2020/08/31

雑感(政局・国際情勢・コロナ・・)


 コロナ禍で時間があって、初めはゆっくりして収まるのを待つかという気持ちだったけど、こう長く続くとちょっと不安になってくる。半分年金生活者なんで世間で本当に困っている人より困り具合はましなんですけど、先立つものが入ってこないと、さあどうしたものかと天を仰ぐことが時々出てくる。

安倍さんが退陣して、次は??という報道が目立つ。当初、菅官房長官の芽はないと思ってたけれど、このコロナを収めるノウハウは菅さんが一番かもということでにわかにナンバーワン候補に。僕もまずコロナを収めてよと思うから、菅さんに一票(投票権ないけど)。

次は、ドイツのことを考えていた。5Gの関係でアメリカが横暴な要求を自由主義陣営に要求して、初めはイギリスが難色を示していたので、どうなるかなと思っていたら、突然大人しくなってしまって期待外れ。いまドイツが悩んでるはず。ドイツは今はアメリカより中国で商売している。同じ、第二次世界大戦で負けた方やけど、日本はやはり中国には受けが悪いようで、結構いい商売の話はドイツにほとんどかっさらわれている。いまドイツは中国と仲たがいをしたくないはず。さあどういう結論を出してくるでしょうか?
メリケルさんはトランプさんと相性悪いみたいですしね。そりゃそうですよね物理学者さんと悪徳不動産屋さんとの相性がいいわけがない。

ある意味、韓国も同じ状況。中国なしで経済が成り立たないようになってきている。
韓国もアメリカが鬱陶しいように思っているはず。
要は中国の経済力が強大になって来てアメリカを凌駕するくらいになってきたということ。
ただ、言論の自由がない国とのお付き合いは上手くやらないとねえ。危ない危ない。

脱線しますが、韓国に制裁の意味で半導体の材料の供給を止めましたが、この作戦は絶対に日本にとって不利。結局、韓国という得意先を失うことになる。もうやる気になればどこの国でも出来るようになる。日本だけが特別優秀だと過信してはいけない。優秀な人材はほとんど一緒。お客が韓国オンリーだった企業は廃業の憂き目にあう。過去にも事例がある。そのへんどうしてわからないのだろう???

日本はもうアメリカべったりでいかんとしょうがない。

各紙の安倍さんの功績評価を読んでいると、雇用改善にたいして非正規雇用ばっかりでそういうのは成果と言えない云々という評価をしている記事を読んだ。
正直、まともな経営者は正規雇用は怖くてできない。その辺すごくマスコミの記者とギャップを感じる。よく考えたらマスコミ関係のお方って高給ですよね。

使った写真は、ディープパープルの初期のレコードジャケット。2枚目か3枚目かもう昔の話で忘れてしまってます。イアン・ギランが入っていたかな?多分ロッド・エバンスの時代でしょう。こんなこと覚えていても仕方がないけどくだらんことばかり記憶に残ってます。


2020/08/29

安倍首相辞任


 なんか最近元気がなさそうと思っていたら辞任されました。
それ程個人の政治家さんをどうのこうのいう気もないので「そうですか」という淡々とした気持ちですが、長いことされたなという気持ちと、改めて公約を実現するのは難しいと思った。そもそも公約にするのに無理がある。
朝日新聞を読んでいたら、実現できなかった項目を挙げて批判じみた記事もありましたが、誰がなっても出来ないことばかりだと思う。
次の総理大臣が解決できる???  出来ないよね。

拉致問題
北方領土
原発ゼロ

そしてコロナ

なんか持病が原因で辞任が2回目なのはリスク管理が出来ていない云々の書き込みをしたアホな議員がいたらしいですが、何でも「リスク管理」「コンプライアンス」「ガバナンス」・・今はやりの言葉で批判したらいいというものでもないと思う。

難病を患わっていたら国会議員になったらあかんということにもなりかねない。

個人的には就任直後の「アベノミクス」は効果があったと思ってます。
僕は憲法改正には反対で、あんまりこれ以上力が集中しないことを願っていたので、今年のオリンピックで花を添えてご退任が一番いいことだと思ってましたが、コロナがすべてを打ち砕いてしまった感がある。コロナがなかったら任期を全うできたでしょう。

お疲れ様でした。僕は及第点をつけます。菅直人なんかに比べたら月とスッポン。

森友学園等ファーストレディさんの言動が足を引っ張った感じ。嫁さんに甘い?
さらにちょっと慢心的な言動も後半目立った。ライバルがいなくなった(いなくした?)ことも影響か?本来ある書類がないとか「オイオイそれで済むか?」ということも多かった。税務署やったら許してくれへんで・・・。

