2013/08/28

藤圭子 7

一応終わりにしたつもりでしたが、もうちょっと書き足りなくて。
亡くなってから色々な記事が出てきて、娘さんが超大物歌手なだけに僕が思っていたのとちょっと違った反響があってとまどった。
毀誉褒貶ちりばめられてますが、なんでこんな記事を今更書くのかなと思うような超3流マスコミから芸能界の歴史としては燦然たる足跡を残した部分を正しく評価しているなと思えるまともな新聞社とか、今回藤圭子さんの死でマスコミのスタンスを再認識したという変な体験のおまけまでついた。
僕が思うのは歌がうまい娘さんが流されるがままに北海道で歌っていたら中央のプロダクションの目に留まり一挙にスターダムに上がり、しかも自分で制御できないくらいのモンスターになってしまって、ブームが去ればその残像との戦いだったのかなと思う。そしてひと段落ついたら、娘が母親以上のモンスターになってしまってまた戦いが始まってしまった。こうして書いているうちに浦沢直樹のモンスターを思い出してしまった。
いろいろネット上に各人の思い出が書き込まれてます。なかでも北海道の岩見沢のきらく園という温泉で中学生のころ歌っていたという場所は、今は全く取り壊されて荒野になってました。昔は地方をほんまのプロが来て(「〇〇〇来たる!!」という看板ですね)、その前座として地元のセミプロさんの仕事もかなりあったのではないかと推察します。
岩見沢というところも昔炭鉱で栄えた町で今は何とかターミナル都市として存在感を維持しているような感じです。周囲の美唄、砂川、夕張という町は兵どもが夢のあと的な町になってます。栄えた当時は炭鉱夫さん相手のミニ宴会も多く、藤圭子さんの両親も仕事があったのだろうと思う。
歌は世につれ・・・というナレーションがありますが、彼女の人生も大きな時代のうねりに翻弄されたのかなと思ってます。
この写真気に入ってます。

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