2020/08/08

GENE PITNEY

 あんまりコロナで愚痴を言っていても仕方がないから、趣味の世界にというか昔の思い出話に突入しよう。
上の写真、ストーンズですが、3人別におります。3人とも有名人。
左からフィル・スペクター、ジーン・ピットニー、ブライアン・ジョーンズ(これはストーンズ)、そしてアンドリュー・ルーグ・オールダムで後はご存知の面子。
今日は、左から2人目のジーン・ピットニーについて書きたい。
ジーン・ピットニーって・日本では「ルイジアナ・ママ」で有名。僕が小学6年の時のヒット曲、ただ僕がよく聞いたのは飯田久彦さん、そうです後にピンク・レディーを世に出した人。この頃はデル・シャノンの「悲しき街角」とこの「ルイジアナ・ママ」で大当たりの歌手さん。
段々アメリカのヒット曲について詳しくなってくると、「ルイジアナ・ママ」ってジーン・ピットニーの持ち歌には違いないけれどアメリカではヒットしていない。
彼は「非情の町」と「リバティ・バランスを撃った男」の2曲で有名。
あとは、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」の作者としても有名。
調べていくと「ルイジアナ・ママ」は、確かに彼の持ち歌で、シングル盤になっているけど残念ながらアメリカでは流行らなかった。日本だけの大ヒットでしかも日本人が歌ったもの。でも調べたら、飯田久彦のおかげでその後本人のもそこそこ売れたらしい。
余談になるけれど、小6の時に、友達が木琴で「ルイジアナ・ママ」を弾ける子がいた(たたく?)、上手かった。
「あの子はルイジアナ・ママ、やってきたのはニュー・オーリンズ」。
「髪は金髪、目は青く」「デキシークィーン」
皆で歌っていた。
何のこと??「ママ」→「お母さん」、「ニューオーリンズ」何処??地名だと知らなかったかも。
「びっくり仰天有頂天」
「あたりきしゃりき・・・」
日本語になっていても全然意味が分からなかった、ただテンポがよく、なんかわからんけど小学生の中でも流行った。

「悲しき少年兵」とか「燃ゆる想い」とか日本だけでヒットして、本国(アメリカ)では無名というケースは、探せば他にもあると思うけれど、こんな例は珍しいかも。


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