ただ、そういうことで全体の評価をするのもおかしいと思っている。
森友、獣医学部、桜の3つで全体のペケ評価している報道もある。

折角全身全霊を尽くしてやったのだから、くだらん汚点があったのが残念。




2020/08/28

MUSIC LIFE 2



一番上は、1960年2月号、「旗照夫」さん(多分この字だったはず)と隣の女性が分からない。「○さゆり」と読めます。知っている人教えてください。
真ん中は弘田三枝子さんで下がコニー・フランシスさん。
弘田三枝子はブレンダ・リーの雰囲気を真似たのかな。
ビートルズ旋風までもうすぐの時代。1963年はイギリスではもう真っただ中です。
コニー・フランシスの歌をカバーした日本の歌手は多いですが、本人が日本語で歌っているものも多くあって、その出来がまたいいのです。
個人的には、日本語歌わせたら抜群だったのはぺギー・マーチとコニー・フランシスだと思います。
あとシルヴィ・ヴァルタンの今は倒産してしまったレナウンのCMソング。これは超マニアの好みですが。




2020/08/23

MUSIC LIFE


 
ビートルズの出現で音楽雑誌を見始めて、その後買うようになった。一番初めはポップスという雑誌を1965年の初めに買った記憶がある。このポップスという雑誌には僕の知りたい、要はビートルズ関連の記事もあったのですが、やや格調が高く、ジャズとかフォークとか様々な音楽について書かれていたように思う。次に目を付けたのが「ミュージック・ライフ」という雑誌で、何月号から買いだしたのか記憶にはないですが星加ルミ子さんがビートルズに会ったのは買っているので、多分1965年の夏あたりから買っていたのは確かです。ビルボードかキャッシュボックスか忘れたけれどアメリカの1か月分のチャートが載っていたのが楽しみだった。
アップしたのは、ネットで見ることのできる表紙ですが、一番上はなんと「ジャズの月刊雑誌」というキャッチフレーズで表紙はザ・ピーナッツ?(ザ・ピーナッツってジャズ??)で1959年10月号、真ん中は1964年1月号でコニー・スティーブンス(歌手よりもハワイアン・アイの俳優さんとしての方が売れていたかも)、この頃来日したのかな?
下は11月号でブレンダ・リー(彼女はこの頃までまだヒット曲があったかも、当時はダイナマイト娘と呼ばれていた)。いつから「ジャズ」から「ポピューラー・ミュージック」になったのだろう?多分どこかで「ロック・ジェネレーションのためのミュージックライフ」に変わったはず。
ミュージック・ライフは音楽関係の出版社をしていた家業を引き継いだ草野昌一さんが出版されていた雑誌で、この草野昌一さんというお方、もう一つお名前をお持ちで「漣健児」とおっしゃる。このお名前 オールディーズをお好きな方ならどこで目にしているはず。1960年代初期の翻訳ポップスの日本語バージョンの歌詞はほとんどこの方です。飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」とか中尾ミエの「可愛いベイビー」とか。これって和訳でっか?と突っ込みたくなるほどの訳詞もあります。
弟さんが当時の東芝のディレクターさんで、この兄弟コンビがビートルズを迎えるまでの日本の翻訳ポップス文化の立役者だったと思います。
その後、病が高じて、ミュージック・ライフだけでなくニュー・ミュージック・マガジン、ティーン・ビート、音楽専科、ポプシクル・・・手当たり次第に買っていた時期があります。先日、物置にしていた実家を処分した時にこれらの雑誌を古本屋に売りましたが、ほとんど価値を認めていただけなく、好きな方にあげたらよかったと思ってます。
まあ好きな方を見つけるのが大変ですが。






2020/08/17

Jackie DeShannon 3

 

1番上の写真がジミー・ペイジ、2段目がソニー&シェールです。ジミー・ペイジとは一緒に仕事をしたような記憶が、ソニー&シェールはソニー・ボノの作品を彼女が取り上げている。確か「ピンと針」ですね。いずれにしても突然大物の写真がフワ~っと出てくるのがこの人の特徴で、昔から影の大物っぽい雰囲気を僕個人としては感じてました。
3段目はキム・カーンズ、「ベティ・デイヴィスの瞳」で有名、長期間全米ナンバー1の超大ヒット曲、この作者(作曲)がJackie DeShannon、ご本人は一番下のCDで歌ってます。かなり感じが違います。こういうのを聞くと編曲者の手腕というのを感じます。
話はかわりますが、ベティ・デイヴィスって若いころは絶世の美人だったようですが、僕は怖い映画でカムバックされてからの方を見ているので、どちらかと言えば「ベティ・デイヴィスの瞳」ってどんな瞳???絶対怖いわ!!!!と思ってしまう。
淀川さんの解説で見た「何がジェーンに起こったか」だったかな、初め見たときは怖かったです。




