2020/09/17

PYG


タイガーズのことを思い浮かべたら、その後、どうなったのかなと思った。確か記憶ではジュリーとショーケンのスーパーバンドが結成されたのを思い出した。
日本の歌謡曲ではない、なんというか海外のポップスらしきものを日本人が演奏する文化というか、要はビートルズとベンチャーズからグループサウンズが沸き起こって、もう一時はエレキバンドばかりだった時代がある。彼らのやっていた音楽は歌謡曲???あちらの曲??
タイガーズもデビューする前はストーンズのコピーが好きだったようで、Whoのマイジェネレーションもやっていたと思う。
今になって思うのは、グループサウンズって若い女の子ばかりがファンで男は皆無。でもあちらのビートルズもストーンズも当時も男のファンも多く、今になればしぶとく聞いているのは男が多いと思う。もう○○周年BOXセットなんか買うのは男しかおらん。
あの頃のグループサウンズってあちらのコピーがしたくってバンド作って、プロになってやらされたのはまあエレキバンドの歌謡曲的エイトビート版?だった。ずっとジレンマ抱えて活動していたわけ。

この歪んだ日本の文化って何なんだろう。

PYGはライブでは当時のニューロックをかなり演奏していたらしいのですが(ウィキによればディープパープルやストーンズ、さらにクリムゾン、サバスまで、聞いてみたいですね)、世間(ファンがついてこれない)がそれを許さない。結局ヒットを狙うのは若い女の子向けにならざるを得ない。このジレンマに向こうの音にあこがれているミュージシャンは悩んだはず。

PYGもクリームのクラプトンとスペンサー・デイビスのウィンウッドのスーパーグループ、ブラインド・フェイスを真似したのだと思うけど・・・・。

その昔、日本のボブ・ディランといわれた岡林信康が、ボブ・ディランがエレキギターをもってバックバンドにザ・バンドというグループを引き連れて出て来た時に、岡林信康もエレキギターをもってバックにハッピーエンドというグループを引き連れて出て来たように、現象面ではよく似たことが起きる(というか真似る)なあと思っている。

けれど、その内容はまったくかけ離れた世界のような気がしますね。

日本の歌手で一番楽しかったのではないかと思える時期は、あちらのヒット曲を日本語にして自分の持ち歌として歌えた60年代初めの一瞬だったような気がしてます。
中尾ミエさんなんか最大のヒット曲は「可愛いベイビー」ですからね。伊東ゆかりの「恋のうりこみ」なんか絶品です。(小指の思い出から聞かなくなったけど)こういうことはもう起こらない。

結果的に次の時代にはグループサウンズの面々はいなくなったように思う。有名どころのほとんどの方々が俳優さんとかタレントになってしまい。ミュージシャンとして活躍した人はほんの一握りだったようにに思う。

イギリスなんかどうなんだろう??今でも同窓会とかのノリでなく、地道に音楽やっている人多いように思うのですけど。






 

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