
2012/02/29
香港家

2012/02/28
2012/02/27
昔見た映画

そんな若い時見て感激した映画「ミツバチのささやき」です。アナ・トレントって言ったかなこの子。こういう映画を見ようという気力がなくなってますね。
人生っていろんな定義が出来ますが、こういう映画を見て感激するだけで生きている価値があるような気がする。そんな気になった映画です。
2012/02/26
藤圭子 (3)

2012/02/25
藤圭子 演歌を歌う (2)

「歌は世につれ、世は歌につれ・・・」で始まる芥川隆行さんの司会で始まるいかにも昭和のステージらしい雰囲気に違和感を覚えたはずだったのにどうして藤圭子だけ聞いたのか今もって不思議だと思っている。他の演歌はまず聞かないですから。
2012/02/24
藤圭子 演歌を歌う

1970年は千里丘陵で万国博が行われ当時としては最大級の動員数であった。始まったのが3月の中旬(多分15日でしょう)で、この頃僕も含めて晴れて友達全員が大学生になれて万博を見に行った。当時は今ほど未成年云々の規制がやかましくなく、大学生は大人ということでタバコを吸いビールを飲んも罪悪感はなかった。よう考えたら大学1年でコンパで飲んでたもんね。そういう意味では18歳で成人が実態にあっているかもしれません。そのうち3月末に「よど号事件」があって僕の行く大学の先輩(と呼んでいいのかわからないけど)もリーダー格でいて、バック・トゥ・ザ・フューチャーのマイケル・J・フォックスじゃないけどかなり「ヘヴィー」なスタートとなった。4月になって大学にいったら「70年安保」闘争とかで校門はバリケードがあるし(まあ入れて授業はあったけど)。10年前の60年安保みたいに国会をデモ隊が囲むのかなと思ったりした。
なんかザワザワ感のある時代でしたね。
2012/02/23
olympus

昔々広島の某自動車会社に勤めていたら、業績不振で今回のオリンパスと同じ銀行からえらいさんがやってきた。その後転職した勤務先では業績が好調だったから逆にハイエナみたいに出来の悪い落ちこぼれ銀行マンを送り込んできた(まあそこそこ役に立ったら役員にしたってくれてな感じである。役にたたんでも数年は役員にしたらんと仕方がないわな)。全く仕事は出来なかった。僕はその落ちこぼれのお守りでえらい目にあった。結局僕がその会社を辞めたのはそのお守りに身も心も疲れてしまったからである。サラリーマン社会は実に面白いというか変な社会で、そのあほの上司を守れば守るほどその上司は出世しこちらの疲れは倍増していった。こういう社会は向いていないと思った。「あほの面倒はみておれんわ」というところである。
ということで僕はあんまり銀行という職業に共感がない(正直嫌いである。他人の褌で相撲をとってええとこだけ取りに来る)。事業というものは1回で結果を出そうとするから失敗が多いので、2回、3回アタックできるお金があればかなりの勝率が出てくる。
金だけ出さないというのがいかにも日本的かなと思う。行かされた銀行マンも大変なのはよく分かるんですがね。外人投資家が反対したら面白いと思っている昨今であります。
2012/02/22
ZZ Top
2012/02/21
i phone

今回iphoneを使う時に他のスマホも検討したけれど、やはり使い安さなどの項目より「伝説」を使ってみたいという要素が強かった。何でもかんでも比較して安い方、ある基準でいい方を買うというのは正しいのかもしれないが、好きなものを買う、気にいったものを買うというポリシーは貫徹したいね。この何でも瞬時に比較できる世になってなおさらそう思うことが多い。
光市

光市ってどんなところだったかを思い出していた。広島に3年間住んでいたのでドライブで何回か行った事があった。写真は伊藤博文の記念館だそうである。伊藤博文って柳井だと思っていましたが・・・熊毛郡出身の同期がいて、熊毛郡の生んだ首相と威張ってましたけど。熊毛郡って光市だったのか・・・。
でも今から考えたら昔の首相って良くも悪しくも威厳がありましたなあ。
2012/02/20
BEATLES '65
2012/02/19
something new
2012/02/18
meet the beatles !

この米国のキャピトル盤は「イギリスの現象的なポップコンボのファーストアルバム」って書いてある。「コンボ?」ってラテンのバンドっぽい表現だと思ってしまったが、当時は少人数のグループの楽団をコンボって言ったのでしょうね。
2012/02/17
2012/02/16
THE BEATLES' SECOND ALBUM
2012/02/15
with the beatles (2)
with the beatles
2012/02/14
Meet The Beatles !

2012/02/13
2012/02/12
重松森雄
2012/02/11
mamo walde

このようにアベベに劣らずエチオピアの英雄であるはずのマモについては過去にも書いたが可愛そうな結末が待っていた。
2012/02/10
2012/02/09
abebe(6)
2012/02/08
abebe(5)
2012/02/07
2012/02/06
abebe(3)

今でも各種選考レースの最後のレースと位置づけれていて結構駆け込み参加者(昔の瀬古さんもそう)がいて賑わいます。どうも知らべてみると、今のコースと全然違っておりまして、大津の皇子山競技場から今の湖西線に沿って堅田まできて「琵琶湖大橋」をわたって守山に来ています。それで守山の今の自動車試験場あたりでUターンしてまた「琵琶湖大橋」をわたって戻っていった感じです。僕はこの時、修学旅行でしてラジオで勝ったのを聞いた記憶が残っております。今から考えたら修学旅行よりこのレースを見たかった。
2012/02/05
2012/02/04
abebe

こっからは全く個人的な思いですが、なにせ風貌が良かった。哲人とはこういうものかなという気が今でも持っている。白人と移民(移住させられた)黒人ばかり勝つ東京オリンピックで自国から参加して圧倒的な勝ち方でしかも賢そうだった(賢人)。
哲学者が走っている雰囲気を後半の独走になってから感じた。
僕はこの中継を中学校の体育館で見た。どういうわけか体育館の真ん中にテレビが置かれて、いすが用意されていて見れるようになっていた。授業はやっていたと思うけれど、初めから見た記憶はないけれど後半はリアルタイムで見た。
2012/02/03
Derek Clayton

マラソンを興味を見るようになったのは、多分「アベベ・ビキラ」というエチオピアのランナーが1960年のローマオリンピックで裸足で走って優勝したという話を親が喋っていたことを覚えていてアベベって・・・・。そういう話題になった人物をすぐに招待する癖は日本には昔からあったみたいで多分次の年(1961)に日本に招待しているのだと思う。昔の記憶なんで、大阪城から岸和田城まで走った(なにマラソン?)ように覚えてるんですが(調べたら毎日マラソンでこの時は浜寺公園発着となっている。お城の記憶は何処だったのか?)。でアベベが日本に来て興味を持って見出したマラソン中継で代表的なマラソンが朝日の福岡マラソンであった。当時は一番権威のある大会だったように思う。何時からか国際大会という名前になって、東京オリンピックから数年後かなこのデレク・クレイトンという人が2時間10分を切った。いわゆるサブテン第1号ですなあ。今でも10分きったらそこそこええ記録だと思うので当時は遂に出た幻の・・・という感じだった。40年以上前に10分の壁は破られた、今は3分の壁が破られて2分、1分そして2時間の壁も・・・。左は佐々木精一郎選手で11分台だったこれもすごい記録だった。アベベの記録より速かったから。この時はどきどきして見ていた。
2012/02/02
1992 小鴨&松野

2012/02/01
2001エドモントン
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