2020/08/16

Jackie DeShannon 2

 
僕は長い間、Jackie DeShannonは歌手であるけれど本職はコンポーザーだと思っていた。作曲・作詞両方ともしている感じですし、ただ出ているレコードの枚数はかなり多く、失礼ながら爆発的には売れていないものが多い。トップテンに入った曲は2曲だけ。そういう意味で不思議な歌手だといつも思っていた。しかも意外と特別扱いっぽい感じがして、ある意味ミュージシャンズミュージシャンかなと思ってました。
今回、色々と調べてみたら、映画に出てるんですね。しかもいわゆる1960代初期に流行ったビーチもの。「SURF PARTY」そのまんま。サントラのジャケットにもなっている。しかも水着姿で。いよいよ摩訶不思議さが増す。
「SURF PARTY」??で僕の記憶が・・・見たことがある。
アウトロノウツが出ていた映画。
アウトロノウツって、あの「太陽の彼方に」の大ヒット。日本でバカ売れ。
ただ本国ではそれほどでもなかったけれど、売り込む過程でかなり出番をもらっている。ビーチものの映画には他にも出ている。海のないコロラド州出身のサーフバンド?の売りだった。
以前、youtubeで「SURF PARTY」を見たことがあるけれど、それはアウトロノウツが出ているところに限られているから気が付かなかった。
長い間、Jackie DeShannonを気にしていながら意外なところにいらっしゃいました。
ネットの社会になって一般人でもここまでわかるようになってきた。楽しいいですな。




2020/08/15

終戦

 
今日は終戦記念日なので「Jackie DeShannon」の話は明日にして今日はノモンハンのことを。半藤一利の「ノモンハンの夏」を読んだのと村上春樹の「辺境・近境」を読んだのがどちらが早かったのかはもう覚えてませんが、半藤一利さんはノモンハンの作戦を立てたとされる辻政信をボロクソに書いてまして、そんな出来の悪いのが参謀になるのかと、それで色々とネットで見ていたら、実に数奇な人生を送っておられまして、最後は行方不明?処刑された?等々。
何がホンマか、何が正しいのか、特に今の世界情勢を考えたら、あの時期(日本が降参する間近の世界情勢)、何が正しかったのかわからないですね。

ただ、今の日本にいて思うのは、つくづく平和って幸せであると思います。
現象面からいうと
■戦争がない
■内紛がない
■テロがない
■言論の自由がある(これも大事)

コロナがなかったらもっと幸せなんですけどね。
やはり、「罪もない人が死んでいくことがない世界」というのが一番。

村上春樹さんに関しては、世代が同じくらい(僕よりちょっと上)なんで、親から戦争体験の話を聞いたり、周囲からも聞いていたと思うんですね。
「ノモンハン」という地域の名前は知っていたように思います。
満州事変から実質的に戦争が始まっていると思ってますから。
満州に親せきが移民?(というのかな)していたし、今考えたら樺太にも行っていたから、ぼくとこは貧乏だったのだと思う。日本で食えなかった人たちがまず出ていくでしょうから。
ネジマキドリにノモンハンが出てきたので、こういうテーマになるんかと読んだ時驚きましたが、僕らの世代って、戦後の復興って、これってホンマに永遠に続くのってちょっと懐疑的な思いが底辺にあったように思う。アメリカが与えてくれた仮の平和とちゃうん??

第二次世界大戦後、朝鮮、ベトナム、ドイツの3つの国が分かれ、その後ベトナムとドイツが一緒になり、ソ連が分解し、段々資本主義か共産主義か分からん時代になって来て、植民地が独立し、なんとなく世界中がまとまっていくのかなと思っていたら、ロシア、中国、イスラム国家群と新しい展開になって来て(しかも強権国家指向が強い)、世界の歴史に法則性なんかあるのかな?ともう正直僕の頭はマヒ状態。これからどうなるのだろうか?と思っているこの状況下でコロナ禍です。

日本は平和ボケとたまに言われますが、ボケていても戦争がない方がいいのに決まってます。
今日は75年間戦争がなかったことに感謝(偶然の産物かもしれないですけど)。








2020/08/14

Jackie DeShannon 1

 
僕がジャッキー・デシャノンという名前を知ったのはかなり早く、多分記憶では(あんまりあてになりませんが)初期のビートルズの伝記のなかに載っていたような(ハンター・デイビスものではない)。
この女の子って誰やねん?と思った。まさか当時のアメリカ公演の前座を務めた歌手であることなんか全く知らない時代です。その時に名前だけは書かれてあって、それでジャッキー・デシャノンという名前はかなり初期から知っていたように思う。
次に、この名前って見たような気がすると思ったのは、ザ・サーチャーズが「ウォーク・イン・ザ・ルーム」という曲をヒットさせたときの作者にこのジャッキー・デシャノンの名前を見たときだったと思う。
2段目にアップしたレコードジャケット、こんなのがあるなんて全く今まで知らなかったのですが、こういう売り方もありなんですね。もちろんビートルズの歌はなく、ビートルズのカバーもない。曲名をみたら、名曲「ピンと針」「ウォーク・イン・ザ・ルーム」が既に入っております。
この人、あまりメインに出てこないのですが、知れば知るほど奥が深い。多分今も現役で50年以上この世界で独自の路線を貫いてきたように思えます。
もうちょっと調べてみます。
 

2020/08/13

坂本九とリッキー・ネルソンとボブ・ディラン

 意外と飛行機事故で亡くなったミュージシャンは多い。一番有名だと思われるのが、ドン・マクリーンのアメリカン・パイで有名になった3人、つまり、バディ・ホリー、ビッグ・ボッパーそしてリッチィー・バレンスの3人。
ロックンロールの黎明期の事件です。
あと、記憶だけで列記すれば

