりがいたことで、そっちが有名になってしまった。
ただ、それだけでなく、キース・レルフもルネッサンスというグループを編成して(当時は妹をボーカルに起用)活動、そのルネッサンスは変遷を重ね名前が残り。結局ロック史のいたるところに元ヤードバーズの名前が出てきます。
ヤードバーズを辞めたジェフ・ベックはソロで上記のアルバムを出しますが、ボーカルがロッド・スチュアート!!!もうこの頃は楽しい楽しい百花繚乱、後の大物ばかり。
ブリティッシュロックの幕開けの時期です。


2019/06/28

LED ZEPPELIN

新しい時代に生き残ったのは誰だったかなと考えていて、グループの名前だけで考えていたから見落としていたバンド及び個人がいっぱいいたことに今になって気が付く。
まずはツエッペリン。
「フオー・ユア・ラブ」のヤードバーズ。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジ。
このツエッペリンほど新しい時代を感じさせてくれたバンドはいないように今になってですが思うことが多い。
もう感激の嵐。一枚目、二枚目。擦り切れて何枚持ってますやら。
毎日、聞きました。(お経のように・・・)
今になって段々種明かしっぽい話が披露されてきますが、一枚目の時点でジミー・ペイジの頭の中にはアイデアがいっぱいだったようで、ブルースを基調としたリフをベースに云々・・・。
結構、文化の流れを見ていたら、そういうパターンって多いように思う。溢れる気持ちが流れ出す。
すっごくわかる時代でした。













2019/06/20

FLIED EGG

この有名なレコードも、よく考えたら出だしはサージャントペッパーズの「乗り」のように思えてきた。いままでそんなにも思わなかったのですが。
このレコードに関する記事は既にネット上にいっぱい書かれてあるので説明無用と思いますが、それまで出ていた、ロックの名盤のエッセンスを凝縮したもう驚異的な作品です。
大瀧詠一やサザンともアプローチが違います。

2019/06/11

THE KINKS

ビートルズの時代の3大アーティストと問われれば、あとストーンズは来る。
ただ、次がなかなか難しい。初期に限定したらハーマンズ・ハーミッツとかデイブ・クラーク・ファイブとかが上がるかもしれないが、長期で考えたら、先日の「THE WHO」かこの「THE KINKS」が順当だと思う。
THE WHOは厳密にいえば、リバプールサウンドの隆盛時期から少し後半なので、1964年に活躍していたという条件を差し込めば、やはりキンクスが妥当だと思う。
このキンクス、なかなかややこしい。誰でも聞いたことのある「YOU REALLY GOT ME」をスタートとするいわゆる「キンキー・サウンズ」(ファズトーンを聞かせたリフ)から、ロックオペラ、牧歌調的サウンド等々変幻自在。さらにシングルでは全米1位とかも記録するなどついていくのに疲れます。アルバムもさることながら一つ一つの曲に味わいがあるものが多く。
「セルロイドのヒーロー」とか「ウォータルー・サンセット」とか、これだけで十分という出来栄えです。
多分、全部気に入っているというファンは少ないのでは?
個人的には牧歌調路線は無理ですね。















2019/06/10

THE WHO

ROCKの時代になって生き残れたのは???というような切り口でいろいろ考えを巡らせていたら、この「THE WHO」も見事に生き残ったバンドだよなあ・・と。
ビートルズのサージャントペッパーズの影響を受けたとも思ってないけれど、モンタレーポップフェスティバルでも存在感を発揮していたし、ウッドストックでも目立っていたし、どこかで劇的に変化したようにも思えないけれど、やっぱり「トミー」を出したあたりから変わってきたようにも思える。
このライブ盤、それまでのヒット曲と新しいところを混ぜたなかなかの出来で、あんまり気が付かなかったけど演奏力が高い。(キースムーンのド派手なドラムとギターをぶっ壊す派手なアクションが目立つから気が付かない)
今では、初め出た時はカットされていた曲もはいったバージョンも出ていて、ほぼ全体が分かる。
結局、グループとして来日が叶わなかった大物バンドの一つです。
「四重人格」も凄いアルバムだったし、一番目立たなかったジョン・エントウィッスルのベースはバカテクで実はこの人が縁の下のなんやら・・という気がしないでもない。
それとこのグループにまつわる映画もあるし、モッズ対ロッカーズの伝説には出てくるし、不思議なポジションを築いたバンドです。

