2018/10/13

指田英二さんの思い出

40歳の手前に不徳の致すところ(政治家みたいです)で、要は酒の飲みすぎで、会社を退職しました。で、会社を辞めてみると時間がいっぱいある。それで、それまでの整理作業の一環で精神的な積み残しをひとつづつ片付けようと思った。
もともと、何になりたい?と聞かれたら子供の時はプロ野球選手とかになるんですが、段々歳をとるにつれ具体的なる。大人になってからは「ロック評論家」になりたかった(これも夢だと言われればそうですが・・かなり本気で思っていた)。就職した後も家で聞いたレコードの評論を書いていた。それが段々酒に代わってきましたが。
就職して広島にいた3年間に「ROCK HOUSE 412」というミニコミを4冊出した。その時に「指田英二」さんという当時「トラフィック」のファンクラブの立派な機関誌を出しておられた方にも配った。そしたら実に丁寧な感想文をくださって、その博学と文脈の立派さに「こりゃあかなわんわ」と思った記憶がある。
上には上がいらっしゃると思ったものである。
その埼玉におられた指田さんに会社を辞めた1989年に電話をしたことがある。
当時は携帯電話なんかない時代なので自宅の固定電話です。お母さんが出られて、かくかくしかじか大阪から電話してますと申し上げた。するとお母さんが「英二は亡くなりました」と言われた。
僕は絶句した。確か「七回忌を終えた」と言われたように思う。
いただいた長文の手紙は今も持っている。実にロックを愛しておられる気持ちが伝わってくる。
多分生きておられたらトップクラスの音楽評論家として活躍されたことだと思っている。
その時のお母さんの言葉が今でも記憶に残っている。「時々全国からお電話をいただくのですよ。レコードも雑誌もいっぱい残ってます。私は全くわかりませんが・・」


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