オーティス・レディング
ランディ・ローズ(ちょっとマニアック?僕は好きですが)
レナード・スキナード(メンバー全員かどうかは覚えていない)
チェイス(これは多分全員)
スティーブ・レイ・ボーン
ジム・クロウチ
ジョン・デンバー(自分で操縦していても事故ですね)
リッキー・ネルソン
そして坂本九

村上春樹の本に「スメルジャコフ対織田信長家臣団」という訳の分からん本があって(どっちかというとこっち系が愛読書です)

ボブ・ディランの武道館コンサートに行った時に、ボブ・ディランがリック・ネルソンの「ロンサム・タウン」と坂本九の「上を向いて歩こう」を歌ったと書かれてます。2人とも飛行機事故で亡くなったからですね。

ボブ・ディランの「上を向いて歩こう」ってもう想像できない。








2020/08/12

坂本九 と 日航機事故

昨日、アメリカのヒットチャートのナンバーワンのことに触れて、「ボラーレ」と「スキヤキ」と「ドミニク」の3曲のことを書いたら、偶然というか、もう失礼ながら忘れかけていた35年前の飛行機事故のことをニュースで思い出した。
下にアップしたのはダニー飯田とパラダイスキングのレコードジャケットで真ん中で正面を向いているのが坂本九さんです。正式のメンバーだったのか、このグループ、リードボーカルを臨時?正式にメンバーにしていたのか分からないけど、坂本九、九重佑三子、富松千代志?とか時代と共に適当に替わっていった記憶がある。
坂本九はデビューして意外と早く「悲しき60才」がヒットして、すぐ「上を向いて歩こう」が大ヒットして、どういう訳かあちら(イギリスやったかな)のバンドがインストで吹き込んでスマッシュヒットして、どういうルートでアメリカでかかりだしだしたのか忘れたけど(詳しいことはいっぱい当時書かれている。どれがホンマかわからないけど)、そのまま日本語のレコードが売れて全米1位になる。当時はリトル・ペギー・マーチ、ポールとポーラ、ビーチ・ボーイズがひしめき合っていた時代。1963年6月の大ヒット、年間でもベスト10に入っている。(今でもすごいことです)

パラキンの作品を聞いていると、坂本九と九重佑三子が抜群に上手い。あと「お化けのQ太郎」の石川進(この人もボーカル担当だったみたい。写真では左から2人目、まだ格好つけてる時代)の「ビキニスタイルのお嬢さん」も楽しい。石川進はこの曲とお化けのQ太郎で芸能界を生き延びた?
「上を向いて歩こう」は出た時にレコード屋で買った。多分300円しなかった。
NHKの「夢で逢いましょう」という土曜日の夜の番組の今月の歌みたいな感じだったような記憶が残っている。ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」も同様の曲だったような。

昔、仕事で日航機事故でお父さんを亡くされた方と仕事を一緒にしたことがある。周りの人からの情報で、ご本人は一言もそのことに言及されることもなかったのでこちらも確認せず。尋ねて「そうです」と言われてもどう返すのか??単なるミーハー以外何物でもないですから。
さらに、僕の出た高校の先輩が経営している高槻の看護学校に、あの事故で助かった女の子が大きくなってその学校に在学しているという噂もたったことがある。
亡くなった方々はもちろん残念ですが、残された方々もちょっと(大分?)普通とは違う人生を歩まれていそうでなかなか生きることは複雑怪奇なところがあります。
幸いにして生き残った方々や日航の関係者のその後のゴシップを聞くと日本人の民度はそれほど高くないかなと思ってしまいます。コロナでは民度は高い方だったのですけど。



2020/08/11

オランダのグループ 他全米ヒットチャート考察

 
1970年の初めに「ビーナス」という曲がアメリカで1位になって大騒ぎになった。
なんせアメリカ以外の国のアーティスト(歌手、バンド・・)が1位になるというのは、ビートルズ以前では非常に珍しく(トーネドーズ、坂本九くらいか?)、ビートルズ以降イギリス勢がトップになるのは珍しくなくなっていくけれど、他の国のヒット曲がアメリカでヒットするのはやはり珍しく、1位となると極めてレアケースだった。
ショッキングブルーというオランダのバンドがそれで、マリスカ・ベレスという女性ボーカリストが売りだった。そしたらその後アース&ファイアーというバンドがやはりオランダから出てきて、これはアメリカでヒットしたのか知らないけれど、日本では「シーズン」という曲がかなり流行った。
この二つのグループの共通点はボーカルが女性ということで、マリスカ・ベレスの方は2枚目でわかるように立派に成長?されてます。アース&ファイアーの女性はオランダでは有名みたいですが、日本語のものが少なくちょっと現在の様子が分かりません。
「ビーナス」は日本ではカバーされまくって、本家が分からない。やはり長山洋子もんが一番かな?荻野目ちゃんのもよく聞いたけど。
蛇足ながら、ショッキングブルーって人種差別主義者(今でもそういう主義者っているのかな?白人至上主義でもないのか?)だったらしく(竜馬さんのブログによると)、日本人って「猿」だと思っていたらしい(そしたら来るなよ)。でもちゃっかりライブ・イン・ジャパンまで作って帰っている。
「悲しき鉄道員」というのも流行ったなあ。
でも、言葉が分からないというのは一種の幸せでもあった時代なのかも。
ショッキング・ブルーのコンサートに行った人は猿だと思われているのに、手を振っていたわけですから(俺も行っていたら振ってますけど・・)

