2025/08/22

昔の思い出(1976)高校野球編


 僕のいた会社では、高校野球が始まると優勝校を当てるトトカルチョが半ば公然?と行われていて、結構野球好きの人が沢山いて盛り上がっていた。さすがに管理職の人は参加していなかったと思うけれど。
もうすっかり忘れていたけれど、昔、桜美林高校が夏の大会で優勝したことがある(調べたら1976年の夏だった)。
関西出身なので関東の学校に投票することがなく、優勝校が決まった時に、「当てた奴がいるのかな??」という感じだった。
そうしていると、一人当てた奴がいるということで、そいつは僕の寮の同室の仕事仲間であった。仕事仲間と書いたけれど、実質は1年先輩、ただ歳は同じ(現役で入学してるから)。同じ寮にいるから1年先輩の威厳が全くなくなって(金銭的にだらしなく後輩に借りるようになって威厳が丸つぶれ)俺、お前の間柄になっていた。
それで当てた奴が総取りということで確か30万円くらいになった。
そのお金を一晩で使ってしまった(笑)。結局5人でたかって、日ごろ行けないちょっと高い料理屋に行ってうまい魚とうまいお酒を飲み食いした。気前のいい人だったのか??
ちょっと不思議な人で、5人で楽しくワイワイガヤガヤ飲んで食って、全部払ってくれた。
その後も後輩にお金が足りなくなれば借りていたはず。
その後、桜美林高校は甲子園に来たのかな??

2025/08/20

昔の思い出(1973) 千里ニュータウン編


 大学に入ったのが1970年であるから、3年の時、夏休みに一度だけ変わった(内容はごく普通)アルバイトをした。要はカメラのフィルムを売るだけのアルバイトで、しかも1日だけだった。
たまたまその日が空いていたので、今となっては思い出せないけれど大阪市内の写真屋に行ってバイトの内容を聞いた。
要は、千里ニュータウンのスーパーに行って夏休みの旅行等に使うフィルムを売ってくれと言う実に簡単明瞭なバイトだった。千里ニュータウンのショッピングセンターに出先の店があるみたいで、そこに屋台があるから、それを広場に出して「フィルムはどうですか」と呼びこんで売って欲しいらしい。
朝から行って、「フィルムどうですかあ」って呼び込みは適当にやっていても、結構売れた。デジカメ、スマホの時代でないから24枚撮り、36枚撮りがどんどん売れた。まあ家族で旅行に行ったら一日に何本も使うからね。
まあ、誰がやってもそこそこ売れたのですが、偶然、グアムかサイパンに行くというセミプロ?みたいな客が来て、普通の人の買う10倍くらいの量が欲しいと言う。屋台の在庫では足りない。それで出先のところから補充して賄った。それで1日だけのバイトは終わった。桃山台から新大阪まで北大阪急行で帰ってきたら、高校野球の銚子商業の選手たちと出くわしたのを覚えている。高校生とはいえ体格はしっかりしていて、当時は名門強豪の評判だったので「お~」っと眺めてしまった。翌日だったかな、電報が来た。
当時でも電報は珍しい時代になっていた。もう電話の時代のはず。誰からだろうと思ったら、先日の写真屋だった。もう1日頼みたい旨の電報だった。該当日は僕は空いていなかったので、バイトが好きな友人に代わってもらった。後日、その友人に「どうだった?」と聞いたら、僕が体験したような「特需」はなかったらしい。まあ当たり前。
時々、電報が来たことを思い出したり、銚子商業を思い出す。