2019/06/03

HIRAYAMA MIKI

この間から、「平山みき」にはまってまして、もともと好きな声なんでよく聞いてましたが、先日上にアップしたCDを買って、ますます。
この人の声ってなんと表現したらいいのでしょうかね???
それとまあ美人なんでしょうけど、すべての写真が気に入るということもないのです。個人的には。
そんで好きな表情のジャケットを2つあげておきます。
下のレコードの「真夜中のエンゼルベイビー」はハルヲフォンの「電撃的東京」で知ったのですが、このレコードジャケットはレコードなんで(当たり前)購入価値があります。買おうかな!!
なんせ30センチ四方ですからね。唇の大きさが丁度いい感じで??(何考えてんねん??)



2019/06/01

王様

昔、このCDを買って大笑いしたことを思い出した。
もう20年以上前の話で、その後も結構な面白い種類のCDを出している。この人のCDのいいところは、直訳とはいえ、まあ大体歌の内容が分かるので歌詞カードを訳す必要もなく重宝している。
あと、異常なほど数沢山のライブ活動をしているので意外とご近所にも出現しているかも。
さらに付け加えると、この王様はほんまにギタリストで食えたのではと思えるほどギターが上手い。しかも,そんで上智大学出身とか言われると直訳も完璧なのかなと勝手に思ってしまう(完璧な直訳っていうのもわけわからんですが)。
他の人にはまねできない世界を確立したことは確かです。

ユーチューブでなんぼでも見れるので見てください。なんでも弾かはりまっせ。特に寺ロックのライブとかお薦めです。

そうそう、わがレッド・ツエッペリンの代表作に「貴方を愛し続けて」という名作がある。3枚目ね。
かってに、あなたをずっと愛し続けているという内容かと思いきや、あんたを愛してからえらい目にあった・・という歌でした。王様の解説を聞くまでえらい勘違いしてました。
こういう勘違いは、他にもあるような気がします。

あと「医者、医者」とか???なんやったかいな?UFOの「ドクタードクター」や・・・とか思い出すのがメッチャ楽しい。
さらに、「into the arena  」(直訳では「土俵へ」)が飛び出てきて、最後のフレーズが出てこないとわからない。すごいですよ。マイケル・シェンカーを久しぶりに思い出した。ただそこまであんな曲コピーできるのがもう驚異的(多分完全なコピーはできないし、本人のライブでもオリジナルと大分違っている)。それも他にも多彩な曲がいっぱい。
ユーチューブで一日楽しめました。



2019/05/25

MOTHERS

このマザーズの「WE'RE ONLY IN IT FOR THE MONEY」というレコード。正直聞きたいけれどずっと躊躇っていたレコードで、ずいぶん後になって購入した。
こんだけジャケットを似せたものは他に例がなく、出た時から話題にはなっていたけれど、フランク・ザッパ先生の世界は僕の感性ではついていくのが困難でした。今もそうかもしれない。
ただ、このようなジャケットのレコードを出したザッパは、サージャントを良くも悪くも評価したんだろうと推察できるわけで、これを機会にもう一回聞きなおそうかなと思っている。

2019/05/13

THE ANIMALS (ERIC BURDON)

「朝日の当たる家」というポップス史上に残る有名な曲がある。
昔からのトラディショナルを見事にアレンジして1964年に大ヒットさせたのが、イギリスのアニマルズ。

この曲にボブ・ディランはぶっ飛んで、自分もエレキギターを持つようになった云々は有名な話。
もともとリズム&ブルースのビートバンドでリードボーカルのエリック・バードンの「ええ声」が売りもんだった。そこそこヒット曲も多いし、イギリスのビートグループとしては成功したほうだと思う。
そのアニマルズが1967年のモンタレーのポップフェスティバルに出た時のことを「モンタレー」という曲で唄っている。出演したバンドの名前が次々に出てくる他に例のない歌です。
この後ぐらいから、エリック・バードンはサンフランシスコのサイケデリックバンドみたいになっていったように思う。
名前も「エリック・バードンとアニマルズ」として上に載せた「ウィンド・オブ・チェンジ」というレコードを出す。見るからにその時代のジャケットです。
その後、アニマルズを解散して「エリック・バードンとウォー」というバンドを結成。
もうここに来ると昔の面影はなく、まったく違うサウンド(ファンク??)づくりに成功(したんだろうね)。