そんで、アメリカのヒットチャートにランクインしたアメリカ人以外?を調べてみると、まず定義が難しい。
いろいろと調べておられる書き込みはあるのですが
英語圏以外
国籍がアメリカ以外
母国語で歌っている   ・・・・・

色々と定義が出来ます。坂本九みたいに、日本人で日本語みたいなのはもう揉めませんが、英語で歌っている外国人もたくさんいますし、さらにインストルメンタルになればもう何人でも関係ない・・・考えてみたら難しい。
先述のトーネドーズはイギリスのインストバンドです。
ビートルズが出るまでの唯一の全米1位のイギリス勢だったはず。

KARL M.さんのブログに詳しく書かれてますが
僕が知りたかった、全く英語以外で歌われたアメリカ人以外の全米1位のヒットは下記の3曲

■ボラーレ/ドメニコ・モドューニョ(1958) イタリア/イタリア語
■ドミニク/シンギング・ナン(1962-63) ベルギー/フランス語
■スキヤキ/坂本九(1963)日本/日本語

ただ、英語以外という枠組みで考えたら、ロス・ロボスも該当。

■ラ・バンバ/ロス・ロボス(1987)アメリカ(ヒスパニック)/スペイン語

ABBAとかA-HAとかROXETTEなどの北欧陣は、英語で歌っているからもう特別扱いする必要がないくらいで、特にスウエーデンはもう全米ヒットチャートの供給源みたいな感じになって来てる。
さらに、アメリカ人?って人種的にはいないですよね。僕の定義が間違っている?。
国籍で行けばいいのかとか悩みが増幅。
1位でなければ、ベスト10以内とかになればもう数えきれない。

ただ日本人に限れば、坂本九しかいない。
期待できるのは「BABY METAL」のみか?気がつけば2人になってますが。
ヘビメタの大御所との記念写真が実に楽しいです。タトウーの馬鹿でかいヘビメタおじさんと小さい子供みたいな少女との記念写真・・。
アルバムでは坂本九の14位を抜きましたから。




2020/08/08

悲しきカンガルー




 

「悲しきカンガルー」というヒット曲があります。僕が中学生の頃はやりました。
なんと言っているのか全然わかりませんが、タイミーカンガルーダンスホーってよく歌ってました。
日本ではいっぱいカバーする歌手さんが出てきて、今回アップしたのはザ・ピーナッツとパラキン、さらになんとアメリカのパット・ブーンまでカバーして大盛況だった。調べたらもっと出てくるはず。
パラキンの歌では、単純な失恋?の歌かなと思えますが、オールディーズに関しては「竜馬のブログ」さんが非常に詳しいのでそちらを見に行くとオリジナルの歌詞の内容が紹介されている。
全然違うやん。子供が楽しそうに歌うべきものでなさそう(もっとも今は歌詞が変わってきているようですが)。
こんな風に、オリジナルの歌詞を全く変えて、全然違う歌にしてしまっていることって昔はかなりあったような記憶があって、そのあたりは著作権(知的財産)なんていう概念も最近の話のように思うから当時(50年も前)なら何でもありの時代だったように思える。ふと思ったけど、ジョーン・バエズの歌に「ドナドナ」ってあります。子供が小学校で習ってきて、歌詞は日本語で「家畜(子牛)を屠殺場」に連れていく歌でした。もともとそういう歌??だったの。当時驚いた記憶があります。
僕は今まで歌詞には全く興味を示さずに音楽を聴いてきたので、どうも事実とかけ離れた知識を持ってしまったかなと今になって感じている昨今です。
最近ちょっと歌詞に興味を感じて、歌詞カードと辞書の時間が増えております。これもコロナのプラスの面かな。
トラフィックの「ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ」に挑戦しようと思っている。
単純なお酒の作り方の歌??




