2022/07/29

ビートルズとウエストサイド物語



 
「ビートルズ」と「ウエストサイド物語」って何の関係があるのか?・・と思う人も多いと思うけれど、意外と大阪のビートルズファンには縁がある。
1964年にビートルズ旋風が起こって、その年の夏に「A HARD DAY'S NIGHT」が封切られた。ビートルズの映画が来る。絶対に見に行かないとと思うけれど、どうも大阪の僕の知っている大きな映画館ではやっていない。調べたら、上六(上本町六丁目)の小さな?映画館でやっている(多分、大阪ではそこだけだったような気がする。ロッキングオンの渋谷陽一が当時池田に住んでいて上六まで見に行ったとラジオで語っていたから、ほとんどの大阪のビートルズファンは上六まで行ったのだと思う)。上六、あんまり土地勘がない。ただ不思議な縁で1年前に父が「史上最大の作戦」を見に連れて行ってくれたのがその映画館だった。それでほんの少しだけ土地勘らしきもの(どの電車を乗り継いでいけばいいかを覚えている)があった。
それで1964年の9月13日の日曜日に友達の村田君と一緒に出掛けた(ビートルズを教えてくれたのが村田君だった、彼には兄貴がいてデル・シャノン、ニール・セダカとかコニー・フランシスのシングルを持っていてテープに録音してくれたからすごくオールディーズに詳しくなった)。
それで、晴れて?ビートルズの映画を見に行くことになったのですが、昔は2本立てという上映の仕方があって(でもロードショーは1本だったけど)、まあビートルズの映画だけでは客を呼べないと映画館は考えたのでしょうね。なんと2本立てで、もう一つが「ウエストサイド物語」だった。
「ウエストサイド物語」については、隣に住んでいたお姉ちゃんから「絶賛」の声を聞いて知っていた(多分ジョージ・チャキリスにいかれてしまった)。多分1962年くらいの話で、ふと思い出したけれど、1962年は僕が小学校6年で修学旅行だった。関西の小学校の修学旅行は「伊勢」と相場が決まっていて、伊勢から2階建て特急近鉄で上六まで帰って来たのだった。当時は「上六」が終点で、そこからバスで学校まで帰ったのを思い出した。「上六」の駅でバスを待っていた時に「ウエストサイド物語」の大きな看板を見た。これが隣のお姉ちゃんの絶賛していた映画かとね。
それでウエストサイド物語の話になるけど、昨日偶然ディズニープラスでスピルバーグのウエストサイドストーリーを見た。初めはおんなじストーリーだと思って見ていたけど、全然覚えていなくって途中から「こんなストーリーだったかな??」と。
ナタリー・ウッドのウエストサイド物語は、その後、もう1回観ていて都合2回も見ているはず。でもほとんど記憶がなかった。何故かタッカー・スミスの「クール」のシーンだけは覚えている(印象深いですもんね)。
それで、昨日、ナタリー・ウッド版を見てみた。要は一日で旧作と新作を見たわけ。ほとんど6時間。ほとんど同じストーリーだった。ほんまに記憶というのはあてにならん・・といってももう60年近い昔の話ですからね無理もない。そう思えば今の僕の昔の思い出も真実ではないのかもしれない。

ナタリー・ウッド?・・・・ロバート・ワグナー??一回分かれて、また再婚。
ナタリー・ウッドは不思議な死を遂げて、ロバート・ワグナーは尋問を拒否。
ロバート・ワグナーはNCIS見てたら出て来る。世の中は不思議だ。


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