その後、「ザ・ウォー」は「 WAR」としてエリック・バードンと別れて、ヒット曲を出していく。「シスコ・キッド」・・懐かしいですな。
アニマルズとしては次のロックに時代に残ったのかどうかは疑わしいですが、エリック・バードンは見事に次の時代に生き残ったといえる。
ただ、ウォーと別れてからはあんまり活躍していない感じがしてます。ソロのCD買った記憶があるけれどあんまり聞かなかった。ラスベガスで唄っているとか???ほんま??






2019/05/12

THE BEACH BOYS


サージャントペッパーズの影響をもろに受けたのは、意外と(でもないか)アメリカのビーチボーズだった。
ビートルズがアメリカのヒットチャートを席巻しているとき、対抗馬として真っ先にビーチボーイズがあげられた。イギリスVSアメリカ・・・という構図。その時のテレビ番組はユーチューブで結構見ることができる。ビーチボーイズとデルシャノンとかがアメリカ勢。結構しんどい構図。
サージャントが出る前から、ビーチボーイズのリーダーだったブライアンウィルソンは、ビートルズの「ラバーソウル」が出たあたりから悩み出したみたいで、だんだんお酒と薬の世界に入り込んでいく。
レコード会社より「楽しい学園生活とサーフィン、ホットロッド」のテーマばかり追い求めさせられていたブライアン・ウィルソンとどんどん世界が広くなっていったジョン・レノンとポール・マッカトニーの作る世界は自ずと勝敗はわかっていた。
「これではいかん」とブライアン・ウィルソンは決意して、変身を図る。
ところがあまりにも変身しすぎて周りのメンバーがついてこれない・・・。
と、まあ、ごちゃごちゃあって、ビーチボーイズのサージャント版と言われる「スマイル」は、お蔵入りに。まぼろしの名盤と呼ばれる「スマイル」に関してはその後いっぱい報道がなされて、もう何年経っただろうか?  
ブライアン・ウィルソンがリハビリから立ち直ってソロアルバムを出しだして、ついに個人的な「スマイル」を発表。ここで「スマイル」の全体像らしきものが分かってくる。
そのあとで、ついにビーチボーイズの「スマイル」が発売。
そんで、どうやねん????
サージャントと比べて???   ということになりますが。
同時期に聞かないと正直判断がつかない。
あの時期(1967)に聞いていたらどう思ったのだろう?
聞き手(僕)も変わっていくし、ポップス、ロックの時間を超えての比較は無理だと思っている。
昔買えなかったレコード(CD)を手に入れて聞いても、やはり正確な評価はできない。