GENE PITNEY

 あんまりコロナで愚痴を言っていても仕方がないから、趣味の世界にというか昔の思い出話に突入しよう。
上の写真、ストーンズですが、3人別におります。3人とも有名人。
左からフィル・スペクター、ジーン・ピットニー、ブライアン・ジョーンズ(これはストーンズ)、そしてアンドリュー・ルーグ・オールダムで後はご存知の面子。
今日は、左から2人目のジーン・ピットニーについて書きたい。
ジーン・ピットニーって・日本では「ルイジアナ・ママ」で有名。僕が小学6年の時のヒット曲、ただ僕がよく聞いたのは飯田久彦さん、そうです後にピンク・レディーを世に出した人。この頃はデル・シャノンの「悲しき街角」とこの「ルイジアナ・ママ」で大当たりの歌手さん。
段々アメリカのヒット曲について詳しくなってくると、「ルイジアナ・ママ」ってジーン・ピットニーの持ち歌には違いないけれどアメリカではヒットしていない。
彼は「非情の町」と「リバティ・バランスを撃った男」の2曲で有名。
あとは、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」の作者としても有名。
調べていくと「ルイジアナ・ママ」は、確かに彼の持ち歌で、シングル盤になっているけど残念ながらアメリカでは流行らなかった。日本だけの大ヒットでしかも日本人が歌ったもの。でも調べたら、飯田久彦のおかげでその後本人のもそこそこ売れたらしい。
余談になるけれど、小6の時に、友達が木琴で「ルイジアナ・ママ」を弾ける子がいた(たたく?)、上手かった。
「あの子はルイジアナ・ママ、やってきたのはニュー・オーリンズ」。
「髪は金髪、目は青く」「デキシークィーン」
皆で歌っていた。
何のこと??「ママ」→「お母さん」、「ニューオーリンズ」何処??地名だと知らなかったかも。
「びっくり仰天有頂天」
「あたりきしゃりき・・・」
日本語になっていても全然意味が分からなかった、ただテンポがよく、なんかわからんけど小学生の中でも流行った。

「悲しき少年兵」とか「燃ゆる想い」とか日本だけでヒットして、本国(アメリカ)では無名というケースは、探せば他にもあると思うけれど、こんな例は珍しいかも。


2020/08/07

終戦 原子爆弾 広島


 段々、戦争が終わってから75年も経つと記憶(といっても僕にはないです)が薄れ、当然僕の親は戦争に行っていたから、直接戦争の話を聞いて知っているけれど、もうあと10年もすれば体験談を話せる人は数えるくらいになるだろう。100歳くらいの人でないと記憶に残っていないでしょうから。

先日、NCISのシーズン17を見ていたら、最終回にあのバック・トゥ・ザ・フューチャーのクリストファー・ロイドがゲストで出てきて、真珠湾攻撃で戦艦アリゾナに乗っていたので、死んだら真珠湾に沈んでいるアリゾナに納骨?してくれという話だった。そして、ドラマの最後に「真珠湾攻撃で亡くなった方々へのお悔やみ」の文章が出てきて、さらに現在アメリカ海軍(NCISだから当然海軍だろう)の現役に方々へのねぎらいの文章が出てきた。

こういうのはあんまり日本ではないような気がしている。正直、ほとんど日本人が出るドラマを見ることがないからわからないのですが、ないように思える。意外と太平洋戦争までは強烈に軍国主義を鼓舞してきたのに戦後はもう人が変わったようにおとなしいというか、個人的には変な国(物事の本質をあんまり考えない国民?)になってしまったような気がする。別に右翼・左翼の両極にいる人やある種の宗教を信じている人(この人たちは逆に迷いがない)はともかく。
素朴な疑問として、

有事の時に本当にアメリカが守ってくれるのか?(守ってくれないと思うけどね)
自衛隊の規模で大丈夫なのか?(全然足りないのは自明)
 自衛隊とか軍隊とかの呼び方云々の問題でなく、実際大丈夫なのかなと思う。
 正直、自衛隊を問答無用に反対する人たちって、僕は理解できない。
 かといって絶対賛成でもないけれど、そういう意味では原爆反対から原子力発電反対まで信念をもって言える人は凄いと思う。僕の頭ではそこに行かない。

で、次の話、昔々広島に住んでいたことがあって、8月6日は当時勤めていた会社はお休みだった。僕は大阪から行ったので地元の人間でなかったけど、地元の方だろうと思える会社の先輩が「休みは有難いけど、なんであんな大げさな式典をやるのか、馬鹿らしい。」云々の発言したので驚いた記憶がある。まあ偶然、たった一人の言葉なんでそれが広島の人の言葉とは当然思わないけれど、割合組織の中ではそこそこの地位だったような記憶があって、僕が当時思っていたHIROSHIMAのイメージとはかけ離れていた。当時はHIROSHIMAというロック(厳密に言えばフュージョンかな)グループがアメリカにあった時代です。

今年はコロナで高校野球がないけれど、従来なら、8月15日の正午には甲子園で黙祷をささげていた。今は滅多に行かないけれど、よく甲子園に行っていた頃に偶然8月15日行くと、本当に幸せな世の中になったもんだと思うことが多かった。炎天下野球観戦が出来るって幸せです。
今年はコロナ、水害等々で大変ですが戦争よりも「まし」?のはず。戦争は人災ですもんね。やめようと思えば止めれる話ですから。








2020/08/05

コロナ 雑感 その5



コロナ、豪雨、真夏、マスク暑い、マスクして出るのが面倒・・・今年の夏は大変な年になってしまった。
ニュースも見飽きてきたけれど、当事者は大変だろうと思います。クーラーかけてニュース見てるのは申し訳ないなと思いつつダラダラしてます。

