2023/12/04

1974年3月~4月



来月になると2024年になる。50年前が1974年である。
僕は1974年の4月1日からサラリーマンになった。
3月まで大阪にいて、4月から広島に移った。1974年の3月はアップした小野田さんがフィリピンで発見されたことで、ほとんどこの話題だったように思う。
大学のアホ仲間で最後の旅行に行こうということで、近場だったけど淡路島に行った。友達の親の伝手で日本生命の保養地に行った。もう時期的に誰もいない時期で独占状態だった。行ったら即麻雀大会で、別に淡路島に行く必要はないのですが。どこかに行って麻雀をすることをほぼ3年くらいはやっていたわけで、実にいい加減な集まりだった。
当時は、誰でも大企業に入れる時代で、集まった仲間は全員、今でいう大企業に就職は決まっていたけれど、なんというか、来月からこんな生活は出来ないのだ(当たり前)という一抹の不安を感じながらの「ラストツアー」だった。
帰りに、フェリーから西明石に上陸してどういう訳かみんなでうどん屋に寄ってうどんを食べた。広島に行くのだから「広島うどん」というのがあったのでそれにした。来たら牡蠣が入っていた。牡蠣は広島の名産ということなんか知らなかった。
3月は忙しかった。就職するならメーカー志望だったので当時の日本経済の状況から判断して?「電気か車」関係と思っていたけれど、結局「車」になって、正直、それほど車に興味があったわけでもないので「免許」も持っていなかった。それで年が明けてからだったかな、にわかに自動車学校に通い出した、3月になった時点で、ギリギリの感じで、後半追い込まないと3月中に免許が取れない事態になりそうだった。
淡路島から帰ったら、弟が「キャロル」というバンドのレコードを買って来ていた。永ちゃんのキャロルである。この時期のデビューだったわけね。
もう1つ、ギリギリに「QUEEN」の1枚目を買った。
もう音楽ともおさらば?とまでは思っていなかったけれど今ほど根を詰めて聞けないのだろうと思うと寂しかった。でもこのQUEENのレコードは良く、当時はややブリティッシュ・ロックに陰りが見えていた時期だったので元気になった思い出がある。
そうそう、ライブにも行けないかもと思って、「スレイド」のコンサートにも行った。別にファンでもなかったけれど、3月に行けそうなロックバンドはこいつらしかなかった。
結構楽しかった。リードボーカル(誰だったかな?もう名前がすぐに出て来ない)が強烈な声量?、声がでかく遠くまで通るので圧倒的だった。ヒット曲もあったし。それなりに楽しんだ。当時は写真もOKだったので写真も残っているけど価値はないか??
いよいよ3月31日(確か日曜日だった)に大阪から広島まで行った。当時は新幹線は岡山までで、岡山で乗り換えて在来線の特急に、満員で岡山から広島まで立っていたのを覚えている。
「チッキ」って知っている人がどれだけいるだろう。荷物を一緒に運んでくれるサービス。
親父が茨木駅で「チッキ」の手続をしてくれて、大事な小物とラジカセを抱いて広島へ。
今思えば「チッキ」って新幹線???思い違いかな。
当時流行っていた曲って変に今でも覚えている。天地真理の「恋人たちの港」とテリー・ジャックスの「シーズンズ・イン・ザ・サン」の2曲。
夕方に寮に着くと、寮の寮長さんから、寮生活のプレゼンの案内があって、新しい生活が始まった。
結局、広島の車会社には3年間しかいなかった。

 

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