2020/08/23

MUSIC LIFE


 
ビートルズの出現で音楽雑誌を見始めて、その後買うようになった。一番初めはポップスという雑誌を1965年の初めに買った記憶がある。このポップスという雑誌には僕の知りたい、要はビートルズ関連の記事もあったのですが、やや格調が高く、ジャズとかフォークとか様々な音楽について書かれていたように思う。次に目を付けたのが「ミュージック・ライフ」という雑誌で、何月号から買いだしたのか記憶にはないですが星加ルミ子さんがビートルズに会ったのは買っているので、多分1965年の夏あたりから買っていたのは確かです。ビルボードかキャッシュボックスか忘れたけれどアメリカの1か月分のチャートが載っていたのが楽しみだった。
アップしたのは、ネットで見ることのできる表紙ですが、一番上はなんと「ジャズの月刊雑誌」というキャッチフレーズで表紙はザ・ピーナッツ?(ザ・ピーナッツってジャズ??)で1959年10月号、真ん中は1964年1月号でコニー・スティーブンス(歌手よりもハワイアン・アイの俳優さんとしての方が売れていたかも)、この頃来日したのかな?
下は11月号でブレンダ・リー(彼女はこの頃までまだヒット曲があったかも、当時はダイナマイト娘と呼ばれていた)。いつから「ジャズ」から「ポピューラー・ミュージック」になったのだろう?多分どこかで「ロック・ジェネレーションのためのミュージックライフ」に変わったはず。
ミュージック・ライフは音楽関係の出版社をしていた家業を引き継いだ草野昌一さんが出版されていた雑誌で、この草野昌一さんというお方、もう一つお名前をお持ちで「漣健児」とおっしゃる。このお名前 オールディーズをお好きな方ならどこで目にしているはず。1960年代初期の翻訳ポップスの日本語バージョンの歌詞はほとんどこの方です。飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」とか中尾ミエの「可愛いベイビー」とか。これって和訳でっか?と突っ込みたくなるほどの訳詞もあります。
弟さんが当時の東芝のディレクターさんで、この兄弟コンビがビートルズを迎えるまでの日本の翻訳ポップス文化の立役者だったと思います。
その後、病が高じて、ミュージック・ライフだけでなくニュー・ミュージック・マガジン、ティーン・ビート、音楽専科、ポプシクル・・・手当たり次第に買っていた時期があります。先日、物置にしていた実家を処分した時にこれらの雑誌を古本屋に売りましたが、ほとんど価値を認めていただけなく、好きな方にあげたらよかったと思ってます。
まあ好きな方を見つけるのが大変ですが。






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