だらだらついでにダラダラ書きます。

地方の知事さんと国の言うことに齟齬が出始め、西村大臣と菅官房長官の話にもやや不協和音を感じ・・・正直この政府って大丈夫かなと不安を感じている。
さらに韓国問題。これはこじれるでしょうね。結果を想像できない。
北朝鮮もおかしいけど、韓国もおかしい。この間の不可逆的な契約はどうなったの?
僕の頭では理解できない。国と国の契約がご破算になるなんて。誰を信用したらいい?
大胆に予測すれば、韓国は日本とアメリカを捨てて中国と同盟を結ぶ???
今はそれに近い行動をとっているように僕にはみえる。

それと夏休みになって、さらにお盆になって、田舎に帰りたいのに自粛(我慢)している学生さんや都会に出てきて働いている人たちが大勢いるのに(特に東京)、故郷でもないのに「GO TO」で行ってもいいですよ、ちゃんと対策をしてくれれば・というのもおかしな話です。支離滅裂。
「GO TO」を考えたら腹が立ってくる。(いつもぼやいている)
誰や?こんなバカなことを思いついたのは?
緊急事態宣言を解除してからの政府は全くダメになったと思えて仕方がない。
経済を焦って墓穴を掘ってる。

それと飲食店・・自粛要請が出始めた。
この問題の本質は、個人個人が自分の考えで飲食店に行くべきでないと思ってます。
行っていいって国が言ってるから大丈夫だろうと・・・なんか自主性がないですね。
今の国はそれほどコロナのことを分かっていない。責任はとれない。
確実にわかっているのは集まってしゃべるのが一番いけない・・ということだけ。
対策を施して店がやっているから大丈夫???そんなことは絶対にない。
まず、客が飲食に行かないのが、お店の人には悪いけど、一番、今のところコロナに対する最善の対処法だと思う。
テレビのお店の人に対するインタビューで、客が来ないのは国や地方が「行ったらあかん」って言うからや・・というロジックに聞こえてすごく違和感を感じる。
国のせいで売り上げが上がらないって思っている店主が増えているように思える(本末転倒)。
ワクチンができるまで辛抱しかない。

次に、最近思うのは国ってどこまで面倒見なければならない?
今回の騒動でずっと気になってます。健康で文化的な生活を保障する義務がある?
だって税金納めてるから?
でも、どこまで責任がある?
自粛を要請するなら保証せよ・・・テレビでも訳の分からんコメンテーターがよく言っている。
多分保証する財源がなくなっていくと思う。
会社は倒産するけれど、国はつぶれないですよね。なんぼ借金してもつぶれない??
国のM&A??ってあり?

それと、なんか「白い目」、差別?じわ~っと来てる。
日本人の美徳の裏返しの欠点が目立ってきた。
「感染したらここにはおられへん」って真面目にいう近所のお爺さんがいます。
ほんまに?と思ってるけど、本気みたい。
噂では、近くの歯医者さんの歯科なんとかという資格の方が感染したらしい。
そしたら、その人、もうその医院にいないらしい。(辞めさせたというもっぱらの噂)
日本人ってこういうところがある(他の国も似たり寄ったりだと思うのですが、日本以外に住んだことがないからわからない)。
ただ、日本人のあかんところやとは常に思ってます。告げ口推奨の隣組、村八分・・嫌な言葉です。

昔々、O157の時に、僕が以前勤めていた会社がその菌?に汚染されてしまって、僕の部下だった連中が子供が近所のお友達と一緒に遊んでもらえない・・と嘆いていたのを思い出した。

これからどうなるんでしょう?コロナは収まるでしょうけど、人間の本性ってSNSとか新しいツールの出現で今まで自分でも気が付いていなかった隠れていたものが出てきます。

アップしたのはクリムゾンでなくパトゥーという、知る人ぞしるB級ハードロックです。





2020/08/02

アラン・パーカー


アラン・パーカーが亡くなった。
いっぱい作品はあるけれど、僕の記憶に残っているのが「ダウンタウン物語」のジョディ・フォスター、この雰囲気ってタクシー・ドライバーにも引き継がれている?
そして「ミッドナイト・エクスプレス」、この映画のおかげでトルコって国は怖いと思う人が増えて、トルコが困ったらしい。
ポスターにも「A TRUE STORY」って書いてある。信じますよね。
あと「エンゼル・ハート」やったかな。怖かったしストーリーがいまいちわからんかった。あの時の主役のミッキー・ロークどうしてるのだろう?どういう訳かボクサーになってましたよね。
ピンク・フロイドの「ウォール」
ジーン・ハックマンの「ミシシッピ・バーニング」も。
デビッド・パットナムとのコンビというか、つながりが多かったように思う。
コアなファンでなかったけれど、アラン・パーカーなら見よかとおもわせる監督さんでした。
ご冥福をお祈りします。