ただ、この「スマイル」は、今聞いてもすごいです。個人的にはブライアン・ウィルソン・バージョンの方がお気に入り。

2019/05/10

THE ZOMBIES & THE MOODY BLUES

リバプールサウンド全盛時に出てきたバンド。
ゾンビーズは1964年に「シーズ・ノット・ゼア」という曲がアメリカのキャッシュボックス誌で1位になってその後もスマッシュヒットを出す。ムーディ・ブルースは「ゴー・ナウ」というヒットで一躍スターダムに。
この2つのグループは結構好きだったので気にかけていた。
まず、ムーディ・ブルースはブルースといいながら、にわかにプログレ路線(今のジャンル分けやったらシンフォニック・ロック?)に舵を取り「サテンの夜」という名作を出す。ビートルズのサージャントと同じ頃なので、両方とも「トータルコンセプトのアルバム」としてよく話題になったけれど、サテンの夜は初めからコンセプトを決めて作ったらしい。
どうもビートルズの方は偶然コンセプトがあるような出来になっちゃいました・・というのが本当らしい。
ゾンビーズのこの「オデッセイ&オラクル」もサージャントバージョンみたいな紹介のされ方をされている記事を見かけるが、これはコンセプトアルバムでないと思うし、時期もちょっと後というか、この時期のゾンビーズはもう鳴かず飛ばずで、音楽を止めて就職しようか??というメンバーもいた時期で、もう最後やと思って作ったアルバムです。
ところがこのアルバムに入っている「ふたりのシーズン」という曲が超大化けして、にわかにメンバー再結成してコンサートやるとかそんな話があった記憶がある。この「ふたりのシーズン」という曲は日本でもテレビのコマーシャルに何回も使われていて、僕はキャノンのコピー機だったかな不思議の国のアリスに出てくるようなウサギが出てくるシーンを今でも思い出す。
出だしの「溜息」が印象深く、イギリス版青江三奈??と僕のあほ友達は言っとりました。
ただ、生き残ったか?という意味ではムーディ・ブルースは見事に次の時代へ・・、ゾンビーズはメンバーのロッド・アージェントは個人的に生き延びた感じがするけど。グループとしてはこのレコードを出して終わったような気がしてる。ただ、「ふたりのシーズン」という誰でもが知っているメガヒット曲があるので懐かしのコンサートで食えているような気がしてます。






THE ROLLING STONES & THE HOLLIES

 

ビートルズのサージャント・ペッパーズは、聞き手に大きな衝撃を与えたけれど、同時に同業にも聞き手以上の衝撃を与えたみたい。
早速、よく似たアプローチのものが出てきだす。まずは御大ローリング・ストーンズの「サタニック・マジェステイーズ・リクエスト」とホリーズの「エボリューション」。
ストーンズの方は評価が割れて、僕は彼らには悪いけれど星1つ派です。この路線は彼らには向いていないと思ってます。ホリーズの方はなかなかの出来ですが正直コンセプトアルバムとは思えません。いまいち売れませんでしたね。今聞いてもいい出来ですが。
それで、彼らが生き残ったか?といえばストーンズは、今から考えたら、スタイルはあんまり変わらず、そのまま大物になっていった。これは凄いことだと思う。出すレコード、出すレコードにいい出来のものが多かったしね。
一方のホリーズは、中心人物だったグレアム・ナッシュが抜けて、クロスビー・スティルス&ナッシュというアメリカとイギリスの合同チームを作って、新しい時代の一翼を担う。
残ったホリーズは「もうあかんか?」と思っていたら、メンバーを補充して「(黒い)喪服の女」という曲を大ヒットさせてしまう(FBIがどうのこうの・・訳してみたら面白そうな歌詞です)。起死回生の大ヒット。ただ次のロックの時代で活躍したかといえばそうでもないかな。僕はこのバンドが好きで今もよく聞きますけど、やはり「バスストップ」の頃が最高です。
リバプールサウンドのポップ的な部分はこのグループが一番だと思う。ベスト盤なんか一日中ずっとかけていても聞けるしね。








2019/05/02

THE BEATLES

ROCK進化論っていう妄想?というか希望?というか戯言?・・・というものがずっとある。
その原因の根源は、プレスリーとビートルズの出現に加えてビートルズがこのレコードを出したからだとずっと思っている。
このレコードの出現でポップスはロックになった。
ここでそれまでのビートグループはふるいにかけられた。
生き残るものもあり、ここで息絶えたものもある(というか生き残った者が少ない)。
ちょっとそんなことを考えてみたい。

2019/04/28

リヴァプールの若者たち

ホンマのレコードジャケットはこんなに黄ばんでなかったと思いますが、アップされている写真がもうアップする時に古くなってるんですね。
僕はこのレコードが欲しくって欲しくって仕方なかったんですが、もう当時は小遣いの関係で買えませんでした。1964年の暮れぐらいに出たかな??
東芝から出ていた有名どころ、ビートルズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ジェリーとペースメーカーズ、ピーター&ゴードン、スィンギング・ブルージーンズ、フレディとドリーマーズ、ビリー・J・クレーマーとダコタス、ホリーズ、マンフレッド・マン、フォー・モスト。
普通ならこれで終わりなんですが、どうも東芝さんも当時は情報混乱でフォー・モストと思っていたのがパラマウンツというバンド、このパラマウンツその後「青い影」のプロコルハルムの前身です。
これって貴重ですね。で、どうもフォー・モストは「ない」・・・ということかな??
このシリーズ結局第3集まで出たはずですが、やっぱりこの1作目が最高です。
毎日レコード屋で「欲しいな」と思って眺めてたレコードです。


