2011/03/05

京都大学

京都大学の不正入試事件で大騒ぎである。色々と手口を予想していたのと大きく違っていて世の中なかなか思い込みと違うなあと改めて思っている。それほどハイテク器材を使っていなかったようである。
もう一つ僕の思いと違っていたのは、年配の方々から京大に電話が相次いだということである。要は「監督がちゃんと出来ていない」「何故すぐに警察に被害届を出したのか」「前途ある青年にもうすこし・・・」というようなものである。さらに著名な脳科学者も同様な非難をされている(個人的にはこの方にはまずちゃんと納税しなさいと言いたいけどね)。
大学は昔から自治というような概念があって、これが僕にはようわからんのですが、昔の学生運動華やかりし頃にも機動隊を呼んだら大学側が非難されるという訳のわからんことが起こっていた。(内ゲバで人が負傷しているのにかかわらずである)
中には、カンニングというのは、見つけることが出来ない方が悪いような論調もあってなんか世の中の常識がわからなくなってしまう。でもこういう通信機を使った犯罪は警察でないとこんなに早く犯人(と呼んでいいのかな)を特定できなかったとも思う。
正直なところカンニング自体はそれほど悪いとも思っていない(やりなさいとは言わない)けれど「世の中のシャレ」の範囲を超えてしまっていたように思う。誰しもカンニングペーパーを作っているうちにそこんとこは覚えてしまって要らなかったというような経験を持っている人は多いと思う。
それと予備校に下宿して1年間200万円もかかる仕組みもどうかなあとおもう。みんな大学だけは行くもんね。もう昔みたいに人口の25%くらいの規模にしたらどうだろうか?みんなが行くから親も無理してしまう。お父さんお母さんが疲弊している。

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