本当に人間の頭の中は不思議です。

2025/08/17

昔の思い出(1975)広島駅ビルの大浴場編

最近、広島の市電が広島駅の中に乗り入れるとかでよくニュースで流れている。
富山のトラムカーに似ているような気がする。
僕の知っている広島駅はアップした写真の駅がどうも僕の記憶に近い感じで、最上階の大浴場が思い出の目印である。
映画館もあった。寮の悪友とよく見に行った。ロードショーでなかったので、安かった。
007の「ダイヤモンドは永遠に」もここで見た気がする。
大浴場の思い出は下記の次第。
僕は1974年4月1日から1977年5月30日まで広島を代表する車会社に勤めていた。
確か1975年の3月末日に棚卸をやるということで経理部の原価計算課全員に召集がかかって、要は実棚をやったわけ。まあ毎年やってたわけですけど、新入社員の僕が初めての経験だっただけ。
確か雨が降っていて「棚札」が濡れたものが集められてくるし、初めは帳簿と誤差が大分あるし、「こりゃ、時間がかかるかも・・」云々
まあ、僕なんかようわからんから、ホントに手伝い、下働きだった。何をしたかも覚えていない。
なんとか帳簿とあって(当然!合わないと次にいけない)、無事に解散と思っていたら、恒例の「打上」を行う段取りとなっているらしい。
ただ、いつ終わるか分からない行事だから、会場とかを予約できない。
終わってから適当に探すとのことだった。
それで、どこで打ち上げをやったのか全く覚えていない。
覚えているのは、最後に広島駅の最上階の大浴場になだれ込んだことだけ。
素っ裸で窓ガラスにへばりつく奴がいたり、今では到底認められない世界が(笑)

今になって思い出すと実棚を手伝ったのはあの年だけだったように思う。3年いたのですけどね。
実地棚卸で決算が始まり、記者発表まで大体1か月半くらいが忙しかったはず(3年しかいなかったから全容把握に至らず)


 

昔の思い出(1971)大阪府青少年野外活動センターと「リンコベッシ」編


 
人間の頭の構造ってホントにどうなっているのだろう?
時々、名前も忘れている旧友の顔と「リンコベッシ」というスケート選手の名前を思い出すことがある。
一念発起してこのインターネットの時代、どこまで分かるか??挑戦してみた。
その友達はそれほど親しくなく、上にアップした大阪の能勢の山奥の青少年野外活動センターというところで一緒にキャンプをしただけの付き合い。
なぜキャンプしたかと言えば、僕の行っていた大学の1年と2年は夏は水泳の教科があって、僕は耳が悪かったから水泳はダメだった。そしたらそういう人が意外に多く、代わりに2泊3日くらいのキャンプに参加することになっていた。そのキャンプで知り合ったまあ濃度が薄めの友人(確か工学部)と同じテントの下で生活したから、その後もキャンパスですれ違う時は「元気か?」くらいの挨拶を交わしていた。
それで「リンコベッシ」の話になる。多分、時期的に札幌オリンピックの時が期末のテストの時期で、偶然生協で会った時にそのオリンピックのスケートの話をして、優勝候補に「リンコベッシ」を推していたのだった。
その時の「リンコベッシ」がずっと50年以上も頭の中に温存されて時々出てくるという訳。
で、その「リンコベッシ」って???
インターネットの時代はさすがです。当時(1972)の500メートルのスピードスケートの世界記録保持者だった。なんや本命やんか!!(日本は鈴木恵一さんの時)
ただ札幌オリンピックでは6位だった。フィンランドの選手さんだった。
「LEO LINKOVESI」という綴り。
ということで「リンコベッシ」の謎は解決。
あの工学部のつかの間の友人はその後どうしているのだろうか??

色んな思い出が湧いて出て来る。今の時代、調べることが可能なんで面白い。
青少年野外活動センターってもう閉められているのですね。
50年以上前の話やから仕方がないかな。











2025/08/16

ザ・ビートルズ史


 全部で何冊になるのか、果たして僕が生きているうちに完結するのかが分からないザ・ビートルズの歴史を読んでいる。今まだデビューする前の1960年の頃。
今までに出たビートルズ関連の本はほとんど読んでいるつもりですが、この本の詳細度?はすごい、さすがマーク・ルイソン。
読んでいると書いたけれど、辞書代わりに大分前から斜め読みしていたのを、今回襟を正して初めから。
ジョンとポールとジョージの3人は初期からの面子。
3人ともギター。ドラムがいない。それとベースもいなかった。
ベースはともかく、ドラムは裕福な子しか買ってもらえなかったという構図。
だからピートベストはドラムを買ってもらっていたからメンバーに。(リンゴの家も貧乏だったはずなのに何故?その理由も読んでいけばわかるはず)
今読んでいるところは、スチュアート・サトクリフなる美術専攻の人物がいてジョン・レノンと気が合ったけれど、全くギターは弾けない。そこにサトクリフの描いた絵が展覧会で入選して賞金が入ることに。この賞金でベースギターを買わそうとジョンとポールが躍起になっているところ。
そんなことが詳しく書かれている。ほんとに詳しい。