2019/04/27

マージービート&リヴァプールサウンド

竹内まりやの「マージービートで唄わせて」と野田幹子の「GOODGYE LIVERPOOL」
もう題名だけで買ってしまったという代物ですが、不思議な気がいつもしてます。この2人は今でもご活躍で、竹内まりやさんはもう誰でも知っている大物に、野田幹子さんもコアなファンがいらっしゃる知る人ぞ知る存在です。
最近はリバプールサウンドといっても知っている人がいなくなりましたけど。僕にとってはブリティッシュ・インベイジョンでは何のことか全く分からない。
やはりリバプールサウンドですな。
要はビートルズを先頭にアメリカのヒットチャートに乗り込んだ面々の総称のことです。
音の話ではないです。いろいろ混ざってますから。もう何でもありです。

2019/04/11

MEET THE BEATLES !

全てはここから始まった。
「ミート・ザ・ビートルズ」 1964年4月15日発売 オデオンOR-7041 です。
もうこの1枚は世界中から欲しいマニアがいるくらいの超選りすぐりの名曲が入ってます。
同じ「ミート・ザ・ビートルズ」でも国によって入っている曲が違ってます。
僕はこれから聞き始めたのでノックアウトされたのは当然(日本のファンは皆さん同じ)
超強力盤です。もう名曲オンパレード。ヒット曲とはこれだ・・という見本ばかり。
当時1500円  なかなか買えなかったです。 お年玉でしか・・・という時代です。
ただ、当時1500円が自由になった友達もいて、まずその友達が購入、その後、テープレコーダーに録音(大抵 英会話のために親が買ってくれていた)、まずテープで聞いた。
懐かしいですな。
今日はこれを聞いて満悦です。

2019/04/05

ROGER TILLISON

人間ていうのはほんまに不思議な生き物で、先日新大阪の駅で電車を待っているときにこのレコードのことを思いついてしまった。
その時はこのジャケットの画像だけで、題名アーティストまで思い浮かばなかった。
それで気になるのでその日はこのジャケットに行き当たるまで探しに探しまくりました。
見つけたのは「ROGER TILLISON」の1枚目・・・でもこの人2枚しか出していないみたい。
なんで僕の記憶に残っているのかはまあ想像は着くんやけど・・・ほんまに頭の構造って複雑。
意外と聞けます。

2019/04/02

MAKE UP

裕也さんが亡くなったので、先日からこれをよく聞いている。
多分アップしたジャケットの一番左の前に座っているのが裕也さんだと思う。
このころはプロデューサーとしての役割の方が大きかったと思われますが、このレコード(当時は2枚組)は本当に出来が良く、今でもよく聞いていたし、今回の訃報でますます聞くことに。
正直なところ、他のフラワーズのアルバムは今一感がぬぐい切れず、このアルバムで脱皮した感があります。
個人的には、四人囃子の一枚目とこれが日本のロックの双璧だと思っている。

2019/03/20

内田裕也

内田裕也さんが亡くなった。
実に摩訶不思議な人でこの人のおかげで「ロックンロール」が曲解されている気がする。
この人の「ロケンロール」って何だったんだろう。
歌手としてよりプロデューサーというかイベント興行主というか縁の下の力持ちっぽい印象が僕には強い。年末のコンサートにも何回か行ったことがあるし持続させたのは本当に偉いと思っている。
フラワー・トラベリン・バンドのメイクアップという2枚組のレコードに1曲だけ「ブルー・スェード・シューズ」を本人が歌っている。結構気に入っている。バックが凄い面子なんで。裕也さんのボーカルに惚れたわけでないです。
それとアップした「ロックンロール放送局」、田中角栄のダミ声で始まるこのレコードも当時よく聞いた。それとオノ・ヨーコとの人脈も不思議です。
この人、大阪の三国ケ丘高校卒なんですよね。やっぱり異才なのかな???
ともかくお疲れさまでした。合掌。