コロナ 雑感 その4



コロナがますます大変なことになってきた。

ずっと家にいてテレビを見ていて思うことは、ほんとうに非常事態宣言をしたときよりも状況はいいの??
PCR検査数が増えているから感染者が多くてもいいんです。 とか
重傷者が少ないから大丈夫・・・とか
病床にまだゆとりがあります。・・・・・とか  怪しげな答弁ばかり。
国が大丈夫ですと言っているのに、マスコミは大騒ぎ。なぜ、国は釈明しない?
なんかやっぱりあきませんでした‥と国が言いそうで。

でもはっきりしているのは、大阪もあほみたいに人が出ている。
非情事態宣言の時より危険がいっぱいと考えるのが普通。


3月、4月の時とデータの信頼性が違うから一概に言えないと思うけど
これだけ人が出ていて、感染者が増えてもまだ大丈夫だと言えるとすれば
なんで??
本質的はコロナは収まって来てる??
軽症者ばかりで大丈夫?
日本は特殊?

こんな時は数値の指標を明確に示すほうがコンセンサスを得られると思う。
総合的な判断とかいうのは日本の場合いつも怪しい。
まるでちょっと前までの日本のマラソンのオリンピック出場選手を決める時の怪しさを感じてしまう。
裏で経済界から圧力をかけられてるんとちゃう?  とかね。

それと一番大事なのは、いつ元に戻るかという見極めが甘いということ。
甘いから、苦肉の策でGOTOキャンペーンなんかをうってくる。
今年中は戒厳令だと認識した方がいいのではないか。

少なくともワクチンと特効薬が出来るまで、巣籠政策を徹底する。

倒産した会社や、廃業したお店には支援しなければ仕方がない、どうなるのか想像つかないけれど紙幣を必要なだけ刷るしかない。(どうなるんだろう?)

基本的に会ってがやがやしゃべらなかったら大丈夫だ とプロのお医者さんがおっしゃっているわけでそれを守らないから、こんなことになっている。
単純な話です。

例によって、クリムゾンの「アイランド」
このレコードはよかった。






2020/08/01

マイケル・ブルームフィールド


SONYのレコードを思い出していたら、多分一番初めに買ったのは「フィルモアの奇蹟」だったような記憶が(曖昧ですが)してます。アル・クーパーとマイケル・ブルームフィールド。
いったい「誰やねん?」知らんもんね。しかも2枚組(当時はレコードは高い。2日のバイトで買えない。なにせ芸術品・嗜好品扱い)。
ボブ・ディランのバックだと知るのは後の話。当時はボブ・ディランなんか気持ち悪くて聞いていない。
でも、雑誌の評価高いし、一番上のジャケット、ノーマン・ロックウエルの絵(僕はこっちの方を知っていた。こんな高名な画家が描くか?)迫力あるでしょう?2人とも自信に満ち溢れてる感じいっぱい。
買いました。聞きました。初めは、オリジナルなし、他人の曲ばかり。これってどういうレコード??「ヘイ・ジュード」??
バニラ・ファッジみたいな路線?(つまり元歌を大胆にアレンジして聞かせる?でもないか?でも自分たちの力量で聞かせるというのは同じか・・)
当時は買ったら徹底的に聞いていた。なんせ大枚はたいて買うLPレコードは月に1枚もないわけで、もう聞きこむ。じわじわと良さが、「時代が変わって来てる。ちゃんと演奏できなあかん時代になって来てる。」こんなことを思い起こさせてくれました。
ギターのマイケル・ブルームフィールドは、調べてもらったすぐ分かりますが、いろんなバンドを渡り歩くというか、自分で作ったのもあるのですが、なんせ長続きしない。ほとんどグループでは1枚だけで、数枚参加しているのは少ない。
一番下のバタフィールド・ブルースバンドのイーストウエスト、左から2人目、モンタレーのライブでも映ってます。このバンドでは長続きしたほうかな。このレコードの「イースト・ウエスト」は絶品。是非聞いてほしい。マイケル・ブルームフィールドここにありです。
話を戻しまして、このフィルモアの奇蹟でも持病(長続きしない)が出てしまい、最後の公演は欠席(一応入院)で、アル・クーパーが困って助っ人を探す。参加してくれたのは、なんと当時無名だったカルロス・サンタナと一番下の写真(バタフィールド・ブルースバンドのイーストウエスト)にも写ってますがエルビン・ビショップ(一番右)。このコンサートに行った人は得したよね。
肝心のマイケル・ブルームフィールドは、その後、ソロを出したり、KGBという物騒なバンド(これはこれで面白く、長文を書けます。なんじゃこら!というにわか作りの一儲けをたくらんだスーパーバンド。オールスター勢ぞろい。今度かきます。この時買ってるんですよね。)を作ったり、話題は提供してくれていましたが、結局薬の過剰摂取にて若くして亡くなっております。
興味のある人は、モンタレー・ポップ・フェスティバルのバタフィールド・ブルースバンドの演奏を是非見てください。このコンサートはジャニスとジミ・ヘンばかり話題になりましたが、他も見ものが多いのです。アル・クーパーのいたブルース・プロジェクトもね。